★
今日(2019.7.2)は告知から。
7月6日[土]、トラペ座LIVE「うたげの ゆめの 旅の」in 信楽、たまさき家にて。
このライブの前座に、キペルス・パピルスも出演させてもらいます。
(↑LIVEのイベントページ)
Trapeza | 泥海を 渡りゃんせ。果てどなく 踊りゃんせ。
(↑トラペ座のサイト)
たまさき家は先月、松永希カルテットのLIVEでソロで前座出演&珈琲出店させてもらいました。
今回はキペパピとしての出演。
ちなみに、キペパピとしてステージに立つのは今年初。
しかし、今のところその日は雨予報なんですよね。
雨天の場合、会場がカフェあわいさに変更になります。
★
先日、滋賀に行く用事があったので、喜多家に泊めてもらいました。
一応補足しておくと。
喜多家夫婦2人とぼくとで、キペルス・パピルスというバンドをやっています。
夜練、そして翌日の朝練。
夜は喜多家で、朝は野洲川の土手にある公園の片隅で。
練習していたら、ランニングしていた男性が足を止めました。
曲が終わると、「君たちはアマチュア?」と声を掛けられました。
そこから、いろいろとお話を伺って。
いわゆるフォーク世代で、その方もバンドをやっていたことがあるんだそう。
余談ですが、練習の後は3人で山本珈琲倶楽部へ。
ランチとコーヒーを楽しんだ後、店内で『愛を注いで』を歌わせてもらいました。
(お店の常連の方が撮ってくださった写真、最後まで聴いてくださいました)
『愛を注いで』という歌は、山本珈琲倶楽部32周年のお祝いとしてつくりました。
32周年おめでとうございます。 - とむやんの氣まぐれ雑想記
★
さて、今日の本題。
後になってふと、アマチュアとプロの差って何だろう?と思いました。
この問いはありがちと言えばありがち、なのですが。
「アマチュア?」と言われても、ぼくはあまり躊躇なく「はい」と答えました。
ぼくは上手じゃないし自信もあまりないし、でも演奏はいつも「プロの意識」をもっているつもりです。
「アマチュア」という言葉の語源は、「愛する人」を意味するラテン語「amator(アマトール)」。
なので、「愛好家」という和訳がしっくりくるみたいです。
「自分の好きなことをしていく」、これはぼくが常に目指していること。
自分には、「アマチュア」という言い方が性に合っている氣がします。
ガマンして妥協して、っていう生き方はしたくないから。
まず自分を喜ばせる、自分が楽しむ、そういう姿勢がいいなって思うので。
じゃあ、「プロ」とは?「プロの意識」とは?
自分だけじゃなく、多くの人に喜んでもらえるようにすること。
媚びるんじゃなくて、要は自分にも他人にも妥協しない、というようなことかな。
まあ、定義付けはいくらでもできるでしょうけど。
そう言えば、「プロ」と「アマ」を考えるとき、必ず思い出すものがあります。
それは、「レスリング」。
プロレスとアマレス、両者には関連する部分ももちろんありますが。
「プロ」と「アマ」の違いが、内容的にもこんなに違うものって、なかなかなさそう。
アマチュアの野球とプロ野球だったら、基本(ルールだとか)は一応ほとんど同じ。
「プロ」の方がより、お客さんを喜ばせようというエンターテインメント性を感じる。
「自分がまず楽しみ、多くの人に喜んでもらえるようにする」のがプロ、という定義もそんなに的外れじゃないんじゃないかな。
★
でも、世の中的には「アマチュア」を低く見ているなと思うことも多々あります。
それって、アマチュアという言葉の響きが、「甘ちゃん」を連想させるから?
いや、案外冗談じゃなくてほんとにそうかも。
改めて言うことでもないのかもしれませんが。
「プロ」って、アマチュアが経験値積んでジョブチェンジするようなものじゃない。
だから、「プロ」になったからと言って、アマチュア精神をなくすわけじゃないし。
アマチュアの心、〈アマ心〉。
何が言いたいのかというと。
たとえこの先、自他ともに認めるような「プロ」になったとしても。
〈アマ心〉はもち続けていたいな、と思います。
愛好家としての側面、案外「プロ」になると忘れがちになるのかもしれません。
好きでやっている、「プロ」になっても変わらないという方もたくさんいるでしょう。
でも、「イヤだけどしかたなく」「生活のため」、そういう「プロ」の方も一定数いるように思います。
それがダメ、ってことではないんです。
だけど、それって「自分を犠牲にして、人を喜ばせることができるか」ってことかな、と。
ぼくは、それではきっといつか「破綻」してしまう、と考えていて。
だから、「自分が楽しいから、人にも喜んでもらえる」という連鎖を起こしたい。
そうそう、もう一度念を押しますけど、「プロ」と「アマ」は相反するものじゃない。
「プロ」よりも「アマ」がいいんだとか、そういう意味ではありません。
「プロ」の心構えをもって、その中にはいつも〈アマ心〉がある。
そういうイメージでしょうか。
せれんでぃっぽ☆とむやん