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ミヒャエル・エンデの『MOMO』を読んだ。
実は、今の今まで読んだことがなくて…。
もちろん、ずいぶん前から読みたい、読んだ方がいいとわかってはいたのだけど。
読み終えて、やはりもっと早く読むべきだったとも、今がベストなタイミングだった、とも思う。
いずれにしても、『MOMO』を通していろいろなことを考えると、世界の見え方が変わってくる氣がする。
単純に、「近代化する現代への警鐘」と捉えるだけでなく、とは言えやはり、現代の〈時間〉というものへの感覚は、もう一度問い直したい。
そして、自分の中にいる「灰色の男たち」に、日々の〈生活/時間〉が奪われていないだろうか?
自分自身にもそっと耳を傾けて、ときどき内観してみることが必要なんじゃないだろうか。
まるで、自分の中の「モモ」と出逢うような、そんな感じで。
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「ベストなタイミング」と思ったことのひとつに。
先週末(2016.11.12)、カフェテリア結へ行ってきた。
佐藤初女さんの写真集、出版記念の集いということで、友人が誘ってくれたのだ。
(その友人とはちゃたくんなのだけど、また一緒?と最近よくツッコまれる…)
お手伝いをした後、ぼくたちもおむすび会から参加させてもらう。
ぼくにとって、本当に行ってよかったと特に感じたのは、フォトグラファーのオザキマサキさんとお会いすることができたこと。
氣さくな感じの、それでいて穏やかさもある、とてもステキな方だった。
(帰ってからプロフィールを見たら、なんとぼくと同い年!)
スライドを見ながらのトークがあって、喋るのはニガテだと言いながら語るエピソードやその姿が、心にじわじわと沁みてくる。
オザキさんが、「今まで知っていた〈ていねい〉とはちがう、本当の〈ていねい〉を初女さんから感じた」というようなことをおっしゃっていた。
ただ時間をかければいいというわけではない、けれどやはり今の世の中、能率的であること、無駄を省くことに傾き過ぎているんだろう。
オザキさんが初女さんに寄り添いながらも、いい距離感を保ちながら撮影をしていたことは、なんだかモモが相手の話を聞くときの感じに似ている氣がした。
奇しくも、カメラとは時間を切り取るような、それでいて切り離してしまうのとはちがうような、不思議な機械だと思う。
もちろん、機械がそうするのではなく、撮る側と撮られる側それぞれの〈時間〉が織りなすもの、なのだろう。
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そう言えば、先日観た映画『君の名は。』でも、〈時間〉がキーになっていた。
〈時間〉という概念の捉え方が今、世の中全体としても大きく変わりつつあるのかもしれない。
初女さんの写真集出版記念の集いに来ていた方たちやその場の雰囲氣からも、強くそう感じた。
灰色の男たちに、今もし対抗しなければならないとしたら。
〈時間〉というものを実感的に取り戻しつつ、個々人がその概念を感覚的に知ることで、付け入る隙はなくなっていく。
「時間」というものについて、「ていねい」ということについて、これからも実践的に考えていきたいと改めて思う。
せれんでぃっぽ☆とむやん