とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

セルフ・エフィカシー☆


昨日(2017.1.26)は家で、「どんぐり倶楽部スタートの会」がありました。

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(↑「どんぐり倶楽部」を教えてくれて、そして今回の会のレクチャーをしてくださったゆみこさんが焼いてくれたクグロフ型のケーキ♪)


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「どんぐり倶楽部」とは…、ぼくもまだよくわかっていないので説明できません…。
妻のブログに今回のことが書かれているので、そちらをご覧ください。

まなくらブログ

(↑今見たら、全文が表示されない、なぜなんだろ…?)


実際見てもらわないと、正直わかりにくいかもしれない。
今までの常識をひっくり返してしまう学習法、と言っていいと思う。

例えば、漢字書き取りや算数の計算などが特にそうだけど、繰り返しや反復こそが大事だとされている。
ところが、そこに変化を取り入れた学習や練習の方が効果をより高めるということも、最近は実験などでわかってきている。

「どんぐり倶楽部」には問題集があって、それが一般的に考える問題数からしたら、圧倒的に「少ない」。
けれど、そのことによって「考える力」を高め、そしてそれは「楽しく生きるため」のことだという。

「どんぐり倶楽部」のサイトに、憲章があって。
1.子どもたちの力を信じる。
2.無理なく無駄なく効率的な学習指導をする。
3.〈考える力〉を身につけさせる。

この辺のこと、自分が最近考えていたこととリンクしていて、余計におもしろい。



今までの時代って、「経験則」や「常識」というのが重要視されてきた。
前回書いたけど、これって何かしらの〈過去〉の積み重ねでしかなくて、新しいことをするには実は弱いんじゃないか。

そもそも、「経験してナンボ」っていう風潮が、世間にはまだまだ根強い。
けれど、これからの時代は特に「無駄な経験はしなくていい」。
そんな風にぼくは思っている。

その辺の説明がうまくできるかわからないけど。
失敗を怖れるあまり、「必要な失敗」ができないまま「無駄な失敗」ばかり繰り返している、そんな感じか。
見当違いなことばかりしていても、それって有効な経験には成り得ないんじゃないか。

むしろ、その無駄な経験が新しいことへの挑戦を妨げていたりする。
その悪循環に陥った人は、何に対しても「ど~せ無理」が口癖になっていく。
せっかくの経験が、やらないための言い訳にしか役立っていない。


ノーベル文学賞の一件で改めて注目されているボブ・ディラン
彼はデビューアルバムの録音に際して、ほとんど歌っていなかった曲をセレクトしたという。
普通なら、いつもの得意としている曲ばかりを選ぶだろう。
彼はどうも、「常に新しいことに挑む」ことを自分に課しているんじゃないか。
そしてだからこそ、ボブ・ディランは決して古くはならない。


今回たまたま、「セルフ・エフィカシー」という言葉を知った。
単なる「自信」とはちょっと違う、それは前述の通り〈過去〉の「経験則」でしかなかったりする。
それは「失敗」することによって、それをどう捉えるかに関わらず、積み立てが一氣に壊れかねない。
「失敗」に対する許容が狭くなり、怖れの方が強くなってしまう。

それに対して、「セルフ・エフィカシー」という未知のものに対する「何とかなる」感があれば、とにかくやってみようする。
そこに根拠はない、けれどうまくいく見込みがもてるし、失敗しても軌道修正すればいいと開き直れる。
結果、行動の分母が増えることによって、達成の分子が増えていく。

セルフ・エフィカシー」というのは心理学用語で、ぼくにはちゃんと理解できているかはわからない。
あくまでも、これはぼくの解釈であり、それを表すのにいい言葉だなと思ったので使ってみた。


ボブ・ディランは、セルフ・エフィカシーが高いだけでなく、それを高める意識が強かったんだと思う、自覚があるかないかはわからないけど。

ぼくが敬愛する岡本太郎の『自分の中に毒を持て』は、まさにそんな時代を先取りしていたすばらしい本だと思う。
結局、それは先取りなんかじゃなく、いつだって本質なのだろうけど。

ともかく、「セルフ・エフィカシー」は、これからの〈教育【education】〉を考える上で重要になってくるだろうと思う。
みんな幼いときにはもっていたものなのだし、それを引き出して生かす。

「どんぐり倶楽部」は、その点からも非常にいい学習法なんじゃないかな。
「どんぐり倶楽部の会」はまたやる予定みたいなので、興味ある方は是非☆



久々に長い文章、お読みいただきありがとうございました。
今、書きたいことが山ほどあるので、ちょっとスッキリしたかな。

ちなみに、明日は新月の日、旧暦の新年が始まりますね。
新暦の新年と旧暦の新年のこの期間が、自分には何だかちょっとおもしろい。
ちょっとロスタイム的な感じ、かな。

新暦の年末までにやろうと思っていたことも、なんだかんだでできない。
それを今度は旧暦の年末までにやろうと。
そう言いながら、毎年のように結局やらなかったり…(笑)

けれど、「区切り」があるのはいいことだと思います。

バタバタのまま旧暦の大晦日を迎えていますが、もう一度氣もちを新たに。
これからもよろしくお願いします。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

粘土団子をばらまくように。


前回書いたように、一昨日(2017.1.23)は cafe salon STILLROOMへ。

「この時間帯にカフェにいます」と宣言して、来たい人が任意で集まるという。
そんなちょっとした思い付きのアイデアを、早速形にしてみました。
まだこれといったネーミングが考え付かないので、何だかキレのない説明だけど。

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結果から言えば、予報通り雪が降った影響もあって、思っていた形にはできなかった。

けれど、なぜか「7並べ」をしたり、映画の話や手みやげの本で盛り上がったり、ウクレレ演奏をライブ配信してもらったり。
それはそれで、楽しくてあたたかい時間だったな☆

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もちろん、天候のせいにはしない、そこから「次」をどう捉えていくのか。

「【個別的】くらしとせいじカフェ」も、「わたし誌」づくりも、次はもう少し準備や段取りを考えてみたい。
「ちょっと一曲弾いてみますか」(ちすずさんが名付けてくれた)は、「こたつライブ」実現に向けて、いいイメージができたように思う。

そして、今回のFacebookでの告知が、思っていた以上の反響をいただいた。
それがとっても嬉しかった。
正直、何も反応ないんじゃないかという、そんな懸念もやっぱりちょっとあったし。

来てくださった方、リアクションくださった方、ありがとうございました♡

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(↑ちすずさんが撮ってくれた写真、ちょっと加工しました)



最近、〈夢〉ってどうやって描くのがいいんだろう?とあれこれ考える。
その一方で、〈夢〉というものを過大評価というか、いろいろ詰め過ぎじゃないかとも思う。

結局、〈夢〉は通過点でしかなくて、モチベーションを高めるためにはとても有効。
けれど、〈夢〉がなくても実は全然困らない。

その辺のことはまた改めて考えていくとして。
今回はその〈夢〉のカケラ、〈アイデア〉について。


今回の、かなり自主的&個人的イベント(と呼んでいいのかもわからない)は、ちすずさんとアイデアをあれこれ出し合ってみたことがきっかけになった。

大抵の場合、一個一個の〈アイデア〉をすぐに評価してしまいがち。
「こんなのどう?」と言ってみても、すぐに却下されてしまったり、そうなると次が続かなかったり。

ちすずさんと喋っていると、次から次へと展開して、どんどん膨らんでいく。
前回も書いたけど、「そのときはお互い、嚙み合うような合わないような、どんどん脱線もしていく」から、一見すると収拾がつかないんじゃないかと思う。
どちらかというと、テニスや卓球のラリーよりも、紅白の玉入れに近いかも。

けれど、どうやらそれがいいみたいだ。


イデアは「小さな種」みたいなものかもしれない。
ぼくは畑仕事をほとんどやったことがないので、例えが微妙かもしれないけど。

「自然農法」の提唱者、福岡正信さんの「粘土団子」というのを聞いたことがある。
粘土に複数の種子を混ぜて、団子にして畑にまくというもの。
これが、砂漠の緑化などにも効果的だという。

まかれた団子の中から、その時期や環境に適した種子が育つ。
ひとつひとつの発芽率だとか、どれが最適だとか、人が判断しない。
「自然」に委ねるわけだ。

畑のことに関しては前述の通り、ぼくはわからない。
けれど、〈アイデア〉に関しては、今回のことは粘土団子に近い氣がする。

思い付いたことを団子にして、そこからじわじわと出てくるものに手をかけていく。

〈アイデア〉に関しては、種となるそれはできるだけ「ありきたり」でない方がいい。
たぶん、「経験則」に頼っていても、それは誰かの「過去」でしかない。
だから、大抵の場合新しくなし、おもしろくもない。

その意味でも、「粘土団子」方式は有効なんだと思う。
そこのジャッジも、委ねられるから。


そうやって、育った〈アイデア〉を収穫していくと、氣付くと〈夢〉になっていたり、〈夢〉が見えてきたリすることもある。
また違う描き方もあるけど、その場合でもこの積み重ねは同じなんじゃないかな。

毎回、どんどん「更新」していく、それが楽しい。
さて、次はどんなことをどんな風にやろうかな♪


                    せれんでぃっぽ☆とむやん


【個別的】くらしとせいじカフェ☆


このブログではお馴染みの、滋賀県栗東市安養寺にあるcafe salon STILLROOM。
先日(2017.1.16)もお邪魔して、常連の方々といろいろお喋りして。

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オーナーのちすずさんと、思い付いたアイデアとか最近氣に入ったものとかの話をしたり。
そんな意見&情報交換タイムは、なぜか帰り際が多い。

そのときはお互い、嚙み合うような合わないような、どんどん脱線もしていくし。
けれど、そこからいろいろ削ったり拾い上げたり、くっつけ合わしてみたり。
そこには、確実に何かが生まれている手応えのようなものがある。



そういえば、このブログでは「くらしとせいじカフェ」のこと、ちゃんと書いてなかったかな。

滋賀のお母ちゃんたちを中心に、「くらし」と「せいじ」のことをお喋りする会。
どちらもひらがなで表記しているように、もっと身近で堅苦しくなく、暮らしと政治を語ろうというコンセプト。
そして、政治って暮らしに直結しているよねっていう、再確認にもなっているかも。

とても大好きな企画で、でもこれを自分なりの発展形ができないかなってずっと考えていた。
日常の風景において、政治の話がカフェで恋バナ語るみたいにならないかな、って。

そしたら、もっともっと小さくやってみてもいいなって思って。
名前が先に浮かんだ、「【個別的】くらしとせいじカフェ」にしよう、と。
(個別的や集団的という用語への、アイロニーみたいなもの?かな)

思い付いたまではよかった、でもタイミングなど合わずなかなか実行に移せなかった。



それで、昨日(2017.1.20)ひらめいた。
ちすずさんと意見&情報交換タイムのときに、「アイドルタイム」を活用できないかという話をした。
アイドルタイムとは、飲食業界の用語で「客数の少ない時間帯を意味し、ピークタイムとは反対の言葉」だそうだ。

で、ぼくが好き勝手にあれこれと、アイドルタイムの有効活用アイデアを言ったりしていた。
そうか、その時間帯にやらせてもらえばいいんだ、と。
すぐにちすずさんにメッセージ、了承をもらう。


そんなわけで、こんな告知文をFacebookに投稿しました。

ちょっとした思い付き。

1月23日[月]、滋賀県栗東市のcafe salon STILLROOMに、15時頃~終了の17時頃まで、すみっこにいさせてもらおうと思います。

あまいろだよりの「蟻の牙」にも書かせてもらったのですが、「くらしとせいじカフェ」の勝手バージョン?をやろうと思っています。
名付けて、「【個別的】くらしとせいじカフェ」。
要はその時間に来たい人に来てもらって、お喋りしませんか?という、ゆるい呼びかけです。
(カフェ通常営業中ですので、要ワンオーダーでお願いします。)

誰も来ない時間帯は、名刺代わりに毎月つくっている「わたし誌」づくりをしている予定です。
ウクレレももっていくので、店内の邪魔にならなければ、オリジナルソング歌ったりもするかも。

まったく個人的な、実験的なものなので、どう展開するのかまったく読めません。
しかも、なんかまた雪予報らしいし…。

その時間帯だと行かれないので他の時間に等々、不明な点とかもじゃんじゃんお聞きください。

なお、ゲリラ的にやってもいいのですが、今回は了承いただいての企画です。

 

このブログの宣伝効果はあまりないかもしれませんが。
氣になった方は、是非来てください☆

そうそう、書き忘れたけど、カンパ大歓迎です。
今後の活動の資金にできたらと思います。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

不マジメのススメ。


前々から思っていたことではあるけれど。
不真面目なくらいがちょうどいいや、と改めて思う。

調べていたら、『「非まじめ」のすすめ』という本があるらしい、おもしろそうだ。


そんなことを思ったきっかけは、ほんのちょっとしたこと。
Facebookで、「ノー・パンツ・サブウェイ・ライド」という、ニューヨークで16年間毎年開催されているイベントの記事を目にしたから。

「目的?とくにありません」。今年も開催した、ノーパンツ地下鉄ジャック | TABI LABO


要は、ノーパンツ(ズボンなし)でみんなで地下鉄に乗っちゃうという、それだけ。

イベント開催の理由がいいよね、「楽しそうだし」って。
「何かメッセージを」に対しても、「特にないかな!」なんて、グッときたなぁ。



最近、ぼくの淹れたコーヒーを「美味しい!」と、いろいろな人から言ってもらえる。
絶賛、とまでは言わないまでも、ただの社交辞令という感じでもない。
とても嬉しいし、なんてありがたいことだろう。

でも、こないだは「どうしてなんですか?」と質問されて、返答に詰まった。
ここ何日か考えて、今一番しっくりくる答えかな、というものに辿り着いた。


コーヒーを淹れること、昨今はどうもストイック過ぎるんじゃないかって、感じる。

「ストイック」というのは決して悪いことではない。
けれど、行き過ぎてもっと厳格にもっと真面目にってなり過ぎて、ぼくは正直楽しめなくなって。
あるとき、何だか息苦しいとさえ感じてしまった。

だから一時期、コーヒーを淹れるのを何となくやめてみたり。

それからは、淹れ方のワークショップに参加したこともあったし、本で研究もした。
でも、最終的にはあくまでも「自己流」、頼りは自分の味覚とフィーリング。

端的に言えば、マジメに取り組まない、ただ楽しむことにしたと言えばいいのかな。


そしたら急に、「美味しい」と言ってもらえることがぐんと増えた。

コーヒーをひたすら追求している人たちには、申し訳ないんだけど。
ぼくには不マジメなくらいでちょうどいいんだって、今は心からそう思える。



「真面目」って、語源は〈「まじまじ」と見る目〉。
つまり、「真剣な顔つき」ということらしい。
それが転じて、「おびえ顔の硬い表情や白け顔など」も指すようになったそう。

そういう顔も、もちろんいい。
でも、やっぱりニッコリ笑った方がもっといいかな、って。
ちょっと怖いときあるもん、黙って睨まれているみたいで。

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(↑写真は今回にピッタリ? 昔撮ったものの使い回し、コーヒーとたなごころのパン)


もうちょっと不マジメでいいはず、それくらいで大丈夫☆
コーヒーを淹れるのも、人生も。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

「本のなかのおやつ」の誘惑。


今回も、図書館でたまたま見つけた本。

『レモンパイはメレンゲの彼方へ』 /もとしたいづみ

久々(でもないか)に「会心の一撃」、かなりおもしろかった!
妻のメイコに見つかってしまい、一氣に読了されて先を越されてしまった…。

著者は絵本作家のもとしたいづみさん、ごめんなさい、正直あまり知らない。
と思ったら、『すっぽんぽんのすけ』シリーズや、市居みかさんの絵の『おっとどっこいしゃもじろう』は知ってる!


この本はおやつをテーマに、児童書などを紹介するエッセイなのだけど。
まず、それぞれのタイトルが、いい。

表題にもなっている「レモンパイは~」もそうだけど。
「星を数えながらジャムを食べる」とか。
「さわやかなゼリーは信用できるのか?」とか。

目次の時点でもう、氣になって早く読みたくてしょうがない。
それぞれが、どれも見開き2ページの内容で、さらっと読めるのもいい。

本のセレクトもセンスのよさを感じる、ぼくは知らない本が多かったけれど。
これを機に、どれも読んでみたくなった。


そして、おやつ。
登場するものは比較的どれも「庶民的」なものが多くて、その辺も好感がもてる。
美味しいものに対するこだわりも、妙に共鳴してしまう。
年代も性別も違うのだけどね、そこがかえっておもしろかったのかも。



メイコに遅れて今朝、布団の中で読み終える。
昨晩読み終えていたメイコは、「甘いものが食べたい~」と絶叫していた。
普段あまり甘いものがちょっとニガテな妻にしては珍しい、でも氣もちはよくわかる。

そんなわけで、今日はお昼ごはんの前に、おやつタイム。
コーヒーを淹れて、ちょうど母から送られてきたカステラと、あかね軒のどら焼きを半分こ。
(カステラもどら焼きも、この本に出てきます)

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ある意味、危険な本かもしれない。
だからこそ、オススメ♡

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そうそう、表紙の装丁もかなり好み♪
これはいずれ買って、ウチの愛蔵本の一冊に加えたい☆


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

雪の降る街を。


今日(2017.1.15)はほぼ一日中、雪。
facebookのタイムラインもおもしろいほど雪景色が並び、子どもの遊ぶ姿も多い。
ウチの子どもたちも、朝からやけに張り切っていた。

オトナは昼前まで布団から出られず、家からもなかなか出られず。
ぼくは昨日借りてきた小説を一氣に読んでしまった。

夕方になって、ちょこっと外出。
雪の止んでいる合間に買いものを、と思っていたのだけど。
いつの間にかまた降り出している。


アパートの前には、息子たちのつくった大きな雪だるま。

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家の前の道に出て、歩き始める。
人はもちろん、車もほとんど通らない。

いつもとは違う雰囲氣に、楽しくなってくる。

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遠くの音は聞こえず、近くの音はやけに響いて聞こえる。
だから、余計に別世界を歩いているような感覚がする。

自分の雪を踏む音と感触もまた、妙に心地よい。

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あぁ、もう少し早く、歩きに出たらよかったなぁ。
そう思ったのは、最初の方だけ。

大通りに出ると、ちょっと夢から覚めたようになる。
降りも激しくなり、手もかじかんで傘をもつのも一苦労。

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いつもとは趣向を変えて、今回のブログは「日常のスケッチ」のように。
そういえば、最初の頃はふとした思い付きとか、日常的なこととかも書いてみたいと思っていたはず。

初心とか子ども心とか、意識して戻ってみるのは大切だなぁと。
改めて思ってみたりする。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

お菓子な国。


今日(2017.1.14)は天氣予報通り、外は雪。

残念ながら、明日のオーガニック&つながるマーケットは中止になった。
(でも、中止の決断と発表は早かったように思う、すばらしい☆)


今季、一番の寒さかもしれない。

PCがあるのは玄関入ってすぐのところ、かなり寒いので長時間いられない。
こんなときは、やはりモバイルがあればなぁと思ってしまう。

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(↑写真は雪が本降りになる前に行った茶ノ木カフェ、チーズケーキとチャイ)


昨年11月から、相棒のiPad2は使えないまま。
単純に「便利だ」というだけでなく、データなどもかなり依存していただけに、かなりの痛手。

曲づくりは、標準アプリの「メモ」を使って。
思い付いた歌詞やコードを、とにかく書き込んでいた。
なので、細かいところは案外自分で憶えていなかったりする。

先日、画面の薄い表示を懐中電灯で照らしながら。
(傍から見ると、だいぶ怪しいでしょうね)
なんとか2曲だけメールに転送、「救出」に成功☆


曲づくりをするとき、ぼくは〈歌詞→メロディー→コードを拾う〉という流れが多い。
メロディーに合わせてまた歌詞を調整したり、コードからメロディーが変わったりもあるけれど。
いずれにしても、メロディーを元にコードを拾うから、思いの外複雑なコード進行だったりする。

この辺もちゃんと理論がわかっていればいいのだけど。

今のところ、とにかく「手探り」状態。
今までつくった曲も、理論的にOKなのかどうなのか、さっぱりわからない。

まあ、「正解」のない世界ではある。
大雑把に言えば「つくったもん勝ち」みたいな。
とはいえ、わかる人がいたら教えてもらいたい、というのもあるけれど。


なんで、こんなことを長々と説明しているかというと。
その「救出」した2曲は歌詞もメロディーもほぼ完成していて、コードも大体拾った。
ただ、今までつくった中でもかなり複雑なコード進行なので(たぶん)。
正直、できた感があまりない。


今回紹介しようと思っている曲は、構想自体はもう一年以上経つ。

2015年の11月、ハチヨコ製菓主催「お菓子なお茶会」というイベントがあった。
スイーツ好きにはたまらない夢のようなイベントに、キペルス・パピルスとしてライブ出演させてもらった。

本当はその日に合わせてオリジナル曲を用意したかった。
語呂合わせを拝借して、「お菓子な国」というタイトルだけはすぐに決まった。

それから一年、少しずつ歌詞を書き溜めて、ようやく完成。
メロディーもほぼ同時に、比較的すぐに浮かんだ。

前述したように、コードは怪しいところがあるので、演奏の披露はもう少し先になるかもしれない。
今回は歌詞だけ載せておくことにする。

イメージしたのは、「不思議の国のアリス」のお茶会と。
チャーリーとチョコレート工場」(でも原作も映画もまだ見ていない)の、何となくの世界観。

お菓子関連の言葉を隠したり、時間はかかったけど楽しかった。
特にBメロ(間奏の前後)は自分でも結構氣に入っている。

あ、最後にひとつだけ。
さっき打ち間違えをして、「茶会」と「社会」が語呂的に似ていることに氣付く。
それも歌詞に入れたかったな、それか別の機会に使うか…。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん


お菓子な国


甘ったるい声に誘われ
みんなフラフラと寄り集まれば
お行儀よく箱詰めされて
やがてトリコに
もう逆らえなくなるのさ

薄っぺらい言葉が並ぶ
ウソも白々と塗り重ねると
ヒミツたっぷり ゴマカシばかり
なんてステキな お菓子な国

コンペイトウみたいに
街はキラキラと綺麗だけれど
喰えないヤツらの手で
蝕まれてる 蝕まれてる

【間奏

もしも丸いモナカに
夢を切々と注いでみたら
崩れゆく現実を
知ることになる 知ることになる

太った腹の底に沈む
嫌味タラタラとこぼし始めて
当分はもう コリゴリなのに
なぜかフシギと
やめられなくなるのさ

狂ったように針は回る
常にジリジリと追い立ててきて
お茶するより 無茶してくれと
そんなステキな お菓子な国

なんてステキな お菓子な国