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前々から思っていたことではあるけれど。
不真面目なくらいがちょうどいいや、と改めて思う。
調べていたら、『「非まじめ」のすすめ』という本があるらしい、おもしろそうだ。
そんなことを思ったきっかけは、ほんのちょっとしたこと。
Facebookで、「ノー・パンツ・サブウェイ・ライド」という、ニューヨークで16年間毎年開催されているイベントの記事を目にしたから。
「目的?とくにありません」。今年も開催した、ノーパンツ地下鉄ジャック | TABI LABO
要は、ノーパンツ(ズボンなし)でみんなで地下鉄に乗っちゃうという、それだけ。
イベント開催の理由がいいよね、「楽しそうだし」って。
「何かメッセージを」に対しても、「特にないかな!」なんて、グッときたなぁ。
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最近、ぼくの淹れたコーヒーを「美味しい!」と、いろいろな人から言ってもらえる。
絶賛、とまでは言わないまでも、ただの社交辞令という感じでもない。
とても嬉しいし、なんてありがたいことだろう。
でも、こないだは「どうしてなんですか?」と質問されて、返答に詰まった。
ここ何日か考えて、今一番しっくりくる答えかな、というものに辿り着いた。
コーヒーを淹れること、昨今はどうもストイック過ぎるんじゃないかって、感じる。
「ストイック」というのは決して悪いことではない。
けれど、行き過ぎてもっと厳格にもっと真面目にってなり過ぎて、ぼくは正直楽しめなくなって。
あるとき、何だか息苦しいとさえ感じてしまった。
だから一時期、コーヒーを淹れるのを何となくやめてみたり。
それからは、淹れ方のワークショップに参加したこともあったし、本で研究もした。
でも、最終的にはあくまでも「自己流」、頼りは自分の味覚とフィーリング。
端的に言えば、マジメに取り組まない、ただ楽しむことにしたと言えばいいのかな。
そしたら急に、「美味しい」と言ってもらえることがぐんと増えた。
コーヒーをひたすら追求している人たちには、申し訳ないんだけど。
ぼくには不マジメなくらいでちょうどいいんだって、今は心からそう思える。
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「真面目」って、語源は〈「まじまじ」と見る目〉。
つまり、「真剣な顔つき」ということらしい。
それが転じて、「おびえ顔の硬い表情や白け顔など」も指すようになったそう。
そういう顔も、もちろんいい。
でも、やっぱりニッコリ笑った方がもっといいかな、って。
ちょっと怖いときあるもん、黙って睨まれているみたいで。
(↑写真は今回にピッタリ? 昔撮ったものの使い回し、コーヒーとたなごころのパン)
もうちょっと不マジメでいいはず、それくらいで大丈夫☆
コーヒーを淹れるのも、人生も。
せれんでぃっぽ☆とむやん