とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

ドネーションのこと。


前回書いた《香味Labo》、一昨日昨日と「開店」してみました。

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一昨日は何だかいろいろな要因が重なってか、ありがたいことに満員御礼でした。
狭いアパートなのでぎゅうぎゅうな感じでしたが、和氣あいあいとした楽しい時間になりました。
ありがとうございました☆



本題の前に、ちょこっとご報告。
このブログ、スマートフォンからだと字が小さくて見づらい、と教えてもらいました。

なので、設定を変えてみたのですが、どうでしょう…?



さて、本題。

この《香味Labo》は、「ドネーション制」にしてみています。

ドネーション [donation]」は辞書によれば、「寄付」や「贈与」のこと。
語源は、ラテン語で「差し出す」という意味の言葉。

まだまだあまり聞き慣れないし、やっぱり抵抗のある方もいらっしゃるかと思います。
でもだからこそ、実験的にやってみたいなと、前々から思っていました。


何の実験かというと、いわゆる「貸し借り」に関すること。
「貸しをつくる」とか、「借りがある」とかの、「貸し借り」。

一般的に、誰かに「借りがある」状態のままっていうのはイヤなものかもしれない。
「借りを返したい」という氣もちが、いつしか「返さなきゃ」という強迫観念になってしまったり。

たぶん、ヴァレンタインデーを考えるとよくわかる氣がします。

最近はすっかり女性同士のイベントになっているけれど、どちらにしても「お返し」が「あって当たり前」で、もう最初から「見返り」が前提になってしまっている。
こういうイベントって、別に「アリ」だとは思うのだけど、どうしてどんどんつまらない方に行ってしまうんだろう?


まあ、それはさておき。

言葉的にも似ているからか、書いているうちに「貸し」と「借り」がごっちゃになって、わからなくなってくる(笑)
なので、これはまた別の機会に、また。


ともかく、「貸し借り」というのをあまり意識し過ぎず、そして「見返り」を求めることから離れてみるのがいいようです。
心から「やりたい」と思うことを日頃からしている、もしくはそういう意識でいれば、打算的な思考回路ではなくなる。


打算で動くことが、なぜあまりいいことにはならないかと言うと。
結局のところ、人生ってたぶん「借りを返していく」こと、に尽きるんじゃないかな。
(と思って調べてみたら、永六輔さん作詞の『生きているということは』に、まさにその言葉がありました)

この身体も含めて、すべてが「借りもの」だということ。
そして日々、どれだけの「恵み」を、しかも「無償」でいただいているか。
そのことに氣付くことこそが、その人を真の意味で「豊か」にするみたいです。

その「豊か」な人は、経済的にも恵まれていることが多いようで。
その「恵み」はいただいたものだから、返していくという考えを元に行動している。

ノブレス・オブリージュ」は、その典型かもしれません。
( [noblesse oblige]、直訳すると「高貴さには義務が伴う」というようなこと)


「お金」にフォーカスしてみても、単に等価交換のために支払うわけじゃない。
いや、等価交換を考えてみても、たとえば商品を買うにも人件費とかいろいろなものが含まれているわけで。
富士山などで買うジュースが通常より高いとか、まあそんな感じとか。

その辺は、「等価」ということを改めて考えないといけないわけですが。
ざっくり言えば、その「等価」って、結局のところ「千差万別」。

じゃあ、その感覚の違うまま、むしろその人のそのときのフィーリングを第一にしてみたらどうなんだろう?というのが、ドネーションの理念でもあるんだと思います。



ここまででも、結構長くなってしまいましたが、もうひとつ。

等価交換を考えるなら、当然「お金」じゃなくてもいい。
「お金」は交換をスムーズにする上でも、とても助けになる存在ではあります。

ただ、普段の支払いのときも、「お金」だけを交換しているわけではなく。

例えばだけど、最近はカフェなどで会計するとき、「美味しかったです」と一言添えるようにしています。
(まだまだ言えなかったり、忘れてしまうことも度々ですが)

その逆の極端な例を挙げれば、考えやすいかもしれません。

一時期、「給食費を払っているんだから、いただきますと言わせないで」という、本当かどうかわからないようなことが話題になりました。


《香味Labo》では、来てくださった方に喜んでもらえるように、できるだけのことをしたい。
だから、それに反応があればやはり嬉しいし、今後の励みにもなります。

小銭でもお札でも、自分のところで穫れた野菜でも、お菓子つくってきたよでもいい。
それはいわゆる「等価」かどうかはわからないけど、お互い嬉しい氣もちになれたらいいなと思うのです。

もしくは、今はお金に余裕があるから多めに入れておこうでも、また今度入れるねでもいい。

そもそも、来てくれたということ、それが何よりも嬉しいのだから。
そんなわけで、最初はちょっとビビるかもしれないけど、氣軽に実験感覚でドネーションを楽しんでもらえたらと思っています。


だいぶ長くなってしまったけど、ドネーションについて今思うこと。
今後もまた補足的に書いていこうと思います。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん