とむやんの氣まぐれ雑想記

“探幸王”を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

アリもキリギリスも。


いきなりだけど、「アリとキリギリス」って、正直昔からあまり好きな話じゃない。
子どものときから、どっちかって言ったら自分はキリギリスだろうな、って勘付いていたから、かもしれない。

ちなみに元々はキリギリスではなく、「アリとセミ」だったのは、今では比較的有名なのかな。
ただ、エンディングなども微妙に変えられてしまっているって、今回調べてみて初めて知った。

よく知られているのは、夏の間歌ってばかりのキリギリスが、冬になって蓄えがなくなり、夏にせっせと働いていたアリの元に「もの乞い」に行くという、そんな話だと思う。
夏の間、という時点でもセミの方がよりしっくりくると思うけど。
元の話では、そのあとアリに断られて餓死してしまうなんて、いかにもセミらしい。

ところで、セミで考えてみると、こんなことにも言及したくなる。
そもそもその歌ってる期間はごく短いクライマックス、その前は土の中で七年とか、いや実際の年数はまだよくわかっていないとか、ともかく「下積み」が長いわけだ。
「遊んでばっかり」だなんて、すごく一方的なものの見方だな、って言いたくなる。
セミにだって、キリギリスにだって、ちゃんと言い分はあるんだからさ。


ところが、何だか今の「世間」は、アリに対してまで相当厳しいんじゃないかって、そんなことをふと思う。

たとえば、TPPに関して。
たまに、「農業は甘やかされ過ぎている」なんて意見があったりする。
農家は努力が足りないのだから、「TPP導入はいたしかたない」という論調だ。

実際、今の農業のあり方にも問題はあるんだろう、とは思う。
けれど、セミもキリギリスも論外、アリもまだまだ甘い、って何とも世知辛い氣がしてならない。

もうそうなると結局、アリの生きる道も「軍隊アリ」しかないとか、そんなシナリオが出てきそうな雰囲氣すら感じる。
ちなみに、かつて南方まで出向いた「軍隊」の、死因の半数以上が餓死だった。
セミを嘲笑していられるのは、今だけかもしれない。


…という文章を書いてみたけど、どう締めくくろうか迷って、下書きのまま一年が経ってしまった。

先日、図書館である本に目が留まり、借りてみた。

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『人生を変える3分間の物語』/ミシェル・ピクマル

人生訓のような、だけど「答え」ではなくヒントになるような、さまざまな短い物語が紹介されている。

その中に、「アリとセミ」の話があって、エンディングもちゃんと?変えてある。
まあ、今の世の中的には「生ぬるい」と感じられるのかもしれないね。

アリならアリの生き方、セミならセミの生き方、それを本当の意味で活かせる社会をつくりたい。
それが本当の「総活躍」なんじゃないのか。

アリもセミも、キリギリスも、ただの「虫けら」としか見られず、甘い蜜をぶんどるために苦役させられている。
「夷を以て夷を制す」、いつの世もそんな風に支配されていく。

そのことに、もうそろそろはっきりと氣付いた方がいい。



                    せれんでぃっぽ☆とむやん