とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

東京ノイローゼ。

特別お題キャンペーン「住みたい街、住みたかった街」



住みたい街、かぁ。

ぼくは埼玉県川口市で生まれて、人生の大半をそこで過ごしました。
2011年の夏に滋賀に引っ越すまでだから、35年以上ということか。

記憶はないけど、幼稚園に入る前は川崎にいたこともある(らしい)し。
山梨県富士吉田市で、友人と共同生活しながら仕事をしていたこともあったり。

川口は正直なところ、「住みたい街」では全然なかったです。
どちらかと言うと、早く出たかった。
それが、母がはじめた喫茶店を手伝うようになって、少しずつ変わっていきました。

川口のこと、今では「好きな街です」と言えるようになったかな。


京田辺市に引っ越したのもそうなのですが。
「ここに、もしくはこういうところに住みたい」と考えて、引っ越しをしたことって、ぼくは一度もないのです。

ちょっと「天職」と似てるのかも?
「天職」って、まあ平たく言うと「天からのお呼びがかかる」みたいなこと。

生まれ育った川口市も、滋賀県栗東市京田辺市も、「呼ばれた」感がすごくあって。


だからなのか、ぼくは今まで「住みたい街」って、考えたことなかったなぁ。
どちらかと言うと、「置かれた場所で咲きなさい」的な感覚の方が強かった。

川口のこと、ずっと好きじゃなかったけど。
離れてみると、更にまた見え方が変わりました。

だいたい年に2回、川口の実家には帰省しています。

以前なら考えられないようなステキなカフェができていたりとか、川口もだいぶ変わりました。

帰省は楽しいですけど、でもいろいろな面からもう川口に戻ろうとは思いません。
たぶんだけど、もう川口からは「呼ばれて」いない、少なくとも今現在は。

20代の頃にちょこっと住んでいた富士吉田も、いつかまた遊びに行きたいなと思っていたりします。
でも、「住みたい街」かと言われると、ちがうかなぁ。

逆に、今いる京田辺市
自分にとってまだ「住みたい街」ではありません。
でも、とりあえず今はここでやっていくんだろうな、というのはある。

そこをどうやって自分の「住みたい街」に変えていくのか。

「変えていく」なんて言うと、不遜な感じもしますけど。
そこを変えてやろう、みたいなことではなく、自分も一緒に変わっていく、というか。

シンクロ率を上げていく、みたいなことなんでしょうかね。
(そのアニメをちゃんと見たことないので、何となくのニュアンスで使ってます)



京田辺では、ぼくはまだまだ「よそ者」ですから。
『Englishman in New York』みたいな感じ?いや、それともちょっとちがうか。

でも実際、たまに「I'm an alien」と口ずさんでいたりはしますよ、ほんとに(笑)

滋賀のときもそんな感じ、1~2年ではお互いに全然「フィット」してなかった。
結局7年ちょっと、それでようやく慣れた感じ。

それが慣れてきた途端、別のところから「お呼び」がかかるんですよね。


ふと思い付いたのだけど。
「住みたい街は?」という質問は、「もし学生時代に戻れるなら、いつがいい?」に似ている氣がします。
(これ、実は奇しくも今日のAmebaブログのお題にあったので)

戻る、という言葉の定義にも寄りますけど、ぼくはどの時期にも戻りたくないなぁ。
「卒業する」ということはもう戻らなくていい、ってことなわけで。

川口も栗東も、今のぼくにとってどちらかと言うと「住みたい街」。
でももう「卒業しました」、そういう感覚なんですよね。

OB的な感覚で遊びに行ったり、それがいいかな。



さて、書きたいことからだいぶ逸れまくっているので、そろそろ軌道修正。

今回の特別お題キャンペーンは、SUUMOのタウン本の発刊記念、なのかな?
本のタイトルは、『わたしの好きな街ー独断と偏見の東京』。
なかなかおもしろそうな本ですね(みうらじゅんさんの上京物語も載ってるし)。

「東京」はぼくにとって、「住みたい街」でもあるし。
一方で、「とてもじゃないが住めない」とも思う。
大好きで大嫌いで、まあもちろん「東京」という括りが大き過ぎるのですから。

でも、表裏一体の愛憎が出やすいのが「東京」、という氣もします。


2年前につくって、つい最近ライブで歌った、「東京」にまつわるぼくのオリジナル曲があって。

それが、今回のブログのタイトルにもなっている、『とうきょうノイローゼ』。
(曲名としての表記は『Tokio Neurose』にしています)


何と言うか、ぼくは「東京」からはお呼びがかからなかった、んじゃないかなぁ。
フラれた感覚、そんな感じ。

荒川大橋を自転車で越えて、赤羽の自主保育に参加していたこともあったし。
桜新町三鷹でバイトをしていた時期もあったり。
専門学校の頃は、渋谷と恵比寿に通っていました。

でも結局、「東京」に住んだことは一度もなく。


ところで、帰省したときにはいつも、お墓まいりに行きます。
場所はなんと、六本木。

すごいところにお墓がある、そうだと言えばそうだけど。
それは単に、六本木界隈がそれだけ近年すごいスピードで変わっているってこと。

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「東京」と言っても、この辺には自分は絶対住めないだろうな。
向こうもぼくに声をかけたりしなさそう。
(あと、金銭的にも)

お墓のあるお寺から見上げた空は、何だか窮屈で。
(写真は今年の夏に撮ったもの)

「東京」って、これはぼくのそれこそ「偏見」なんでしょうけど。
何となく、「よそ者」には一見とても優しい。
基本、みんな「よそ者」感覚だから、なのかな。

でも、実はそれは地方で言う「よそ者」と定義がちがうだけ。
むしろ、その定義のちがう「よそ者」にはすごく冷たい、のかも?

初対面では、「君がここに来てくれて、とても嬉しいよ」というようなフレンドリーな態度なのに。
2~3年してばったり会ったときには、「あぁ、あのときの。まだここにいたんですね」と氣のない言葉が返ってくる、みたいな。

いやいや、「東京」に対して印象わる過ぎでしょ(笑)

「東京」には好きなところも好きな場所もたくさんあります。
下町なんかは、こんな性悪ではないはずだし。

だけど、一緒にいるとどっか「背伸び」してしまいそう。
劣等感なのかな?


 懐かしいな、東京の色
 前景はいつもキレイなんだろう
 虚しさの延長線に
 見果てぬ夢 はばむような摩天楼

『とうきょうノイローゼ』の1番のサビ。
実は今日、2行目をちょこっと書き換えました。


「東京」、一度は住んでみたかったかな。
そしたら印象は全然ちがったのかもしれない。

でもやっぱり、あのスピードにはついていけない、きっと。
ただそれは、「東京」だけじゃなく日本の都市全体に言える。


夏の帰省で、こんな写真を見ました。
昭和20年代の川口駅周辺。

ぼくの子どものときの駅前って、どちらかと言うとこっちに近かった。
(もちろん、そうは言ってもだいぶ変わってます)

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街と一緒に変わっていく、ということをさっき書きましたが。
こういう「開発」的な変容には、ついていけない、ついていきたくない。

じゃあ、どういうものならいいの?と問われても、まだうまく答えられないのだけど。


あ、そうだった。
「東京」に住めないだろう、最大の理由。

「満員電車」、ほんとにほんとにニガテです。
帰省のときも、できるだけかち合わないようにしています。
(でもでも、青春18きっぷで夕方着く頃はラッシュの時間帯なのです)

『とうきょうノイローゼ』は、たまたま語呂合わせ的に「ノイローゼ」を使いました。
結果的に、「言い得て妙」という氣もしてしまうのです。



全然まとまらないけれど、最後に。

京田辺市に隣接する、井手町精華町にたまに自転車で行きます。

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精華町も祝園(ほうその)の辺りはもうすっかり「都市」な感じですが。
京田辺に近いところだと、自然が残っているところも多いのです。
(写真は一週間前、「山手幹線」から撮ったもの)

何となく、周辺の方が波長が合うところが多いかもしれない。

いずれにしても。
今はこの場所で「住みたい街」と思えるような、いいところを見つけていきたい。

ムリにってことじゃなくて、きっとたくさんあるはずだから。
万が一なかったとしても、つくったり変えたり、自然な流れでできるはずだから。

そして、「住んでよかったね」と、子どもたちとも振り返れたらいいな。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

書籍化記念! SUUMOタウン特別お題キャンペーン #住みたい街、住みたかった街

書籍化記念! SUUMOタウン特別お題キャンペーン #住みたい街、住みたかった街
by リクルート住まいカンパニー