とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

したことないけど、「ひとり暮らし」の話。

お題「私の一人暮らし」


「ひとり暮らし」について、ということですが。
よく考えたら、「ひとり暮らし」ってしたことがない、かもしれない。


20代前半まで、ずっと実家暮らし。

20代後半は少しだけ山梨の富士吉田にいたことがあります。
そのときは友人とのシェアハウスというか、居候状態だったので。
あれはあれで、感慨深いものがあるのですけどね。

その後、結婚して妻の家での「マスオさん状態」が始まります。
そして、震災から半年後、そこを離れて滋賀に来たわけです。

で、今に至る。
「ひとり暮らし」、したことないなぁ。

と、それで終わってしまうと、何のために書いたかわからなくなってしまうので。

強いて言うなら、滋賀に移住前の二ヶ月間が、「ひとり暮らし」に一番近かった。
ちょっと強引ではありますが、今回はそのことを振り返ってみることにします。



と、その前に。

先日、とあるミーティングに参加したときのこと。

打ち合わせも何となく終わって、ゆったりとした時間の中での雑談。
友人が、「これまで、実家を出て暮らしたことがない」と言うので、このお題のことをぼくはすぐ連想したのです。

そこから話は発展して、そこにいた人それぞれの「今に至る経緯」を聞く流れになったりして。
普段、わざわざ聞いたりしない話題だから、すごく興味深かったなぁ。

振り返る機会があることで、案外自分でも意識していなかったことが出てきたり。
人の半生の話を聞くというのも、なかなかないことなので、貴重な時間でした。


それに、3月11日が近かったこともあったからなのか。
東日本大震災と、あの日を基点にした話が自然と出てきました。

あの日を境に、やはり多かれ少なかれ影響があって、誰もが人生観変わったりして。

そういうことが、何かしら共有できたのも、すごくよかった。



そんなわけで、ぼくの話も震災があったあの日から、振り返ります。

ちょっと前にも、3.11を振り返って、ブログを書きましたが。

輝かしい日々に。 - とむやんの氣まぐれ雑想記



あの日あの時間、ぼくは長男と家にいました。
パソコンで何かをしていたとき、だったと思います。

夜になって、福島第一原子力発電所が事故を起こしたと知りました。

あの頃はまだ家にTVがあって、TV番組やパソコンからの情報をとにかくチェック。
余震があると長男は怖がって、ぼくの傍に駆け寄ってくる、そんな日々が続きました。

計画停電だったり、街の混乱だったり。
原発事故が起こったことの絶望感だったり。

妻はそのとき、次男がお腹にいたこともあって、ぼくたちはいろいろ考えました。
できれば移住、でもともかく出産だけでもどこか別の場所で。

その後も地震は頻繁にあったし、そもそも「東京周辺で暮らしていくこと」にいろいろな面でもう限界を感じていました。


そして、紆余曲折あって。
2011年夏に開催された「アースデイしが7.03」のときに、滋賀に来ました。

栗東のさきらにはたくさんの人、けれどそのときのぼくたちは、つながりほぼゼロ。
関東で仲よくなった友人一家と、その前に滋賀での合宿で出会った人と何人か再会しましたが。

「心援隊びわこ」に助けていただいて、イベント後に貸してもらう予定のアパートを見せてもらったのです。
(それが今、住んでいるアパート)

部屋を見て、その場で二つ返事で借りることにしました。

そして、その部屋に妊婦の妻と、4歳になったばかりの長男を置いて。
ぼくは引っ越し作業のために、埼玉へすぐに戻りました。



「ひとり暮らし」的な話をするはずが、だいぶズレてしまっている氣もしますが。
話を戻すと、その二ヶ月の間が、ほぼ「ひとり暮らし」状態でした。

料理するのは基本的に好きだけど、やはり誰かのためにつくらなくていい、となると途端にやらなくなってしまうもの。
(正確には、別の階に義理の母も弟もいましたが)

しかも、あのときは夏真っ盛りだったので、ますます「自堕落」になって。
まあ、毎日ひどい生活をしていたと思います。


ちなみに、このお題は「投稿された中から「一人暮らししてみたい」と思わせる素敵なエントリーに、優秀賞」が与えられるんだそう。
とてもじゃないけど、そんなステキなエントリーからは程遠いです(笑)


それでも何とか、引っ越し作業を終えて、9月頭にぼくも滋賀に越してきました。

「ひとり暮らし」状態は、かえって「好きなこと」ができないものかもしれません。
そうは言いつつ、だいぶ好き勝手はしていたけど、氣力はかなり低下していたなぁ。
引っ越し作業を2ヶ月で、というミッションがなかったら、徹底的に「腑抜けて」いただろうと思います。


滋賀に移り住んでからは。
9月半ばから、長男をシュタイナー系の幼稚園に自転車で送り迎えしなきゃだし。
9月後半には次男が産まれて、家事とかもしばらくぼくがやっていたけれど。

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(↑写真は、次男が産まれた日の朝に撮ったもの)

「ひとり暮らし」的なときよりも、大変なことは当然あったはずだけど。
正直、そのときの心境はあまり記憶にありません。

一緒に暮らせる人がいるって、やっぱり幸せだな。
そのときそう思えたかどうかはわからないけど、今なら改めてそう思える。


どちらがいいとか、そういうことではなく。
「ひとり暮らし」も、それはそれで楽しめたらいいですよね。
そのときにしか味わえない経験や学びがあるはずだし、嬉しいことも淋しいこともあるだろうし。

ぼくの場合は、「ひとり暮らし」と呼べるかどうかわからない経験だったとはいえ。
それもまた必要なことでした。


ひとつ言えるのは。
どういう暮らし方にしても、「人とのつながり」というのは大切だってこと。

何を当たり前のこと、と思われるかもしれないし。
人との関係性が煩わしいから「ひとり暮らし」がいいのに、と言うかもしれない。

けれど、「ひとり暮らし」のときこそ、「人とのつながり」のありがたみや重要さを知る絶好のチャンスなんじゃないかな。

「人とのつながり」というのは、何も誰彼構わず会え、ということではありません。
逆に、SNSもTVもOFFにして、〈孤独〉に浸る時間も確保した方がよかったり。

これが、高齢者の「ひとり暮らし」となると、ますます深刻な問題になったりします。
自分自身も可能性としては充分あるわけだから、今から考えてみるのもいいかも。



もうすっかり春めた今日この頃。
昨日(2018.3.19)、雨の中を歩いていたら、桜が咲いているのを見つけました。

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新しい生活が始まる、という方も多いことでしょう。
何かが「変わるとき」って、不安だったり戸惑いだったり、そういうネガティブなものに支配されそうになることも、もしかしたらあるかもしれません。

けれど一方で、ワクワクできることもたくさんあるはずです。
大変だったとこも、過ぎてしまえば笑い話になったりするもの。

この春、あなたにとって「よい変化」が訪れますように☆


最後はいい感じ風に、無理矢理まとめてみました(笑)


                    せれんでぃっぽ☆とむやん