とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

「間」違いは、アップデートの知らせ?


2020年の最後に書いた後悔日記で。
「場違い」という言葉を使った。

ちょっと補足をしつつ、今回は「アップデート」について書いてみる。

ちなみに、「アップグレード」については、これまでも何度か書いている。

アップグレード。 - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)

ぼくはいつでも迷ってる。 - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)


アップデートとアップグレードの違い。
アップデートはまさに「update」、日付的に新しいものに修正したり更新すること。
アップグレードは、性能的に向上させたもの。

ただ、ぼく自身がその違いをしっかり認識していないので、これから書く中で混同してしまうところもあるかも。
(以前書いた「アップグレード。」も、アップデートだったかも)

いずれにせよ、今回のテーマは「同じことをやらない」「新しい方法を常にチャレンジしてみる」みたいなこと。



「場違い」という言葉以上に、「間違い」という言葉の方が説明しやすいのかな。

世間一般で言う「間違い」とは、ちょっとニュアンスが違うかもしれない。
ここで言う「間違い」は、「間」が違うということ。

主に「タイミング」がわるい、というか、合わないこと。
でもそれは、そんなに「わるい」ことじゃない、というか。

合わないなら、合わせればいいか、合うものに変えればいいか。
これは、「場違い」についてもそう。


たとえば、あるお店に行ったら臨時休業だった。
行く前に調べても、そういうことはある。

先日も、オープンの日だと確認して行ったけど、もう閉まっていたお店があった。
年末の最終オープン日で、夕方もしかしたらちょっと早めに閉めたのかもしれない。
どっちにしても、開いてないのだから仕方がない。

その日、そこでするべきタイミングじゃなかったんだな、と受け止めるしかない。


別のたとえを、もうちょっと抽象的?に言えば。

ジグソーパズルで、手にもったものが思ったところにはまらなかった、とする。
それで、いちいち落ち込んだりするだろうか?

それよりは、別のピースを探すか、それがはまる場所を探す。
それの繰り返しだろう。

タイミングというのも、大抵何かぴたっとはまるところが必ずある。
ジグソーパズルほど、はっきりとわかりやすいわけじゃないにしても。


違うな、と思ったら、切り替えて新しいやり方や場所や、別のことを試してみる。
それって、そうやってアップデートしているんだと思う。

そうすると、だんだんタイミングの合うところがわかってくる。
行ってみたら臨時休業だった、というのを減らすことはできなくても、じゃあ違うところ、と切り替えが早くなったり。
そんなことでイライラしなくなったり、それもまたアップデートかもしれない。

遠いところで、行ってみて閉まってたらイヤだな、という場合は事前に連絡して確認するとか。
まあ、そんなの言われるまでもないだろうけど。

そうやって、こまめにアップデートして、たまにガツンとアップグレードしてみる。
アップデートは、軌道修正みたいな感じ、だろうか。



上記の例に当てはまるか、わからないけど。

以前、子どもの用事で河内磐船に行っている、と書いた。
その後、場所が変わってその少し先の住道(大東市)に、今は毎週通っている。

子どもがいない間、ぼくはしばし自由時間。
買いものなどもするけど、その前にカフェでひと息つく。

住道には氣に入っているカフェがあって。
そのひとつ、アメツチというお店。

駅からほぼまっすぐ歩いて15分くらい、だろうか。
喧騒から離れて、隠れ家的な場所にあるのも魅力。

紅茶は種類が豊富で、でも「自家焙煎珈琲」をいつも頼んでいた。
(一度だけ珈琲豆がないときがあって、チャイにしたことはある)

MUSICAの紅茶、芦屋にあるティーハウスのものらしい。

たまたまつい最近、神戸の特集だったか、雑誌でMUSICAが出ているのを見た。
あれ?MUSICAってなんで知ってるんだ?と思ったら、そうかアメツチの紅茶がそれか、と。

そういうのは、間違いの逆、ん~何て言うんだろ?
間が合うというのか、とにかく、タイミングだなと思って頼んでみることに。

f:id:serendippo:20210104005552j:plain


くるみのスコーン(自家製のあんこ付き)と、紅茶。
セイロンティー、サバラガムワ。

それをしたから、すっごくいいことがあった、というわけでもない。
美味しかった、それだけ。

でも、紅茶のおかげ、というわけでもないだろうけど、この後そばの雑貨屋さんを見つけた。
いつもなら駅方面に戻って、買いものに行くのだけど、この日は駅と反対に歩いてみたのがよかった。



「間」違いや「場」違いは、アップデートのお知らせ、なのかもしれない。
違うやり方、いつもとはちょっと趣向を変えてみる。

人は失敗したくないから、新しいことを避けたがる。
同じことを繰り返すのなら、間違いは減る。

けれど、世の中は変化していく。
同じこと、と思っているものも、氣が付けばかなり変わってしまっている。

それに合わせるために、こちらもアップデートしていけばいい。

何なら、お知らせがある前に、日々ちょっとしたアップデートを試みてみる。
些細なことでも、新しいことをチャレンジしてみる。

失敗は起きるかもしれないけど、ここで言う間違いや場違いは減っていくはず。

まあ、ぼくもまだ実験中、だけどこれは性分かもしれない。
どっちの方がいいのか、検証しようがないから。


そうそう、片付けをしていて出てきたTHE BIG ISSUE
2009年の116号に、ポール・マッカートニースペシャルインタビューが載っていて。

「僕らは常に動き続けたいと思ってた。走るのをやめるなと。ザ・シュープリームスがまったく同じように聴こえるアルバムを3枚立て続けにつくったのを見て、僕らは『あんなことはやりたくないな』と思ってた。僕らは1曲ごとにスネアドラムも変えたんじゃないかな。ニューアルバムをつくる時はみんな『前のようなアルバムはつくりたくない。もうやってしまったことだし、そこに行ったんだから。じゃあ今はここからどこに行ける?』って感じだったね」


結局はそう、どこを目指したいか。
別にここでいい、ならアップデートも必要ないかもしれない。
(ただし、時代は変わるから、やっぱり何らかのアップデートは必要にも思う)

でも、それじゃあ満足できない。

ビートルズは、ポールは、少なくとも音楽に関してはそういうスタンスだった。
音楽以外でも、ファッションや発言もそうだった。

ぼくは実生活にもアップデートをもち込みたい、と思っている。
日々の中で、スネアドラムを1曲ごとに変えるようなこと、それを試している。

「違うな」と思うところがあるから、「あぁ、ここだ」という場所やタイミングに出逢える。
人との出逢いもそう。

2021年もまた、定期的なアップデートと、そろそろアップグレードも必要な氣がしている。
2020年は大変なことも多かったから、今年はやっぱり飛躍の年にできたらいいよね、と思う。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん