とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

鬼も内。


今日(2017.2.5)は嬉しいことに、なかなか会えない友人が家に寄っていってくれた。
一時間ほどだったけど、心躍るひとときだった。

またしばらく会えないだろうけれど。
「そこにいてくれる」ことの喜び、そしてありがたさ。

そういうことを、ついつい「当たり前」に思ってしまいがちだ。
「一期一会」、大切にしたいとは思いつつ。

いただいた中国紅茶を飲みながら、そんなことを考える。

f:id:serendippo:20170205225153j:plain



さて、昨日(2017.2.4)は立春でしたね。

その前日が節分、と思っていたけど。
調べてみたら、2025年からは節分は2月2日になるんだと知って、ビックリ。
(2021年になる可能性もあるという)

まあ、それはともかく。
一昨日はいろいろあって豆まきができず、昨日の夜に子どもたちと豆まきをしました。

その際、ウチでは「福は内、鬼も内」の掛け声で豆まきをすることにしています。



以前から、妖怪のことや鬼のことにはとても興味があって。

鬼は特に、昔話などでも「お馴染み」の存在。
それだけに、ステロタイプステレオタイプ)にはめられていることも多い。

見た目は怖い(それもイメージ先行なのかもしれない)けど、案外いい奴かもしれないのに。
外見で判断されるとか、全然「他人事じゃないよ」って思ってしまう。
だから、ついつい鬼や妖怪の肩をもちたくなったりする。


実際、先ほどのように「鬼は外」と言わないところも各地に点在する。
理由はさまざまだけど、やっぱり鬼だって悪い奴ばかりじゃないんだ、たぶん。

例えば、5月の第3日曜日には「青鬼祭」というのがあって。
学僧の朗澄律師(りょうそうりっし)が、「死後は鬼の姿となって石山寺の聖教を守る」と誓って亡くなり、金色の鬼の姿であらわれたのだとか。
そんな風に、いい鬼(という言い方もどうかとは思うけど)もいるわけで。

f:id:serendippo:20170205225727j:plain


(↑写真は昨年の様子、青鬼が団扇を優しく手渡してくれます(笑))


鬼とは本来違うけど、例えば男鹿のナマハゲや能登のアマメハギなどは、むしろ災厄を祓ってくれる存在。
見た目はほとんど同じ(実際には会ったとこはないけど)なのに、扱いがまるで逆。


そうそう、京都で節分祭と言えばやはり吉田神社の「追儺式(鬼やらい神事)」。
ぼくも滋賀に越してから、比較的近いのが嬉しくて、何度か行ったりした。


追儺(ついな)とは、節分の豆まきの元になったとされる宮中の年中行事。

疫鬼を追い払うのは、「方相氏(ほうそうし)」という呪師。
矛と盾をもって、四つ目の面をつけている、正直鬼より怖ろしい姿。

怖ろしいものに対抗するには、それ以上に怖い恰好が必須なのかもしれない。
けれど、その異形の姿が裏目に出たのか、いつしか方相氏が「鬼」とされてしまう。

世間というのは、いい悪いに関係なく、「出る杭」を嫌う。
結局、そうやって切り捨てて「平穏」を取り繕おうとするのは、昔から変わらないのかもしれない。
その辺のことはまた改めて掘り下げて考えてみたい。



さて、節分の話に戻ろう。

あれこれと考えてみればみるほど、何かを排除して自分たちは「平穏無事」でいようとするなんて、ずいぶん身勝手なんじゃないか。
氣もちとしてはわからないでもないけど、それで「福」が招けるとは思えないなぁ。


とまあ、まとまりのない文章になってしまったけど。
また改めて、この辺のことを整理して考えてみようと思う。

そして、本当に「祓うべきもの」は何なのか、それもまた別の機会に。

追記
そんなことを昨年の今頃、あれこれと考えていて。
それをベースのひとつにして、できたのがオリジナル曲の『まつろわぬもの』。

歌ができました♪ - とむやんの氣まぐれ雑想記



                    せれんでぃっぽ☆とむやん

久々に守山。


早いもので、もう2月。

昨日(2017.2.1)は午後、守山駅周辺へ行ってました。

ひとつは、駅西口すぐのセルバ1階にある、「コラボサロン・ラボ」さんへ。
この日は【ヒト+市〜hitoto-ichi〜】が開催されていて。

f:id:serendippo:20170202224021j:plain



お目当ては、「金森商店」さんのお菓子。
いつも人氣なので早く行かないとと思いつつ、やはり出るのが遅かった。
それでもクッキー2種類、買えました♪

f:id:serendippo:20170202224105j:plain


(ココアクッキーとロシアンクッキー、アールグレイ紅茶と美味しくいただきました)

f:id:serendippo:20170202224221j:plain


「地域の女性(主婦)が活躍できるワークショップサロン(レンタルサロン)」ということでしたが、男性でもふらっと行けてよかった(笑)
「コラボサロン・ラボ」の方にチカ守山のパブリックスペースを案内してもらったり、なかなか濃い時間でした☆
今後つながれて何かできたら~と盛り上がったので、新たな展開があるかも?

「金森商店」さんともいろいろお喋りできて、「文章楽しみにしてます」と言ってくれた~♪
とても嬉しいので、もうちょっと宣伝しておこうw

今回は買わなかったけど、「金森商店」さんといえば「とび太くんビスケット」。
このブログを始めたときにも、ちょこっと紹介しましたが。

コーヒーブレイク☆ - とむやんの氣まぐれ雑想記


これ、お土産にしたら絶対喜ばれるよね~、折れないように氣をつけないとだけど。
「金森商店」さんは絶賛育児中なので、ぼちぼちペースにはなるみたいです、fbでチェックしてみてください。

そうそう、出店者は同じではないかもしれませんが。
【ヒト+市〜hitoto-ichi〜】第2回目は3月10日[金]開催だそうです。
アトリエ出店者も募集しているみたい、氣になる方は要チェック☆



もうひとつは、今度は駅東口。

Le lavege(ルラバージュ)さんというレンタルスペースで、CAFE'-TASSE(カフェタッセ)さんが2月の水・木に限定のカフェをやっているということで。
無農薬栽培の珈琲を自家焙煎されていて、とても美味しい♪

f:id:serendippo:20170202232814j:plain


(今回はエチオピアの珈琲とガトーショコラをチョイス)

f:id:serendippo:20170202232928j:plain



この期間、風水整理収納士の方がいらして、なんと15分500円で見てくださるとのこと。
(いらっしゃらない日もあるそうです)
ぼくもまた、家の間取り図もって行きたいと思っています。


ステキなお二方といろいろお話して、あっという間に時間が過ぎていく。
駅前とは思えない、いつもこんなカフェがあったらいいのにと思っちゃう。

2月の水・木、10時~17時のオープン、氣になる方は是非是非☆



時間にしたら、2時間弱しかいられなかったけど。
守山駅まで自転車で20分弱だった、道を選ぶとかなり近いなぁ。

今度また、他もいろいろ巡ってみたいと思います♪


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

旧暦新年の抱負。


今日(2017.1.28)は新月、旧暦の元日。
あけましておめでとうございます。

f:id:serendippo:20170128224703j:plain
(↑写真はあかね軒さんの「はなびらもち」、食べたのは昨日ですが…)


新暦の新年のブログでもちょっと書いたのですが。
今年は、「常に変化して、新しい自分であること」を抱負にしています。

調和の回復。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


滋賀に来てから、そして特に最近はいろいろなことを思い付いては試していました。
それを今年は、もっと加速度的にやっていけたらと思います。


以前UPした、「妄想プロジェクト」。

マジでステキ 12 project☆ - とむやんの氣まぐれ雑想記


ネーミングがイマイチだったかなとか思いつつ。
12個も並べたけれど、発展的にやれていないことが多いなぁ。

半年以上経って、当然変わってきたこともあるし。
せっかくだからこの節目に見直して、ますます楽しくやっていきたいな。



まずは、「双談笑会(そうだんしようかい)」のこと。
長くなりそうなので、詳細は次回にするけれど。

ずっと自分のやりたいことって何だろうと思っていて。

いろいろなところで司会をさせてもらったり、演奏させてもらったり。
文章もあれこれ書くようになって、それでブログも始めてみたり。

今はちょっと停滞中のインターネットラジオも、ブックカフェも。

最近は「口から(先に)生まれた」と揶揄されたりもするけれど(笑)
以前はそんなに喋りたい方じゃなかった。

それが今はいろいろな人と喋りたいし、それ以上に話が聴きたい。


たぶん、それを自分なりに形にしたいと思った。
それが、「双談笑会(そうだんしようかい)」なんだと思う。

ニーズがあるのか全然わからないけど、自分にとってのライフワークにしたいと思う。
そう思いながらもなかなかスタートできずにいた。

というわけで、詳細は次回。
(これだけだと何が何だかわからないと思いますが…)


そう忘れちゃいけない、今年はいわゆる「朝型」にシフトしたいのです。
明日も早いし、この辺で今日は寝ることにします☆


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

セルフ・エフィカシー☆


昨日(2017.1.26)は家で、「どんぐり倶楽部スタートの会」がありました。

f:id:serendippo:20170127130246j:plain


(↑「どんぐり倶楽部」を教えてくれて、そして今回の会のレクチャーをしてくださったゆみこさんが焼いてくれたクグロフ型のケーキ♪)


f:id:serendippo:20170127130304j:plain



「どんぐり倶楽部」とは…、ぼくもまだよくわかっていないので説明できません…。
妻のブログに今回のことが書かれているので、そちらをご覧ください。

まなくらブログ

(↑今見たら、全文が表示されない、なぜなんだろ…?)


実際見てもらわないと、正直わかりにくいかもしれない。
今までの常識をひっくり返してしまう学習法、と言っていいと思う。

例えば、漢字書き取りや算数の計算などが特にそうだけど、繰り返しや反復こそが大事だとされている。
ところが、そこに変化を取り入れた学習や練習の方が効果をより高めるということも、最近は実験などでわかってきている。

「どんぐり倶楽部」には問題集があって、それが一般的に考える問題数からしたら、圧倒的に「少ない」。
けれど、そのことによって「考える力」を高め、そしてそれは「楽しく生きるため」のことだという。

「どんぐり倶楽部」のサイトに、憲章があって。
1.子どもたちの力を信じる。
2.無理なく無駄なく効率的な学習指導をする。
3.〈考える力〉を身につけさせる。

この辺のこと、自分が最近考えていたこととリンクしていて、余計におもしろい。



今までの時代って、「経験則」や「常識」というのが重要視されてきた。
前回書いたけど、これって何かしらの〈過去〉の積み重ねでしかなくて、新しいことをするには実は弱いんじゃないか。

そもそも、「経験してナンボ」っていう風潮が、世間にはまだまだ根強い。
けれど、これからの時代は特に「無駄な経験はしなくていい」。
そんな風にぼくは思っている。

その辺の説明がうまくできるかわからないけど。
失敗を怖れるあまり、「必要な失敗」ができないまま「無駄な失敗」ばかり繰り返している、そんな感じか。
見当違いなことばかりしていても、それって有効な経験には成り得ないんじゃないか。

むしろ、その無駄な経験が新しいことへの挑戦を妨げていたりする。
その悪循環に陥った人は、何に対しても「ど~せ無理」が口癖になっていく。
せっかくの経験が、やらないための言い訳にしか役立っていない。


ノーベル文学賞の一件で改めて注目されているボブ・ディラン
彼はデビューアルバムの録音に際して、ほとんど歌っていなかった曲をセレクトしたという。
普通なら、いつもの得意としている曲ばかりを選ぶだろう。
彼はどうも、「常に新しいことに挑む」ことを自分に課しているんじゃないか。
そしてだからこそ、ボブ・ディランは決して古くはならない。


今回たまたま、「セルフ・エフィカシー」という言葉を知った。
単なる「自信」とはちょっと違う、それは前述の通り〈過去〉の「経験則」でしかなかったりする。
それは「失敗」することによって、それをどう捉えるかに関わらず、積み立てが一氣に壊れかねない。
「失敗」に対する許容が狭くなり、怖れの方が強くなってしまう。

それに対して、「セルフ・エフィカシー」という未知のものに対する「何とかなる」感があれば、とにかくやってみようする。
そこに根拠はない、けれどうまくいく見込みがもてるし、失敗しても軌道修正すればいいと開き直れる。
結果、行動の分母が増えることによって、達成の分子が増えていく。

セルフ・エフィカシー」というのは心理学用語で、ぼくにはちゃんと理解できているかはわからない。
あくまでも、これはぼくの解釈であり、それを表すのにいい言葉だなと思ったので使ってみた。


ボブ・ディランは、セルフ・エフィカシーが高いだけでなく、それを高める意識が強かったんだと思う、自覚があるかないかはわからないけど。

ぼくが敬愛する岡本太郎の『自分の中に毒を持て』は、まさにそんな時代を先取りしていたすばらしい本だと思う。
結局、それは先取りなんかじゃなく、いつだって本質なのだろうけど。

ともかく、「セルフ・エフィカシー」は、これからの〈教育【education】〉を考える上で重要になってくるだろうと思う。
みんな幼いときにはもっていたものなのだし、それを引き出して生かす。

「どんぐり倶楽部」は、その点からも非常にいい学習法なんじゃないかな。
「どんぐり倶楽部の会」はまたやる予定みたいなので、興味ある方は是非☆



久々に長い文章、お読みいただきありがとうございました。
今、書きたいことが山ほどあるので、ちょっとスッキリしたかな。

ちなみに、明日は新月の日、旧暦の新年が始まりますね。
新暦の新年と旧暦の新年のこの期間が、自分には何だかちょっとおもしろい。
ちょっとロスタイム的な感じ、かな。

新暦の年末までにやろうと思っていたことも、なんだかんだでできない。
それを今度は旧暦の年末までにやろうと。
そう言いながら、毎年のように結局やらなかったり…(笑)

けれど、「区切り」があるのはいいことだと思います。

バタバタのまま旧暦の大晦日を迎えていますが、もう一度氣もちを新たに。
これからもよろしくお願いします。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

粘土団子をばらまくように。


前回書いたように、一昨日(2017.1.23)は cafe salon STILLROOMへ。

「この時間帯にカフェにいます」と宣言して、来たい人が任意で集まるという。
そんなちょっとした思い付きのアイデアを、早速形にしてみました。
まだこれといったネーミングが考え付かないので、何だかキレのない説明だけど。

f:id:serendippo:20170123232254j:plain



結果から言えば、予報通り雪が降った影響もあって、思っていた形にはできなかった。

けれど、なぜか「7並べ」をしたり、映画の話や手みやげの本で盛り上がったり、ウクレレ演奏をライブ配信してもらったり。
それはそれで、楽しくてあたたかい時間だったな☆

f:id:serendippo:20170123232345j:plain



もちろん、天候のせいにはしない、そこから「次」をどう捉えていくのか。

「【個別的】くらしとせいじカフェ」も、「わたし誌」づくりも、次はもう少し準備や段取りを考えてみたい。
「ちょっと一曲弾いてみますか」(ちすずさんが名付けてくれた)は、「こたつライブ」実現に向けて、いいイメージができたように思う。

そして、今回のFacebookでの告知が、思っていた以上の反響をいただいた。
それがとっても嬉しかった。
正直、何も反応ないんじゃないかという、そんな懸念もやっぱりちょっとあったし。

来てくださった方、リアクションくださった方、ありがとうございました♡

f:id:serendippo:20170125181630j:plain
(↑ちすずさんが撮ってくれた写真、ちょっと加工しました)



最近、〈夢〉ってどうやって描くのがいいんだろう?とあれこれ考える。
その一方で、〈夢〉というものを過大評価というか、いろいろ詰め過ぎじゃないかとも思う。

結局、〈夢〉は通過点でしかなくて、モチベーションを高めるためにはとても有効。
けれど、〈夢〉がなくても実は全然困らない。

その辺のことはまた改めて考えていくとして。
今回はその〈夢〉のカケラ、〈アイデア〉について。


今回の、かなり自主的&個人的イベント(と呼んでいいのかもわからない)は、ちすずさんとアイデアをあれこれ出し合ってみたことがきっかけになった。

大抵の場合、一個一個の〈アイデア〉をすぐに評価してしまいがち。
「こんなのどう?」と言ってみても、すぐに却下されてしまったり、そうなると次が続かなかったり。

ちすずさんと喋っていると、次から次へと展開して、どんどん膨らんでいく。
前回も書いたけど、「そのときはお互い、嚙み合うような合わないような、どんどん脱線もしていく」から、一見すると収拾がつかないんじゃないかと思う。
どちらかというと、テニスや卓球のラリーよりも、紅白の玉入れに近いかも。

けれど、どうやらそれがいいみたいだ。


イデアは「小さな種」みたいなものかもしれない。
ぼくは畑仕事をほとんどやったことがないので、例えが微妙かもしれないけど。

「自然農法」の提唱者、福岡正信さんの「粘土団子」というのを聞いたことがある。
粘土に複数の種子を混ぜて、団子にして畑にまくというもの。
これが、砂漠の緑化などにも効果的だという。

まかれた団子の中から、その時期や環境に適した種子が育つ。
ひとつひとつの発芽率だとか、どれが最適だとか、人が判断しない。
「自然」に委ねるわけだ。

畑のことに関しては前述の通り、ぼくはわからない。
けれど、〈アイデア〉に関しては、今回のことは粘土団子に近い氣がする。

思い付いたことを団子にして、そこからじわじわと出てくるものに手をかけていく。

〈アイデア〉に関しては、種となるそれはできるだけ「ありきたり」でない方がいい。
たぶん、「経験則」に頼っていても、それは誰かの「過去」でしかない。
だから、大抵の場合新しくなし、おもしろくもない。

その意味でも、「粘土団子」方式は有効なんだと思う。
そこのジャッジも、委ねられるから。


そうやって、育った〈アイデア〉を収穫していくと、氣付くと〈夢〉になっていたり、〈夢〉が見えてきたリすることもある。
また違う描き方もあるけど、その場合でもこの積み重ねは同じなんじゃないかな。

毎回、どんどん「更新」していく、それが楽しい。
さて、次はどんなことをどんな風にやろうかな♪


                    せれんでぃっぽ☆とむやん


【個別的】くらしとせいじカフェ☆


このブログではお馴染みの、滋賀県栗東市安養寺にあるcafe salon STILLROOM。
先日(2017.1.16)もお邪魔して、常連の方々といろいろお喋りして。

f:id:serendippo:20170121225326j:plain



オーナーのちすずさんと、思い付いたアイデアとか最近氣に入ったものとかの話をしたり。
そんな意見&情報交換タイムは、なぜか帰り際が多い。

そのときはお互い、嚙み合うような合わないような、どんどん脱線もしていくし。
けれど、そこからいろいろ削ったり拾い上げたり、くっつけ合わしてみたり。
そこには、確実に何かが生まれている手応えのようなものがある。



そういえば、このブログでは「くらしとせいじカフェ」のこと、ちゃんと書いてなかったかな。

滋賀のお母ちゃんたちを中心に、「くらし」と「せいじ」のことをお喋りする会。
どちらもひらがなで表記しているように、もっと身近で堅苦しくなく、暮らしと政治を語ろうというコンセプト。
そして、政治って暮らしに直結しているよねっていう、再確認にもなっているかも。

とても大好きな企画で、でもこれを自分なりの発展形ができないかなってずっと考えていた。
日常の風景において、政治の話がカフェで恋バナ語るみたいにならないかな、って。

そしたら、もっともっと小さくやってみてもいいなって思って。
名前が先に浮かんだ、「【個別的】くらしとせいじカフェ」にしよう、と。
(個別的や集団的という用語への、アイロニーみたいなもの?かな)

思い付いたまではよかった、でもタイミングなど合わずなかなか実行に移せなかった。



それで、昨日(2017.1.20)ひらめいた。
ちすずさんと意見&情報交換タイムのときに、「アイドルタイム」を活用できないかという話をした。
アイドルタイムとは、飲食業界の用語で「客数の少ない時間帯を意味し、ピークタイムとは反対の言葉」だそうだ。

で、ぼくが好き勝手にあれこれと、アイドルタイムの有効活用アイデアを言ったりしていた。
そうか、その時間帯にやらせてもらえばいいんだ、と。
すぐにちすずさんにメッセージ、了承をもらう。


そんなわけで、こんな告知文をFacebookに投稿しました。

ちょっとした思い付き。

1月23日[月]、滋賀県栗東市のcafe salon STILLROOMに、15時頃~終了の17時頃まで、すみっこにいさせてもらおうと思います。

あまいろだよりの「蟻の牙」にも書かせてもらったのですが、「くらしとせいじカフェ」の勝手バージョン?をやろうと思っています。
名付けて、「【個別的】くらしとせいじカフェ」。
要はその時間に来たい人に来てもらって、お喋りしませんか?という、ゆるい呼びかけです。
(カフェ通常営業中ですので、要ワンオーダーでお願いします。)

誰も来ない時間帯は、名刺代わりに毎月つくっている「わたし誌」づくりをしている予定です。
ウクレレももっていくので、店内の邪魔にならなければ、オリジナルソング歌ったりもするかも。

まったく個人的な、実験的なものなので、どう展開するのかまったく読めません。
しかも、なんかまた雪予報らしいし…。

その時間帯だと行かれないので他の時間に等々、不明な点とかもじゃんじゃんお聞きください。

なお、ゲリラ的にやってもいいのですが、今回は了承いただいての企画です。

 

このブログの宣伝効果はあまりないかもしれませんが。
氣になった方は、是非来てください☆

そうそう、書き忘れたけど、カンパ大歓迎です。
今後の活動の資金にできたらと思います。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

不マジメのススメ。


前々から思っていたことではあるけれど。
不真面目なくらいがちょうどいいや、と改めて思う。

調べていたら、『「非まじめ」のすすめ』という本があるらしい、おもしろそうだ。


そんなことを思ったきっかけは、ほんのちょっとしたこと。
Facebookで、「ノー・パンツ・サブウェイ・ライド」という、ニューヨークで16年間毎年開催されているイベントの記事を目にしたから。

「目的?とくにありません」。今年も開催した、ノーパンツ地下鉄ジャック | TABI LABO


要は、ノーパンツ(ズボンなし)でみんなで地下鉄に乗っちゃうという、それだけ。

イベント開催の理由がいいよね、「楽しそうだし」って。
「何かメッセージを」に対しても、「特にないかな!」なんて、グッときたなぁ。



最近、ぼくの淹れたコーヒーを「美味しい!」と、いろいろな人から言ってもらえる。
絶賛、とまでは言わないまでも、ただの社交辞令という感じでもない。
とても嬉しいし、なんてありがたいことだろう。

でも、こないだは「どうしてなんですか?」と質問されて、返答に詰まった。
ここ何日か考えて、今一番しっくりくる答えかな、というものに辿り着いた。


コーヒーを淹れること、昨今はどうもストイック過ぎるんじゃないかって、感じる。

「ストイック」というのは決して悪いことではない。
けれど、行き過ぎてもっと厳格にもっと真面目にってなり過ぎて、ぼくは正直楽しめなくなって。
あるとき、何だか息苦しいとさえ感じてしまった。

だから一時期、コーヒーを淹れるのを何となくやめてみたり。

それからは、淹れ方のワークショップに参加したこともあったし、本で研究もした。
でも、最終的にはあくまでも「自己流」、頼りは自分の味覚とフィーリング。

端的に言えば、マジメに取り組まない、ただ楽しむことにしたと言えばいいのかな。


そしたら急に、「美味しい」と言ってもらえることがぐんと増えた。

コーヒーをひたすら追求している人たちには、申し訳ないんだけど。
ぼくには不マジメなくらいでちょうどいいんだって、今は心からそう思える。



「真面目」って、語源は〈「まじまじ」と見る目〉。
つまり、「真剣な顔つき」ということらしい。
それが転じて、「おびえ顔の硬い表情や白け顔など」も指すようになったそう。

そういう顔も、もちろんいい。
でも、やっぱりニッコリ笑った方がもっといいかな、って。
ちょっと怖いときあるもん、黙って睨まれているみたいで。

f:id:serendippo:20170121001815j:plain

(↑写真は今回にピッタリ? 昔撮ったものの使い回し、コーヒーとたなごころのパン)


もうちょっと不マジメでいいはず、それくらいで大丈夫☆
コーヒーを淹れるのも、人生も。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん