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今回は、「真ん中」について。
と、その前に。
先日(2021.8.8)、くさつFarmers' Marketに行ってきた。
ナイトマーケットで、17時から20時の開催。
全部で6曲、いつものようにちさちゃんと半々、3曲はぼくのオリジナル曲。
『まつろわぬもの』はぼくがはじめてつくった歌で、ライブでやるのは久々だ。
詳しくは今回書かないけど。
歌詞は、京都大学の人文科学研究所 藤原辰史先生がプチアースデイしが2015で話してくださった「ひっくり返す」という言葉からイメージを広げた。
歌ができました♪ - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)
個人的に氣に入っているのは、その「すべてをひっくり返すんだ」の後。
一番では「いいも悪いもないのさ」、二番は「右も左もないのさ」とした。
そういえば、「ひっくり返す」について、今までちゃんと書いたことなかったみたい。
藤原先生のお話では、「ぼくは大学付属の食堂をひっくり返して、食堂付属大学にしたい」というような切り口だった。
ところで、井上ひさしの『ボローニャ紀行』には、大学は「ひっくり返った」状態からはじまったことが紹介されている。
つまり、学生が教授の人選などもしていた、という。
このことから、実は現状が「ひっくり返って」いて、「ひっくり返す」ことで元に戻るだけ、なんてこともあるのかも、と。
ものごとのいい悪いも、前提が真逆なら、答えは「ひっくり返る」かもしれない。
それから、もうひとつ。
「いいも悪いも」「右も左も」、二元論的であるということ。
そこから少し脱線して、ぼくは「鬼と方相氏(ほうそうし)」のことを連想した。
鬼も内。 - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)
以前、方相氏については書いたのだけど、うまく表現できなかったことがある。
方相氏は本来、疫鬼を追い払う呪師、まあ「ヒーロー役」と言ってもいい。
ところが、いつしか方相氏が「鬼」とされ、追い払われてしまう。
「いいも悪いも」なく、自分たちの計り知れない異形の力を畏れ、それは恐れになり。魔を「排除」してくれたものもまた、「排除」してしまう。
今だったら、ピッタリの喩えがある。
東京オリンピック、結局強引に開催されてしまったけど、反対の声がたくさんあって。
ぼくもさまざまな理由から反対していた。
そういう人たちは「反対派」として十把一絡げにされて、ずいぶんと「悪者」にされた。
ある日、Twitterである作家の方がこんなようなツイートをしていた。
「反対派も賛成派も痛々しい、自然体でいいじゃないか」と。
正直、怖かった。
作家という表現者がこんなことを書くなんて。
(その人の本は絶対読まない、と密かに誓った)
けれど、その人の言う「大多数がそうじゃないか」というのは、残念だけどその通りだとも思った。
そう、多くの人が「メンドウ」になんて巻き込まれたくない。
(まあ、それはそうだろう)
「イジメ」があったとして、加害者にも被害者にも、どっちにもなりたくない。
どっちもいなくなってくれればいいのに、そう思って、黙って過ごしてる。
どっちの火の粉もふりかかってこないようにと、願いながら。
それはある意味、「真ん中にいる」ことであり、それがその人たちにとっての「自然体」なんじゃないだろうか?
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『まつろわぬもの』をつくったとき、「真ん中」というのを想定していなかった。
「右も左もない」なら「真ん中に」とは、正直まったく思い付かなかった。
多少「偏る」ものだし、ひっくり返せば(意識や発想だけでも)何かに氣付けるだろう、と。
「いい」「悪い」が何となくでもあれば、自分の「いい」と思う方に「偏る」ものじゃないか、って。
そうか、甘かった。
「どちらでもない」「関わらない」「知りたくない」、せいぜい「周りの人がいい」というものを選ぶ。
摩擦がおきないように、火の粉が飛ばないように。
そりゃ、投票率なんて上がるわけがない。
「投票に行かない」「いつが選挙か知らない」「どうせ行っても変わらない」
「真ん中」って、ほんとむずかしい。
コーヒーなどでよくあるチャート図、味の分布というのかな。
横が〈酸味⇔苦味〉、縦が濃度〈濃い⇔薄い〉とか。
それぞれの特性で、コクとかキレ、スッキリ系かまろやか系かとか。
「真ん中」はバランス、ということになるらしい。
ものごとはこんなに単純じゃないけど、喩えとしてはわかりやすい。
何人か集まってコーヒーを飲むなら、一種類だけを淹れるなら。
ある人はコクのある方がいい、別の人はスッキリが好き。
そうなると、より「真ん中」に近いのがいいかな、ってなるのはわかる。
ただそれって、「可もなく不可もなく」になりかねない。
(「バランス」がダメ、なんじゃなくて、無難ばかりだとつまらない)
案外「この酸味なら飲める」とか「キレがあるの、結構好きかも」とか。
そう、「バイアス」を外すには「ひっくり返して」みると効果的かもしれない。
「バイアス」とはそもそも、「偏り」を指す言葉。
先入観や偏見は、そのどちらか一方に寄って、反対側を知ろうとしないままの状態。
災害時などの「大したことない」と思ってしまう「正常性バイアス」。
対処として、防災訓練や知識を高めるなど、日常を「ひっくり返す」ことが有効だったり。
この防災の喩えの場合、「真ん中」って存在しないよなぁ。
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脱線したりもしたので、結局本題には辿り着けず。
なので、続きはまた次回書くことにする。
せれんでぃっぽ☆とむやん