とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

後悔日記 2020/4/12


今日(2020.4.12)は、雨。
結構降ったみたい、と言いつつ、実は一歩も外に出ていないのでよくわからない。

お昼過ぎ、『都市を耕す エディブル・シティー』をみんなで観た。
『四月は少しつめたくて』という小説を読み終えた。


『都市を耕す』は、以前上映会で観たことがある。
(2018年5月、STILLROOMにて)

今、期間限定で(2020年6月21日夏至まで)無料試写配信をしてくれている。

上映会のときは、長男もいたけどほとんど観ていなかった。
今ならきっと興味をもつだろうと思ったら、やはり何か植えよう、育てようと言う。

(見たい方は、fbの「Edible City in Japan」から、個人試写用動画のリンクで)

ある意味順番は逆、かもしれないけど。
どこの都市も、エディブルシティーになればいいし、シフトチェンジするいい機会。


それから、『四月は~』。
谷川直子さんが書かれた小説、たまたま図書館で見かけて借りたもの。

著者の方もこの小説も知らず、ただ「四月」ということで手に取った。
安直かもしれないが、こういうタイトルのものはできるだけその季節に読みたい。
たとえ、物語の中では季節が巡るとしても、何となくそうしてしまう。

京田辺の図書館の本は、表紙をめくると帯が貼り付けられていたりする。
そこに書かれた「詩と再生の物語」という言葉を見て、今求めてるのはこれだ、と。

実際、とてもよかった。
どうよかったかは、また改めて書きたい。


何だか、いろいろなものが奪われているんだ、と氣付く。
あれもこれもコマーシャライズされ、中身なんて大して確かめようともしない。

表面が「ポジティブ」であればウケがよく、「ネガティブ」なら顔をしかめる。

食べるということ、健康、言葉、意味、etc.。
中身がいつの間にか抜き取られている。

今、こんな状況だから、じゃない。
それこそ、表面化してきたもの、目を背けてきたもの。

「元に戻る」わけがないし、戻りたいわけじゃない、戻さない方がいい。
たぶんそんなこと、言うまでもないんだろう、と思いつつ。


今日は朝から、ある動画にビックリするやら、腹が立つやら。
それはnoteの方に書こうかな。


夜ごはんは、スパイス料理。

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ニンジンとキャベツのクミン炒めと、ジャガイモとほうれん草のカレー炒め。


 後悔日記 2020/4/12


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

後悔日記 2020/4/11


今日(2020.4.11)は隣町、井手町へ。
妻と自転車で、買いものがてら、ちょこっと桜を見たり。

買いものは大西商店と、かしわ屋さんと。

一年前にも井手町のこと、大西商店のこと、などを書いた。

観音寺と井手町の桜。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


京田辺から、橋を渡り井手町へ。
少し遠回りして、「井手の玉川」沿いを走る。

桜はやはり、もう散り際。
それでもまだ、家の近所にくらべたら残っている方か。

川沿いの道には、ヤマブキが咲いている。
こちらは見ごろらしい。

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土手を下る、かなり細い道を降りてみる。
ここにもヤマブキ、そしてユキノシタ

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そのまま細道を進むと、ちょうど大西商店の前。

今住んでいる周辺で、「オーガニック」のものを買えるところがほとんどない。
大西商店に来ると、あれもこれも買いたくなってしまう。
いや、実際結構買った、かな。


また「井手の玉川」に戻って、今度はもう少し川の上流の方へ。
こちらはまだ、満開に近い桜がちらほら。

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本当は満開の頃に来たかったけど。
今年はなかなか、そういうわけにもいかない。

今日はほとんど人にすれ違わない。
満開の時期はどうだったかなと思うけど、やっぱりちょっと外してよかったと思う。

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土手の下に降りてみる。

土曜日だからか、自転車でお花見に来ている家族もいる。
と言っても、1組か2組、見かけた程度。

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子どもたちと来られなかったのは残念だけど。
一家で、桜が満開の頃に、来年こそは是非。


かしわ屋さんに寄って、赤鶏を買う。
夜はすき焼き(じゅんじゅん)にしよう(した)。


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かしわ屋さんの前の公園、なんか雰囲氣が好きだ。
こちらの桜は、八重。


 後悔日記 2020/4/11


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

後悔日記 2020/4/8


今日は満月、スーパームーンだそう。
さっき、ちらっと窓から見た。


そうそう、今日のお昼頃、ウチの隣にある柿の木にヒレンジャクが来ていた。
スズメ目の渡り鳥、群れで行動するのが特徴。

ヒレンジャク、初めて見た、嬉しい。
毎年必ず渡ってくるというわけではないらしく、出会えたらラッキー。

ちなみに、レンジャクは連雀、ヒは緋色(赤)の緋。
キレンジャクは黄)
キレンジャクではなく、ヒレンジャクだったと思う。

何日か前に、息子たちがヒレンジャクを見たと言っていて。
うらやましいなぁと、思っていた。

せっかくなので、写真も撮ってみた。

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え、これ?って感じだけど、望遠ではないのでこれが精一杯。
いいんだ、見た日を記録したかっただけ、だから。

7~8羽いたのかな、柿の木に止まってキレイな鈴のような鳴き声で会話してた。
警戒心はあまり強くないみたい、でも少ししたら川の反対側に飛んでいってしまった。
(写真はそのとき撮ったもの)


前日、ちょっと腑に落ちないというか、悔しいというか、割り切れないことがあって。
自分としても、反省…じゃないな、でも後悔はしてる。
そういうときは場から離れたり、距離を置いた方がいいとわかっていたのに。

まあ、しかたない、アフターフォローは一応それなりにはしたつもりだし。

でも、わだかまりは残ってる。


だけど、ヒレンジャク見れて、かなり氣が晴れた。


ふと思う、そうか、「後悔日記」は後悔したことも書くだろうけど、「後悔しないために」書くのか。
あれ?もしかしたら、今更かな?でも、そのスタンスは忘れずにいよう。

そう、後悔しないためには、未来を書き換えるのが手っ取り早い。
次、行ってみよう。

 後悔日記 2020/4/8


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

後悔日記 2020/4/5


あ~、なんだか潮目が変わってしまった氣がする。


原発事故後もそうだった、あのときは民主党政権だったけど、似たような感じ。

長期に亘ってくると、当然みんな疲れが出てくる。
殺伐としてくれば、やがて政治に不満が噴出する。

ところが、それがある時期から「政治に文句を言う人」に苦い顔をしてくる。
不満の矛先が、より容易い方へ向いてしまう。

「今は敵も味方もなく」なんて、一見いいように思えるけど。
これが批判するものを敵に仕立ててしまう、そうやって無関心が増長される。
ま、当人には「そんなつもりはない」んだけどね。

ウイルスより、ヒトの方が怖いよ、ほんと。

「被害者叩き」にも似たこういう心理って、名前とかあったりするんだろうか。
そしてたぶん、これが「いじめ」や「ハラスメント」の温床になってるんだろうな。

「おかしい」と声をあげると、その人が白い目で見られる。
王様は裸だよ、何でそれを「見なきゃいいのに」ってなるかなぁ。

今の政府って、何ひとついいところがないとぼくは思うけど、それさえも作戦なのか?
あまりにもいいところがなさ過ぎて、がんばって探してあげちゃうんだろうか?

だとしたら、あまりにも「お人よし」過ぎる。
でも、社会的弱者にはその目を向けない理由が、今度はわからない。
力に簡単に屈してしまう、ってだけか。


『アベコベ⇔シンドローム』の歌詞を大幅に書き直してる。
まあ、それもあってTwitter見過ぎてるよね、とも思ってる。

と言いつつ、このアベコベでチグハグな状況を掴めそうで、また「深海」へと潜ってしまうんだろうな。



と、ここまで悲観的なかんじで書いてみたけど。
(心境ももちろん、どんよりと暗かった)

とりあえず書いてみたら、かなり氣もちが晴れた。
それで済ましちゃうつもりはないけど、「後悔日記」はつけてみてよかったのかも。

やっぱりさ、批判だってすり減ってくから、やりたくないわけで。
いっそ、「家庭内別居」的に、国の中に2つの国家とかつくれないもんだろうか?
携帯電話のキャリアみたいな感じとか。

今また、坂口恭平さんの『独立国家のつくりかた』読んでみたくなった。
それと、さっき『1日3時間しか働かない国』も出てきた。
今ならよりリアルに、実現可能なこととして考えられるかもしれないな。

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 後悔日記 2020/4/5


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

後悔日記 2020/4/4


後悔日記、昨日(2020.4.3)書き忘れたこと。

これ、このタイトルでオリジナル曲をつくってみようかな、と思っています。
そんな思い付きがまずあって、じゃあブログで実際日記もつけてみようかと。

「航海日誌」のもじり、日誌ではないから日記にしたけど。
それを一応「公開する」ということも、含んでいる感じがいいかなと思いまして。

あと、ある時期からこのブログでは「ですます調」に変えました。
理由は忘れちゃったけど、読んでもらうことをより意識した結果、だったかな。

日記は、公開にはするけど、基本読んでもらうことを目的とはしないので。
「常体」で書いていこうかな、と思っています。

「常体」(ですますは「敬体」)と言うんですね、「~だ」とか「である」とか。


さて、前置きはこのくらいにして、初「後悔日記」。



C.W.ニコルさんが亡くなった。
やっぱりショックだなぁ…。

今、弾き語りの動画を撮りたいと思って、計画しているのだけど。
ニコルさんの曲も、追悼としてできないか考えてみる。

ニコルさんの「Sail Down the River」という歌が好きで、イントロをギターで練習したりした。
久々に弾いてみたけど、指が全然動かないや。
もっと練習しておけばよかったな。


午前中、みんなでお花見へ。
観音寺まで散歩してみたら、こんなときでもやっぱり人がたくさん来ている。

近くには行かず、遠くから見るだけにした。
菜の花も桜も、案外遠目で見た方がキレイ、というのもあるけど。

カメラの充電池が直前に切れてしまい、写真は撮らず。

ふれあいの駅でイチゴとでっち羊羹を買ったので、帰ってお昼ごはんの後、おやつに。
カイドウコーヒーのペルーを、ネルドリップで淹れて。

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イチゴは近所のKiitosさんの、「よつぼし」という品種。
でっち羊羹は手づくりのもの、材料もシンプルで予想以上に美味しかった。

ニコルさんの訃報を知ったのは、夕方。
そのとき、スティーブン・キングのツイートのことも知った。

 IF YOU THINK ARTISTS ARE USELESS
 TRY TO SPEND YOUR QUARANTINE
 WITHOUT MUSIC, BOOKS, POEMS, MOVIES AND PAINTINGS

この国の現状では、USELESSは「生産性のない」と訳してもいいのかも。
いずれにしても、「ムダ」こそが有意義だと氣付いてもいい時代じゃないのかな。

黒姫で、焚火を眺めるだけの時間が恋しい。

 後悔日記 2020/4/4


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

後悔日記、つけてみようかな。


4月になりました。
本来なら新生活にドキドキしたり、ウキウキしたりするようなとき、なのだけど。

言うまでもなく、今はCOVID-19の影響で、氣軽に外出もできない状況ですね。

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一昨日(4月1日)、安倍総理大臣は「全国の1つの住所あたり、2枚の布マスクを配布する方針」と発表。
これにはさすがに、各方面から非難の声、Twitterには「アベノマスク」というハッシュタグなどがトレンド入り。
エイプリルフールのネタじゃないのか?とまで騒がれる始末。

ブルームバーグ通信にも「アベノミクスからアベノマスクへ(From Abenomics to Abenomask)」と書かれてしまいました。
あぁ、恥ずかしい国。

「不安解消のため」なら、とっとと総理大臣も国会議員も辞めていただきたい。


さすがに、政府も現金給付を調整しているとのニュースがさっき出ていたけど。
1世帯あたり20万円で、「自己申告制」なのだそうです。

どうあっても、市民には無条件で現金給付をしたくないみたいですね。
税金を、自分たちのお金、って本氣で思っているみたい。

自分やオトモダチの懐に、お金が入ってくることにしか動かない。


マスク2枚ですらも「一世帯」、なんでこんなに「世帯」にこだわるんでしょう?
そりゃ、少子化にもなるわ。



「自己責任」という言葉が当たり前に使われるようになって、もう10年以上。
本当に、本当に生きづらくなりました。

ぼくは、ウチの子どもたちが生まれてきてくれて、本当によかったと思っています。
それはもちろん変わらないけれど、でも今この状況では「父親」になったことを後悔してしまいそう。

政府の対応もそうですが、世間の風当たりも強く、とにかく世知辛い。

いろいろなことがイヤになってしまいました。

ここ最近は、このHatena Blogを更新しても、fbなどにはシェアしていないので。
見る人もほとんどいないなら、ネガティブなことを吐き出す場にしても問題ないはず。

「後悔日記」というカテゴリーで、後ろ向きの日記をつけてみようかな。
ふと、そんなことを思い付きました。

普通の日記でもよかったのですが、家に籠りがちだとどうしてもマイナス思考になってしまいます。
近年は「過去を振り返らない」をモットーにしていたので、「後悔」とか「反省」とかは「しない主義」と言い張っていたんですけど。

案外、書いてみたら「後悔」とは無縁の内容、ってこともあるかもしれない。
それはそれで、出すだけ出してみて、出し尽くすのもアリかな、と。

ちなみに、日記を書こうかなと思ったのは、↓この方のnoteを読んだのがきっかけ。

いまこそ、日記をつけよう|内沼晋太郎|note


これ以外にも、今こそ日記を、というような記事を見ました。
家に籠っていると、そういうものが再注目されるのですね。

宣言したものの、三日坊主にもならなかった、ということもあるかもしれません。
さて、どうなるか。



最後はちょっと氣分転換に。
昨日、家族でお花見をした写真を。

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と言っても、ウチから見える桜を眺めつつ、オープンサンド(と言っておこう)を食べただけ、なんですけど。

卵は、次男が割る係、長男が焼く係でつくってくれました。

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子どもたちには、パイナップルジュースに豆乳を混ぜたものを。
(長男がスムージー?と聞いてきたので、そういうことにしておこう)

家から30歩くらい?の川沿いの桜。
パンを食べた後、近くまで行ってみたり。

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遠出してのお花見ができないのは残念。
でも、近所に桜があってよかった。

来年は、心置きなくお花見を楽しめるといいな。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

比べても、競わない。


氣付けばもう3月も終わり。
今月は特に、新型コロナウイルスのことで、本当にあっという間に過ぎてしまった感があります。

いつ終息するのか、まだまだ予断を許さない状況。
今はとにかく、感染を拡大させないこと、自分にできることをしていこうと思います。
(政治に批判的であることも、そのひとつ)

家に籠りながら、いろいろとやることを考えてもいます。


2月はあれこれ悩んだり、落ち込んだりすることが多かったです。
それも、今となっては懐かしいというか、結局「余裕」があったんだなと思います。

2月の段階でも、新型コロナウイルスのことはもちろん情報としては知っていました。
そのときはまだまだどこか他人ごと、でしたね…。

この状況下では、悩みごとなんて些末なことのように思えます。

ただ、せっかくなので下書きのまま放置していたものをUPしてみます。
「落ち込んでいた」のは2月のことで、今ははっきり言って「それどころじゃない」。

もっとも、落ち込むってのもときには必要なこと、ということも含めて。
そのとき得たことをシェアしたいので、書き残しておきます。



このところ、落ち込むことが多かったです。

原因はわかっていて、それは「比べてしまう」から。

ちなみに、落ち込むことは決して悪いことではないとも、最近は思っています。
「また他人との比較に陥っているなぁ」と氣付くきっかけになったりするし。

ただ、男性にもあるという「更年期障害」なのかも?と、ちょっと思ったりもして。
45になってから特に、体力や健康面がだいぶあやしくなってきて。

これも「悩み」じゃなく、みうらじゅんさんみたいに「老いるショック」とか言って、明るく向き合えたらいいんだろうな。
そうは思いつつ、心の方も一緒に下降していきがち、な感じです。



そんなこの頃ですが、先日こんな本に出逢いました。
『パンのペリカンのはなし』

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ペリカンは浅草で75年続く老舗のパン屋さん。
今の店主は4代目の渡辺陸さんと言う方で、この本の著者でもあります。

ペリカンのパンは超有名なので、ぼくももちろん存在は知っていました。
でも、何しろ天邪鬼なもので、みんなが「いい」と言えば言うほど、スルーしがち。

最近は、たとえそれが広告的に拡散されてブームになったものでも、やはりそれはそれなりの理由がある、と思ってはいます。
そう思いつつ、みんなが飛びつくものには距離を置いてしまうんですけどね。

そういう「有名」なものや「流行り」のものって、色眼鏡で見てしまうもの。
だから、まずは「相手の言い分」を聞いてみよう、と最近ぼくは心掛けていて。


実際、この本も読んで本当によかったな~と思いました。
こんなに魅力的なパン&パン屋さんなんだ、人氣があるのも当然、だなって。

何より、ペリカンのパンを食べたくなりました。
(それとは知らずに、どこかの喫茶店で食べたことはあるかもしれません)

言うまでもないですが、ここまで有名になるには紆余曲折あって。
常に順風満帆、ってわけじゃない、当然でしょうけど。

ペリカンのパン、商品はなんとたったの2つ、食パンとロールパンだけなんですって。

2種類だけに絞ったのは2代目の多夫(かずお)さん。
近所にパン屋さんがたくさんできてきて、小売りから卸し中心に転換したんだとか。
「喫茶店、レストラン、ホテルだけに卸す、高級なハレのパン専門にして、成功した」んだそう。

その理由が、「競争はしたくなかった」から。
同業者で競合して、お客をとったとられたでイヤな思いをしたくなった、と。
で、「そのかわり、この2つでは誰にも負けないものを作ろう」ということで。


とは言え、バブル期には"時代遅れのパン"、その頃は経営的にも苦しかったそうです。
逆に、「堅実で地味なパンは不況の時代に強い」とも。

この本を読んですぐ、ネットで調べたら、昨年の夏にカフェがオープンしていました。
https://pelicancafe.jp/
これはもう是非行ってみたい☆

「効率と丁寧さだと、丁寧さのほうが大切だと思っています」というのも、とても重要な自己分析だな、と思いました。
その辺が、バブル期には不評だった理由のひとつ、かもしれません。
もっとも、いまだに「効率至上主義」なところもたくさんあるし、「丁寧さ」も意味合いが少し変わってきてしまいました。
(その「丁寧さ」については、書かなきゃと思っていることがあるので、またいずれ)

2代目の多夫さんの言葉、『cafe sweets』vol.16に載ったものだそうですが、以下そのまま引用させてもらいます。

 最近はいろいろなパンが流行りますが、流行りばかり追っていてもきりがない
 んですよ。それどころか、もとのところに戻れなくなってしまう。自分の方向
 性を見極めて、それを掘り下げていくことも大事です。一般のパン屋とは違う
 オリジナリティがあれば新しいマーケットも創造できるし、なにより争いごと
 になりませんからね(笑)。

試行錯誤はしているけど、基本的に軸はぶれていないんですよね。
かと言って、自分の想いだけで、それを相手に押し付けるのでもない。

そうそう、これも2代目のポリシーで「食べ物を捨てるのはよくない」ということで。
つくり過ぎず、売切れたら閉店、なんだとか。
最近では、「捨てないパン屋さん」が注目されていたりしますが、その「走り」と言ってもいいかもしれません。


この本を読んでたら、何で落ち込んでんだろう?自分の悩みなんて小さいな、と思えてきて。
ただ、自分の中に「競争心」がまだこびりついていて、なかなか取れないってことにも氣付いたり。

でももう、競争はイヤだなって、つくづく思います。
少なくとも、自分はそのレールに乗りたくない。

だから、本当は「人と比べない」ってことができたらいいのだけど。
比べてみて、自分は違う方を選んでみる、というのもいいのかもしれない。

比べたときに「劣等感」が出てくるのは、「競争心」が出てきてしまうから。
「競う」ことは嫌いだったはずなのに、染み付いてしまっているのかな、

「人と比べる」のをやめよう、と思っていたけど、むしろ「競わなくていい」なんだろうな。



なんて思いながら、さっき更年期について調べていたら。
なんと、「競争心をもつ」ことで男性ホルモンが分泌量が増える、男性の更年期の予防になると。

そうかぁ、せっかくもう「競争」はいいや、で終わろうと思ったのに。

ただ、更年期障害になる男性はまじめで競争心が強い、というのもありました。
きっと「競争心」にもいろいろあるんだろうし、バランスのとり方もあるんでしょう。

ペリカンのパンのスタンスに、その辺のヒントがあるようにも思います。
そして、なんでもかんでも「競争」や「効率」をありがたがるシステムやマインドは、そろそろシフトチェンジするべきとき、という氣もしています。

                    せれんでぃっぽ☆とむやん