とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

ぼくが「作曲」にハマっている10の理由。

はてなブログ10周年特別お題「私が◯◯にハマる10の理由



今回も10周年特別お題。

「私が〇〇にハマる10の理由」、ぼくは「作曲」について書いてみようと思う。
と言っても、音楽理論なんてよくわかっていない、ただの素人です、とまずはお断りしておく。


当たり前過ぎるけど、一つ目はこれ。
◆1.自分の「持ち歌」ができる、それはかなり嬉しい。

素人であれば余計に、誰かが曲を提供してくれる、なんてことはない。
だからこそ、自分で自分に提供するしかない。
そう、自分でつくっちゃえばいい。

単純なことだけど、これは結構な喜びだ。

ぼくが初めてつくった『まつろわぬもの』は、まさに「名刺代わり」になった。

その後、続編的につくった『Slow Walker』もそう、これまた自己紹介のような曲。
今、Facebookの自己紹介はこんな感じにしている。

  吟遊ソングライター。本が好き、珈琲が好き。
 〈ぼくは自由気ままなスロウウォーカー〉 オリジナルソング『Slow Walker』より

もう少しで完成の『もしもしも』もまた、久々に自分のことを書いた曲かもしれない。


◆2.人に喜んでもらえたり、するかもしれない。

自分に向けてつくるだけじゃなく、人に贈るとより「作曲」の世界は広がる。

ベートーベンはこんな言葉を残しているそう。
「墓の下にいても、あなたたちの役に立てる。これほどの嬉しいことがあるだろうか」

先日完成した『点と点と』も、組竹式テントで動画を撮るという、そのBGM用に書かせてもらった。
その『点と点と』を入れて、今までオリジナルは21曲。
その半数以上が、「誰か」に向けてつくったもの。

絵本などでも(特に外国のものは)、「誰々に捧ぐ」みたいな文がある。
「献辞」というらしい。

ラブソングなんかを、いきなり好きな相手に贈るのだと、ドン引きされないとも限らないけど…。
Elton Johnの『Your Song』みたいな、「君の歌だって言っていいよ」ってのは憧れだけどなぁ。
贈っても、贈られても。
(作詞はBernie Taupin)


◆3.「音楽」というものが、より楽しくなる。

冒頭にも書いたけど、ぼくは今もまだ、音楽理論はよくわからない。
わからないけれど、一応それなりには勉強している。

しかし、理論の勉強だけだと、やっぱりチンプンカンプン。

だけど、いろいろな曲をCoverしたりしていると、「あぁ、このコード進行はあれか」と、勉強したことが出てきたりする。
そうやって、段々コード進行のコツもわかってきた、氣がする。

そうすると、以前よりもコード進行が頭の中でわかるようになってきて。
理論としてはさっぱりわからない転調も、頭の中で鳴っている音を再現しようとすると、転調していたりする。

音楽を聴いているときも、コード進行やアレンジなんかに注目してしまう。
聴き方が変わると、ますますおもしろく感じたりする。


◆4.言葉選びの楽しさを知ることができる。

音楽理論がわかったからと言って、作曲ができるわけじゃない。
逆に、わからなくても、何とかなるものだ。

一方で、歌詞。
普段使っている言語(ぼくの場合は日本語)なら、歌詞だって難なく書ける、というわけにはいかない。

そう、歌詞を書くことはぼくにとってはより「ハード」なこと。

つらいときも実は結構あったりするのだけど。
それでも、書くのは好きだ。

韻を意識したり、言葉の響きに対して、以前より考えるようになった。
実はこれ、ダジャレとかを考えているときに似ている、と思う。

小学校5~6年生の頃だったか、クイズとかダジャレとか、ハマったなぁ。
歌詞を書くときのぼくの頭の中は、割とあの感じと近いような。

「テント」から「点と」の連想なんて、ダジャレそのものって感じだし。
クロスワードパズルや連想ゲームのような、そんな要素もあったり。


◆5.世の中の見方、生き方が微妙に変わる。

集中的に歌詞を書こうとしているときは特に、他のことは散漫になりがち。
何を見ていても、そのとき頭にある曲や歌詞に結び付けようとしてしまう。

何というか、常に「ネタ」を探している、と言える。



やっと半分、10個って案外きついな…。

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◆6.「降りてくる」感覚や、シンクロニシティ的なものを体感できる。

この辺は「眉唾」な人には、全然ハマる理由にはならないだろうけど。


で、ここまで一応、どちらかと言うと「ポジティブな」理由を書いてきた。
楽しい、だからハマる、という単純な論理。

でも、プロとしてやっていなくても、創作活動は案外しんどい。
苦しんで途方に暮れて、もう何もかもイヤになったりもする。

だからこそ、「ハマっている理由」ってすごく大事。

みうらじゅんさんのマイブームだって、実はあれはそんなに好きなことじゃなくても、「自分はこれにハマっている」と自分に思い込ませるのが大事だったり。

「作曲」は、「自分はできてる/できた」感がないと、続かないかもしれない。

それでもそうやって続けていると、ほんとに「降りてきた」としか言いようのないこと(メロディーでも歌詞でも)が起こる。
今まさに考えていたことが、開いた本に出ていたり、街中で目にしたりする。

こういうシンクロニシティとか、ぼくにとってはすごく嬉しい「合図」。
山道で迷ったか不安になったとき、立札を見つけてほっとするような、あの感覚。


◆7.言いたいことを表現する、その一歩になる、もしくは訓練になる。

ブログもそうだけど、思っていることや考えていることを言葉にしたい。
うまく伝えられるようになりたい、ちょっとでも「わかって」もらいたい。
そう思っている人は結構いるはず。

文章を書くのもいい鍛錬にはなる、でもそれ以上に「詩」を書くことをぼくはオススメしたい。

もちろん、「短歌」や「俳句」なんかもいい、ぼくもそっちはそっちでつくれたらいいのに、と思う。


◆8.喜びやしあわせは倍に、怒りや悲しみはネタとして利用して半分以下にできる。

5番の生き方が変わる、にもつながる話。
想いを伝えられたり、自分では思い付かないようなことを「受け取った」り。
そういう喜びは、歌の「素材」として使うことができる。

その歌が完成すれば、それを忘れることなく、何度も思い起こせたりする。

マイナスなことは、「ネタ」にしてしまえばいい。
イヤなことがあったとき、「これは歌詞に使えるかも」とか、そうすることで「痛み」が半減されたりする。
失恋ソングなんかも、そういう役目ってあるんじゃないか。
供養、みたいなもの?


◆9.自分でつくったものなので、「権利」は自分にある。

これはちょっと番外編的、かな。
ハマっている理由と、言えるのかどうか。

YouTubeで使うとか、ライブで歌うとか、著作権も自分のオリジナルなら問題なし。
一度できあがったものでも、自分の裁量でどうとでもできる。
(もちろん、多少限度はある)

今はまだないのだけど、曲を提供するようなことがあれば、お金になる。


◆10.理屈じゃない、できた~!ときの達成感。

う~ん、やっぱり10個はきつい。
ここまで書いてみて思うけど、もし「作曲って楽しいよ、ハマるよ」っていうこと自体を歌にするとしたら。

理由は10個もいらない、Aメロひとつに1~2個だとすると。
Aメロ3番までつくるとしたら、6個で足りるだろう。

まあ、そんなことを愚痴っても仕方ない。
8番で書いたように、ほんとにそんな歌をつくって、これを「ネタ」にしてしまおうか。

最後は、「達成感」。

これがあるから、次もまたやろうと思える。
完成したとき、それを人前で披露したとき。

9番でお金のこともちょこっと書いたけど、この「達成感」とつながっている。
「作曲」を軽んじられて、「タダでいいよね?」となったら、それは悲しい。
どれだけの労力と時間と、さまざまな経験と、それを「ない」ものとして扱われるのはつらい。

ピカソの40年と30秒」という逸話、これが事実あったことなのかは不明だけど。
30秒でナプキンに描いた絵もタダではないという、わかりやすい話ではある。

ちょっと脱線したので元に戻すと。

真ん中で書いたように、やめてしまいたくなるときもある。
「やめる」なんて言うけど、自分はそもそも「作曲」なんてできない、向いてない、と落ち込んだり。

小説家で、「売れっ子」と言っていいような方でも、執筆は正直しんどいそうだ。
何人も、Twitterなどでそうつぶやいているのを見た。

「作曲」だけじゃなく、創作活動というのはそういうものかもしれない。

そして皆、だからと言って書くことは嫌いじゃない、と。

クロスワードパズルの喩えを出したけど、ジグソーパズルとかもそう。
何でハマるの?と言えば、完成したときの高揚感、あれを目指してまたイバラの道を進んでしまう。

ぼくは40歳過ぎまで、ひとつも曲がつくれなかったから。
それを考えたら、今はほんとにしあわせなことだ、と改めて思う。

「歌づくり」については、カテゴリーもつくったし、これからも書いていくつもり。
とむやん歌づくり 01/作詞について - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)

今回のお題については、ひとまずここで終わりとしよう。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん