とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

とむやん歌づくり/呼応や対比、そしてダジャレ


「歌づくり」について、どこまで書いたんだったか。
まとめてから順番に書いていこうとすると、結局書けないまま放置になってしまう。
なので、とにかく書き残して、後で整理したものを再投稿した方がいいのかも。

ということで、思い付いたものを今回は書こう。

ちなみに、昨日(2021.12.22)を自分なりの締め切りにしていた『ねこなーで』。
案の定、完成には至らなかった。

一応年内完成を目指して、引き続き悪戦苦闘するつもり。



で、『点と点と』とか『ねこなーで』をつくっていて、ぼくの歌詞の書き方の特徴?をひとつ、書き記しておこうと思った。
自分にとっての「コツ」、と言ってもいいかな。


以前、『点と点と』のBメロについてちょこっと書いた。
当初この曲のBメロは1番だけのつもり、だった。

ところで最近、歌(というか歌詞が)長くなり過ぎないようにしている。
ビートルズでも初期のような3分前後って、実は理想的かも。

とは思いつつ、短くまとめるのはほんとむずかしい。


『点と点と』のAメロは、最初から3番までつくるつもりだった。
Bメロも浮かんで、構成は[A1、A2、B1、A間奏、A3]みたいな流れを考えて。

それが、「魔法でも科学でも」の「魔法」と呼応する言葉を思い付いてしまった。
それでBメロ2番「野望とか夢だとか」で、これをやっぱり入れたい、となった。

でも実際、1番だけよりも2番3番があった方が、ぼくは歌詞が書きやすい。

何しろ、メロディーだけではかちっと決められないことが多くて。
文字数などで微妙に変えたり、イントネーションによっても当然変わってしまう。
ある程度流動的というか、曖昧にしておいた方が後で固めやすい。


Bメロは前半の「魔法~何だっていいから(けど)」まではすぐに出てきた。
後半がかなり苦戦して、途中でもうだいぶ方向性を見失ってしまって。

こういうときは、2番があるとそっちから固めていくことができる。
呼応する言葉を探したり、話の流れの落としどころを考えたり。

前半は、それがすぐ浮かんだ。

 B1/魔法でも科学でも 何だっていいけど
 B2/野望とか夢だとか がんばってきたのは
(2行目の最後、「けど」とか「のは」とかは、後半が決まってから変えた)

後半の2行は、1番2番とも何度も書き換えた。
正解があるわけじゃなく、でもしっくりくるものでないと、結局やっぱり氣になって。

正解はないけど、でもパズルみたいにピタっとはまる感覚はある。
それを探すのには、2番があった方がやりやすい。

例えばサビは、洋楽なんかは特に、2回3回歌っても歌詞は一緒、のことが多い。
それに対してぼくは、サビもまた2番3番をつくりがち。

その辺、マンネリにならないように曲によっていろいろバリエーションがある。
それを全部書くと大変なのでやめておくけど。

サビに関しては、自分のオリジナルで完全に1番のみなのは。
今チェックしてみたら、『太陽に問う』と『向町』だけ、みたいだ。

 太陽に訊いてみればいいのさ
 太陽に訊いてみればいいのさ
 世界中に大笑いされたって平気で
 自分のやりたいようにやるんだ
  /『太陽に問う』サビ

 向町のみんなに「ただいま」って言いたい
 愉快な歌と笑顔が恋しくて
 心躍る再会
  /『向町』サビ



と、ここまで書いてみて氣付いた。
Aメロは、あまり呼応や対比はさせていない。

Aメロはもう少し自由に、むしろ物語的には「起承転結」をつくりたいから。
(「転」はBメロ、にしたりするにせよ)


『点と点と』のAメロ出だしに関しては、呼応する言葉を探すところから生まれた。

点と点、に対してそれを展開させたら?と。
それですぐ浮かんだのが、線と線、面と面で、語呂も近い。
(てん、せん、めん、とどれも2文字目が「ん」

これまでの例で言うと。

『よりそうる』では、「巡り巡り」のような、繰り返しの言葉を呼応させている。

 「広い広い宙(そら)に」
 「巡り巡りながら」
 「いつもいつも人は」
 「高く高く空に」

で、最後は「歌を歌うように」と、ちょこっと変化をさせたところがミソ。

これのおかげか、『よりそうる』の歌詞はあまり悩まずに書けた。


と、ここまで書いて、思い出した。
大事なことを忘れてた。

「韻を踏む」のって、この呼応の一番ポピュラーで典型じゃないか。
ただこの場合は、1番2番というより、Aメロなら同じAメロ内の前半と後半(2行目と4行目だったり)で呼応させる。

日本語では脚韻(詩の行末の音節を揃える)は難しい、とぼくは感じている。
だから、頭韻や、部分的に寄せる(韻ほど一致していない)のもよく使う。


『ねこなーで』でも、サビは1番2番があって。
ほぼ1番ができあがってからも、2番のためにいくつか修正をした。
(現在、サビ部分は一応完成)

イメージとしては、2番をつくりながら、言葉をどうしても増やしたい(減らしたい)場合は1番を見直してみる。
今回も、1番を「座っていて」→「居座っていて」に1文字増やした。

それから、これはまた改めて書くけれど、曲の中ではできるだけ同じ言葉を何度も使わないようにしている。
(別の曲についても、ついつい同じ言葉ばかり使いがち、ではある)
「座り込んで」に一度は変えたのに、「込んで」のかぶりがあったので、元に戻した。
(その後、居を付けた)


ざっと思い付くままに書いてみた。
書き残したこともあるかもだけど、それはまた改めて加筆修正しよう。

と、ここでもまた思い出した。
短歌でも、あれは1番2番がないわけだけど、あの短い中でも言葉の響きを揃えたりするんだそう。

あの有名な「サラダ記念日」も、実際には七月六日でもサラダでもなかったとか。
「鶏のから揚げ、しかもカレー味」、それを「サラダ」にしたセンスにはほんと脱帽。
で、「七月」と「サラダ」のS音が響き合う爽やかさ、で選ばれた言葉、とのこと。

ぼくも、単語は響きやイメージ先行で選んでいるはず。
ぼくの歌詞は実際にあったことばかりではないし、俵万智さんを引き合いに出すなんておこがましいかもしれないけれど。

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歌詞を書くようになって、実は結構「ダジャレ」的センスって必要な氣がしてる。
小学校高学年のとき、ダジャレを研究?したりしてたのって、ムダじゃないんだな。
なんて、その頃の経験が今に生きているわけではないからなぁ、残念。

でもほんと、昔の短歌とか掛詞だらけだし、「ダジャレ」とは違うセンスだとは思う。
(澪標=身を尽くし)

でもでもやっぱり、「ダジャレ」も案外捨てたもんじゃないのかもね。