とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

「私は大丈夫」論。


氣付けばもう9月。
ありがたいことに、今月はキペルス・パピルスでのLIVEがいくつか入っている。

一昨日昨日と、練習day。
昨日は合間に、ちさちゃんと曲づくりをしてみる。
初めての試み、いい感じに進みそうな手応え☆

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ちさちゃんが焼いたビスコッティと、あきさんが淹れてくれたコーヒーと。
やっぱり、〈ブレイク〉って大事。


自分の曲づくりなどもあると、なかなかブログに取り掛かれない。
今日(2017.9.3)は久々に、雑感を短めに。



〈違和感〉を大切にしたい。
最近改めて、強く感じている。

何とは説明できなくても、小骨が喉に引っかかったように、氣になってしかたがない。
〈違和感〉は自分に必要な「サイン」なんだと思う。

もちろん、人によって感じ方はさまざまだから。
誰かにとっての〈違和感〉が、誰かにとっては「どうでもいいこと」でしかない、ということも当然ある。

でもだからこそ、相手の〈違和感〉にも耳を傾ける姿勢というが大事なのかなと思う。
残念ながら、取り合わずにすぐ「スルー」してしまうことの方が、きっと多いはず。


自分が〈違和感〉があることを伝えても、「え~、そうかなぁ?」の一言で終わってしまうことがよくある。
それでは「対話」にならない、というか、そもそも「対話」を求めていないのかも。

ぼくはそれを、〈「私は大丈夫」論〉と名付けてみた。



ジャズミュージシャンが、コンサートの演奏で暴走した男子中学生に手を上げたことが話題になっている。
その賛否についてはいろいろあるのだけど、また別の機会があったら書きたいと思う。

それについて、あるところでこんな意見を目にした。
「自分が子どもの頃は、往復ビンタなど当たり前の時代だった」。

だから何?と言いたい。
そんな「封建的な考え」を、いつまで大事にもっているのだろう?

それこそ、典型的な〈「私は大丈夫」論〉じゃないかと思う。
そして、それでは何も発展しない。


〈違和感〉にしても、〈是か非か〉についても、まずは「聞く耳をもつ」ところから始めてみたいものだと思う。


追記:
ちなみに、その相手と関係をつなぎたくないのであれば、〈「私は大丈夫」論〉は有効な「防御」になりうるかもしれない。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

わたし誌4号。


「わたし誌」、4号が完成しました。
しました、といいつつ、ほとんどをもう渡してしまったので、手元にはほぼ残っていませんが。
元々は、春に出そうと思っていたものなので、すぐに次の号をつくりたいと思います。

わたし誌。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


今はまだ埼玉の実家にいるので、滋賀に帰ったら4号のPDF版を下に貼り付ける予定。

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おかげさまで4号は、結構好評でした。
これまで基本「手書き」でやってきたのだけど、今回のは罫線だけワープロソフトのものを使用。
(余計な線を消したりは、今までもPCで処理していました)

切り貼りも手作業だったのだけど、今回はスキャナーで取り込んでレイアウトしました。

それでもむずかしいことはしてないと思うので、誰でもできると思います。
ぜひ、それぞれの「わたし誌」をつくってみてください☆


そうそう、6月に開催された藤原辰史先生の食堂付属大学第5講座。
そのときなんと、ミシマ社の三島邦弘さんいらしていたので、ちょっと話することができました♪

「理想」をもとめて。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


そこでお渡しした「わたし誌」の3号で、ちょうど三島さんの『計画と無計画のあいだ』を紹介していたので、喜んでいただけて。
あのときは4号がなかなかできず、仕方なく3号を増刷したのだけど、それがかえってよかった。

「わたし誌」をつくっていると、そんな嬉しいこともあります。


そういえば、今回の「わたし誌」は、一応このブログとの連動に、何となくなっているのでした。
間が空きすぎて、すっかり忘れていたけど。

東京さんぽ《駒場東大前》 - とむやんの氣まぐれ雑想記

埼玉さんぽ《浦和》 - とむやんの氣まぐれ雑想記


小さな小さな映画館。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


東京さんぽ《千駄ヶ谷》 - とむやんの氣まぐれ雑想記

カフェ・ド・アクタのこと。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


そういえば、《清澄白川》と《御茶ノ水》が書けてなかったなぁ。
だいぶ時間が経っているけど、機会があれば。



さて、今日から3日間はイベントづくし。
どれもこじんまりと、のんびりやります。

埼玉・川口市のカフェ・ド・アクタにて。
関東の方、よかったらふらりと遊びにきてください☆

今日は「【個別的】くらしとせいじカフェ」を、通常営業中の一角でやります。
簡単に言うと、くらしのことやせいじのこと、ざっくばらんなお喋り会です。
14時から18時の好きな時間にお越しください、料金はお氣もち、ドネーションで。

www.facebook.com

                    せれんでぃっぽ☆とむやん

スパイシー大作戦、始動☆


一昨日(2017.8.12)から、埼玉の実家に帰ってきています。
昨日は早速、とてもおもしろいことがあったのですが、それはまた後日。

まずは、帰省前に!と思って、滑り込むようにやったイベントのこと。



イベント、といっても、いつものようにこじんまりとした、ゆるいもの。
名前は「スパイシー大作戦」と仰々しいタイトルですが、もちろん例のごとくただの「洒落」です。

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はっきりと言ってしまえば、このパロディーロゴがつくりたかっただけ、かも?


以前、「望想project」について書いたけど、その中のひとつにも入れていました。

マジでステキ 12 project☆ - とむやんの氣まぐれ雑想記


そのときはサブタイトルに、 「男のベジ料理共室」としていて。
「共室」は、「教室」よりもともに学ぶ感じを出したかった、そんな造語です。

料理、ぼくはいつも目分量だし、ほぼ独学。
なので、「料理教室」なんてできないし、そういう方向ではあまりやろうとも思っていません。

とはいえ、実際やってみてわかるのは、見てもらって食べてもらうだけでも、だいぶテンパってしまうこと。
今後、その辺は工夫が必要かも。

ただ、「スパイスって、どう使っていいかわからない」という方が案外多いので。
氣軽に使えるちょっとしたアイデアやコツを共有できたら、いいなと思っています。



さてさて、能書きはともかく。
実際につくった4品を、簡単に説明したいと思います。


今回、カレーは二種類つくりました。
スリランカカレー、あくまでも「風」ですが。

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ひとつは、バターナッツかぼちゃとピーマン。
こっちはココナッツファインと豆乳を入れてみました。
スタータースパイスに、フェヌグリーク。

スパイスにはいろいろな使い方があって、スターターで最初に油に香りを移します。
フェヌグリークは馴染みのないスパイスかと思いますが、これをスターターで使うと、一氣にスリランカ風に。


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もうひとつは、ツルムラサキとジャガイモのカレー。
こちらにはココナッツは入れず、トマトを使いました。

そうそう、カレーには今回はあらかじめブレンドされたスパイスを使ったのですが、いわゆる一般的なカレー粉とはちょっと違います。
スリランカ風にはカレーリーフレモングラスが入っていて、香りも爽やかな感じ。

二種類とも同じスリランカのカレー粉を使ったので、かえって味の違いがわかりやすかったかなと思います。
後者の方のスターターにはマスタードシード、仕上げにガラムマサラ少々とアジュワイン(アジョワン)を入れてみました。

それと、どちらのカレーにも鰹節が少々、入っています。
(それを入れなければ、ベジ対応にもなります)

モルディブフィッシュを入れるのがスリランカ流なのですが、鰹節で代用できるし、自分たちの口にもよく合います。
後者には醤油も隠し味に使いました。


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付け合せは、キャベツのマッルン。
マッルンとは、スリランカ風炒めもの、という感じでしょうか。
実際のものは食べたことがないので…、あくまでも「もどき」ですが。

今回はキャベツを使って、スターターにクミンシードとカレーリーフを使ってみました。
ターメリックも入れたので、写真よりももっと黄色が強い印象です。
これにもココナッツファインを入れて、玉ねぎはカレー二種で使っているので、これには入れませんでした。


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最後は、ナスのモージュ。
(写真がちょっとピンボケですが)
揚げたナスを、お酢を使って炒めたもの、という感じです。

スターターにはマスタードシードを使いました。

繰り返しになりますが、あくまでも「もどき」です。
厳密にはスリランカ料理とは違うと思います。


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みんなでご飯タイム、子どもたちにも好評だったようです。

一品、メイコがつくってくれたジャガイモをスパイス塩であえたものも美味しかった。


スパイスって、ちょっとハードルが高く感じてしまいがちですが。
ちょっとしたコツがわかると、料理のバリエーションも広がるし、より楽しくなると思います。

夏場でなくても、スパイスは活躍します。
スパイス大作戦、これからもぼちぼちやっていきたいと思います☆



告知をして、今回は終わります。

埼玉県川口市の実家、カフェ・ド・アクタでイベントをします。

◇8月18日[金]14時から18時ごろまで、お好きな時間に
【個別的】くらしとせいじカフェ
主催:岸田知之
料金:ドネーション(そのときの直感、お氣もちで。お金でもお金じゃなくても)
アクタ営業時間内ですので、要ワンオーダーでお願いします。

◇8月19日[土]10時オープン、10時半から12時ごろまで、13時クローズ
オルタナティヴ・ブックカフェ【ABC】
主催:岸田知之
料金:900y(ワンドリンク付き)
この日、アクタは通常営業お休みです(夏季休業)

◇8月20日[日]14時から15時半くらいまで
「新しい時代の教育トーク」&「まいまいゆんたく(質疑応答やフリートークの時間)」
主催:きしだめいこ
料金:1200y(ワンドリング付き)
この日、アクタは通常営業お休みです(夏季休業)
12時から、スリランカ風カレーのランチ、あります(800y)

(それぞれ、後でfbイベントページをつくる予定です)


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

もしもこの世界が、善人と悪人にきっぱりと割り振れるなら。


もしも世の中が、善人と悪人にきっぱりと割り振れるなら。
善人は生まれたときから善人で、悪人はどう転んでも悪人のままなのだとしたら。

映画やマンガを見ていると、そこまではっきりとではないにしても、わかりやすく割り振られていることって、結構ある。

子ども向けの単純なものだったりしたら、善玉と悪玉はかなりきっぱりと分かれる。
(別に子ども向けのものを蔑んでいるわけではない、念のため)


例えば、ぼくは「トランスフォーマー」というアニメが大好きだった。
善玉であるサイバトロン(Autobots)と悪玉であるデストロン(Decepticons)は、ご丁寧にもそれぞれのロボットにエンブレムまで付いている。

2007年の映画も観たのだけど、こういうものにストーリーを期待するべきじゃないとわかっていながら、あまりにひどくてガッカリした記憶がある。
(どうガッカリしたかは全く憶えていない)
まあ、「勧善懲悪」はわかりやすい分、リアリティからはかけ離れてしまいがち。

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いや、でもちょっと待って。
もしかしたら、そんな「勧善懲悪」の世界観を本氣で信じている人って、実は多いのかもしれない。

さすがに、エンブレムが付いていたりとか、表面的にそれがわかるとまでは思っていないだろうけど。
でも、案外その「まさか」、なのかもしれない。

日本人は自分も含め「善人」なのであって、悪人と思える人には「サヨクかザイニチか」などと言う。
もしくは、「反日」という言葉によって、エンブレムで分けたいのかもしれない。

ちょっとざっくりと言い過ぎかもしれないが、レイシスト選民思想ってのはそういうところにつながっているんじゃないだろうか。

「私は日本人」→「日本人は素晴らしい民族だ」→「だから私は素晴らしい」
本氣でそんな論法を信じているのだろうか、でもそうとしか思えなかったりする。

日本人は素晴らしいというのは、それ自体はもちろん悪いわけではない。
けれど、どうして他の民族と比べたり、貶めるようなことを言わなければいけないのか、理解に苦しむ。

そうでもしないと素晴らしさが証明できないと思っているのだろうか?


「私が正しいと言ってるのだから、正しい」。
「悪人が言ってることだから正しくない」。

嘘みたいな話だけど、こういう論理がまかり通るようになるのか。


なんというか、別に意見の合わない人とまで「仲よくしろ」とは思わない。

意見が違ったり、主義主張がまるで逆だとしても、それで「敵対」する必要はない。
そういう場合でも相手の意見に耳を傾けてみる、そんなスタンスでいたいとは思っている。

けれど、それが「誹謗中傷」の類のものなら、相手にしなくていい。
むしろ、相手にするべきではない、と思う。

それは、「誹謗中傷」だとレッテルを貼るとか、そういうことではない。
前半に書いたことの逆をやっているわけではない。

もちろん、その可能性には留意する必要がある。

たとえば、相手がとても差別的だと思ったとしても、「レイシストだ!」と糾弾することが、果たしていいのかどうか。
それだと結局、「同じ穴の狢」でしかないのかもしれない。

ただし、その相手が権力者だとすれば、ちょっと違ってくる。
それでも言い方には氣を付けるべきだと思うけど、いずれにしてもそれが「人格攻撃」になってはいけないと思う。

そこは、右も左も関係ない。
「人格攻撃」は初めから「対話」を拒否しているし、論点をすり替えているだけだ。

何よりも、人格を「裁く」ことなど、誰もやっていいはずがない。


この世の中は、善人と悪人にきっぱりと割り振ったりは、残念ながらできない。
相手を悪人だと決めつけること自体が、「人格攻撃」の一手になりうることを、忘れてはいけないのだと思う。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

アベコベ⇔シンドローム


いきなりだけど、「人づくり革命」って、なんなんだ…?
「みんなにチャンス!構想会議」は、意味はわかるっちゃわかるけど。
あまりにも白々しいというか、何というか…。

スルーすればいいんだろうけど、それにしてもちょっと、これはないだろう。



さて、本題。
前回の続きは後回しにして、今日(2017.8.3)は別のこと。


先月の「オーガニック&つながるマーケットしが」。
その前日にできあがったオリジナルの曲を、歌わせてもらいました。


まずは、この日の「オーガニック&つながるマーケットしが」の簡単なレポート。

この日の野外寺子屋は、教育をテーマにしての座談会。
妻も参加、ぼくも司会として参加させてもらいました。

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特におもしろかったのが、飛び入り的に参加してくれたおふたり。
ひとりは、Midori-yaさん。

flower

かなり個性的な方、すごくいい話が聞けました。

もうひとりが、高校生の女の子。
アメリカへの留学をきっかけに、今の日本の学校に違和感を覚えたそう。

この女の子は、5月からギターを始めたというので。
「是非歌ってよ」と言ったら、本当に歌ってくれた♪

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物怖じしないというか、その度胸に感服しました。
ぼくは後ろで、ちょこっとパーカッション参加。
(↑写真はちさちゃんが撮ってくれたもの)

ちさちゃんも彼女に触発されて、キペパピ(2人編成)としても急遽演奏することに。

そうそう、その彼女は早速、アフロック温泉(アフロ温泉改め)にスカウトされてましたよ(笑)


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そのアフロック温泉、今回も最高のパフォーマンス☆


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ねっこのおふたり、いつ聞いてもすばらしいです。

ちなみに、8月はマーケットお休み。
次の「オーガニック&つながるマーケットしが」は、9月17日[日]の開催。



この日、nanaotoのnaomiちゃんの歌にも、ウクレレで参加させてもらいました。
そして、その後に自分のオリジナル曲発表。


タイトルは、『アベコベ⇔シンドローム』。
以前つくった『平々凡々な世の中』という曲の、続編的なもの。

アベコベな今の現状について何か書きたいと思って。
隠すまでもないだろうけど、最初の思い付きは「政権批判的な内容」でした。
でもどちらかというと、メディアだったり、簡単に情報に振り回される人々のこと、という感じなのかな。

まるっきり逆のことを言っているfbの投稿などを見ていて、この感じはなんなんだろう?とずっとモヤモヤしていたので。

「情報に振り回され」というのも、例えば真逆な意見の人たちが、「なぜか報道されないこと」と言って、今のメディアのあり方を嘆いている。
どっちが正しいとかではなく、ただこれって、それぞれ違う形で対立させられているだけなんじゃないか、って。
まさに、「夷を以て夷を制す」。


実際にはその辺のこと、うまく歌詞にできたかどうかはわかりませんが。
曲としては、結構おもしろいものになったかなと思っています。

ひとつ、補足を書いておくと。
「足元を掬われるだけ」という歌詞があって。
これって、本当は正しくは「足を掬われる」なんですよね。

でも語呂の関係と、案外「足元を掬われる」って、ニュアンスとしてはこっちのが適しているのでは?と思ったので。

普通で言えば、「足元」って掬えないわけですけど、精神的心理的な部分で言うと、「足元を掬われた」感って、なんかわかる氣がして。
「足を掬う」って、なんかちょっと直接的な攻撃のイメージがあって、でもネットとかの誹謗中傷って「足元を掬われる」的な匿名性の高い感じですよね。

でもまあ、やっぱり語呂が大きいかな(笑)

もうひとつ、「一日天下」という言葉も使われる言葉ですが、元々は「三日天下」の派生ですよね。
これも結局、語呂で選びました。

最後に歌詞を載せておきます。
マーケットで歌わせてもらったときから、一部歌詞を変えました。

かなりしっくりきているので、歌詞の変更はもうないと思います。
(あった場合は、こっそり修正します)


                    せれんでぃっぽ☆とむやん


アベコベ⇔シンドローム

A1】
救いの手求めても
足元を掬われるだけ
存在の意味なんて
考えもしないのだから


A2】
生活の歯車が
破綻して空回りする
心配の押し売りは
言いなりにするためなのに

B1】
Woo 小さな声はすぐにかき消されて
Woo 見せかけの多数派は張り子の虎を放つ

サビ1】
アベコベな心情 常識を振りかざして
ウヤムヤな現状 饒舌に欺いて
恐怖にスリ替える
 
A3】
監視して禁止して
つぶやきも脅(おびや)かされて
看板を偽れば
真実は逆さまになる

A4】
弁明は  無機質に
誤解だと責任転嫁
不都合は知らんぷり
対岸で一日天下

B2】
Woo 相手を貶(おとし)めれば 蔑(さげす)まれて
Woo 迷惑には厳しく 身内にだけは甘く

サビ2】
チグハグな印象 正体をひた隠して
アヤフヤな友情 条件で蹴落として
評価もカネ次第
 
サビ3】
アベコベな信条 情報に疲れ果てて
アチコチで炎上 冗談で済まされない
ドタバタの劇場 上出来のひとり芝居
イザコザの元凶 競争に巻き込んで
勝利はダレのもの?

43歳。


氣付けば、今日(2017.7.31)で7月も終わり。
このところ、暑かったりなんとなく忙しかったりで、ブログがほとんど書けませんが。

いろいろと元氣に楽しく、活動しております。



先日、7月21日に誕生日を迎えて、43歳になりました。

fbの方でもたくさんのコメントをいただきました。
この場で改めて、ありがとうございました☆


今年はなぜか、いろいろな形で祝っていただくことが多かったので、嬉しかったです。


昨日は日野の向町caféでのウクレレだったのですが。
前半の発表のときに、サプライズで「Happy Birthday」を弾いて、みんなで歌ってくれました♪

予期していなかったのと、妙に照れてしまって、だいぶソワソワしてしまいましたが。
本当にありがたいなぁと思います。

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栗東のSTILLROOMでのウクレレサロンは、ちょうど誕生日当日だったこともあって。
いろいろ誕生日のプレゼントをいただいたりもしました。

急遽参加したいと、「すこやかなおやつ under tree」のゆうこさんが、バースデイクッキーを焼いてきてくれました♡

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STILLROOMのデザートも、誕生日仕様のFruit punch☆

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ウクレレサロンから帰ってきたら、友人がシフォンケーキを届けてくれていました♪

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今年は美味しいものたくさんで、とっても嬉しかったなぁ。
シフォンケーキは次の日の朝に、みんなでいただきました。

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もうひとつ、食べたケーキがあるのだけど、それはまた別の機会に書きます。
うちでお祝いしてくれたときのデザートのことなども、そのときに。



一年前の誕生日はどんなだったかなぁと見てみたら。

飛躍年☆ - とむやんの氣まぐれ雑想記


実際、この一年は「厄」ではなく、「役」をたくさんいただいたように思います。
43歳も、ますます飛躍したいと思っています。
もちろん、マイペースは保ちつつ。



織田裕二さんのモノマネで、「地球に生まれてきてよかった~!」っていうのがありますけど。
本当にここ最近まで、「生まれてきてよかった」と、思えたことってなかったかなぁ。

でも、今は本当に「生まれてきてよかった」という、感謝の氣もちがあります。
こぶし突き上げて、声張り上げて言ったりは、たぶんしませんが(笑)


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

個別的。


いろいろ書くことが溜まっていく一方なのですが。

今回は、改めて「個別的」ということについて、ちょこっと書きたいと思います。



先月やらせてもらった、「【個別的】くらしとせいじカフェ」がとてもおもしろかったので。

改めて、「【個別的】くらしとせいじカフェ」のこと。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


今日(2017.7.26)も午後から、cafe salon STILLROOMの営業中にお邪魔して、開催予定です。

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以前にも書いたことですが、【個別的】としたのは、ちょっとした洒落のつもり。
でも、「個人的なこと」っていうのは常に土台としてあるわけだし、それがおもしろいんじゃないかという感覚はあって。

逆に、今はむしろ「個人的には」とか前置きをしなくちゃいけない空気感というものも、実際強くなってきている氣がします。
そこには「個人の意見」よりも、「一般論」に重きを置くというか。

言うまでもなく、そこは「対立」しているわけではないのですが、どうも「個人の意見」というものが軽んじられてしまう。


珈琲のサークル的なことをやりたいと思って、《香味Labo》というfbページをつくったのは、これもまた以前に書きましたが。

「こどもの日」と、《香味Labo》のこと。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

 

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珈琲というのもまさに、言い方は悪いけど「ストイックになり過ぎ」たり、「王道以外認めない」みたいな風潮を感じます。
もちろん、美味しさを求める氣もちはわかるし、それを伝えたりというのもわかる。

でもだからこそ、個人の好みとかって、すごく重要になってくると思ったり。

つまり、「個別的」な部分をもっと楽しめたらいいな、と。


政治とか生活についても同じで、その発想が多分「【個別的】くらしとせいじカフェ」にもつながっているんだと思います。


 


先日、オランダの「イエナプラン教育」というものを知りました。
元々はドイツで生まれ、オランダで発展していったもので、これがかなりおもしろい。

子ども一人ひとりを尊重していて、日本の一斉授業などのあり方とは根底から違うなぁと感じました。
学校なので「集団」で動いたりはするけれど、それはちゃんと「個別」を認め合った上でのつながり、という感覚でしょうか。

「個人を尊重する」という話をすると、「集団も大事」みたいな議論になりがちで。
「個人」と「集団」は、対立軸ではないのですけどね。

「個人」や「個人の意見」を尊重したいし、そういう場や機会をつくりたい。
今ぼくがいろいろやろうとしていることは、それがひとつの軸になっているような氣がします。

極端な言い方かもしれませんが、「数の暴挙」が横行する世の中に対する、秘かな抵抗運動、かもしれません。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん