とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

100歳と、10周年と。


あっという間に、夏休みが終わってしまった。

主夫は休みがあるわけじゃない。
でも、学校がないというのは正直かなり楽。

まあ、仕方ない。
8月は最後にライブ演奏ができて、それはほんとによかった。

今回はそのこと。



8月30日、cafe salon STILLROOMのオープン記念日。
なんと、今年で10周年。
cafe salon STILLROOM☆ - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)
ちょうどいいお店/STILLROOM - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)

と、その前に。

10周年のお祝いと、この日はもうひとつmissionがあって。
「いきいき百歳体操」の、送別会で演奏をすること。

元々は相方ちさちゃんにお声がかかり、それがどういうわけか10周年のお祝いとともにぼくにもお鉢が回ってきた。


そんなわけで、前日の日曜日に滋賀入り。
喜多家に泊めてもらう。

8月30日は平日なので、あきさんは仕事のため不参加。
ちさちゃんと2人体制のキペパピは、かなり久々かもしれない。

昔やってた曲なんかを掘り起こして、さて当日。


まずは、「いきいき百歳体操」。
今回呼んでくださった方は、STILLROOMの常連さんでもあり、ぼくもいつもお世話になっていた。

体操が終わる頃に自治会館に入り、しばらくすると出番がやってきた。
5曲、だったかな、それとリクエストで『ふるさと』。
(急遽、ちさちゃんがケータイでコードを調べてくれた)

終わって、控室にいたら、わざわざ声をかけてくださる方も。
歌声喫茶」を思い出した、このところ体調がよくなかったけど、今日は来てよかった、というようなこと。
ほんとに嬉しい。

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記念撮影、後でSTILLROOMでのライブのときにもらった。
「百歳体操」終わって、すぐにカメラ屋さんに現像に行ったそう、ビックリ。
(ブログに載せる写真は、わざとぼかしています)



さて、STILLROOMの10周年。

ライブは13時30分から、となっているので、まだ時間はある。
いろいろお喋りして、お昼にナシゴレン食べて。

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こんなご時世だから、あまり告知はできなかったのに。
それでもたくさんの人が来てくれて。

こっちは結局、何曲やったかな。
一旦出番を終えて、でも15時過ぎにももう一度何曲かやった。
(後で来てくれた人のために)

アコースティックデュオ「スプートニク」の2人も来てくれて。
(しかも、今6ヶ月との報告付き!)
当分歌う機会もないかもよ?と、1曲コラボしてもらい。

リコーダーのけーちゃんは、前に「常に笛はもっておかないと」と言ったのをちゃんと実行してくれて。
『サリー・ガーデン』を一緒に(よんちゃんも)演奏したり。

当然、『Suzie』もやった、2~3回歌った氣がする。
2020年につくった曲。 - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)


10年前、2011年はぼくが関西に移住してきた年でもある。
もう10年が経ったんだな。

Facebookを見たら、2011年の8月30日はまだ川口にいた。
「明日から滋賀の生活がはじまる」とあるので、どうも関東での最終日、だった様子。
(しかし、「今まだ引っ越し作業中」とも書いてる、相変わらずギリギリ)

STILLROOMにはじめて行ったのは、2011年なのは間違いない。
12月に写真があって、もしかしたらそれが最初、だったのかな。
11月頃、一度行っててそれがはじめて、だったような氣もするのだけど。
(初のときは、写真を撮ってない可能性あり)

この頃は、まだLa chain(ラシェーヌ)さんのケーキで、それがまた美味しかった。
ポピーシードケーキとか、洋ナシのタルトとか、この日はそんな話もした。

10周年の特別企画として、ラシェーヌさんも来てて、でもカヌレやシュークリームなど、あっという間に完売。
まあそうだよね。

お祝いのケーキ(もちろんラシェーヌさんの)のお相伴にあずかりながら、そんな思いで話をしたりして。
しかも、お土産で焼き菓子のセットをいただいた。

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お祝いに行ったはずなのに、何だかいろいろと嬉しいことたくさんいただいた。

店内の一角でちっちゃくイベントしたり、夕方にふらっと行ってみたり、そんなことはもうできないけれど。
コロナ禍が落ち着いたらまたライブやりたいし、何かの用事とあわせてお茶しに行きたい。

10年経っても、cafe salon STILLROOMはぼくの大切な「拠り所」。
変化しながら、でも変わらずにそこにあってほしい。


追記:というか、追加の写真。

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撮ってもらった写真、「スプートニク」の二人と、よんちゃんも写ってる。



                    せれんでぃっぽ☆とむやん

後悔日記 2021/8/24


今日(2021.8.24)はちょっとだけ忙しかった。

昼ご飯は、いただきものの「一休寺納豆」を使って。
パスタのレシピのものを「そうめん」で。
オリーブオイルでキャベツとエノキ、一休寺納豆を炒めたものを和えたもの。

その前後で、夜の仕込み。
初、豚の角煮に挑戦。
『うかたま』のレシピを参考に、下茹で1時間、その後調味料入れて一時間。
最後は煮飛ばして、完成。
調味料はみりん、醤油、黒砂糖のみ。
下茹でにはショウガとネギも。

(昼も夜も、どちらも写真なし)



夕方は久々の移動図書館
天氣がちょっとあやしかったのと、借りたい本もあったので、その前に中央の図書館へ行く。
返す本もかなりあったし。

しかし、案の定行く途中から降り出した。
急いで往復し、移動図書館へ。
(子どもたちとメイコは先に行ってた)

それまでパラパラだった雨が、結構激しい降りに。
子どもたちも何とか借りたい本を選び、家に帰る。

その後、また雨が止んだので、ちょこっと買いものへ。

夕ご飯は角煮と、付け合わせで紫キャベツの即席ピクルス。
末っ子リクエストで、メイコが冷製コーンスープをつくる。

『まほうをかけられた舌』というお話に、とうもろこしのスープが出てきたらしい。
最近よく、絵本や本に影響を受けることが多いみたいで、ちょっと嬉しい。



今日返した本。

たしろちさとさん、そして岡田淳さんの本、いろいろと借りてたらかなりの量に。

岡田淳さんは、『二分間の冒険』で知った。

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小学生の頃(もしかすると、中学生になってたかも?)、妹が推薦図書で買って。
何氣なく読んだら、かなりおもしろかった。

この頃、日本の児童文学を読んだことがほとんどなくて。
(というか、ドリトル先生ばっかり読んでた)

先日、次男のオススメの本のリストにこのタイトルを見つけて。
最近次男は急激に本好きになって、ぼくもオススメしようかな、と思っていたとこ。


検索して、そのときは『二分間~』は貸し出し中だった。
なので、まだ読んだことのない『雨やどりはすべり台の下で』を読んだ。

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これ、タイトルからもうやられた。
話ももうほんとよくて、次男にもまずこれを薦める。

で、『二分間~』再読。


夜、読み聞かせには『きかせたがりやの魔女』。
絵が、はたこうしろうさんなのがまた、ツボ。

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岡田淳さんは、「魔女」とか「時間」とか、大好きなのかな。
あと、鳥も。

クロツグミが最高、子どもたちもすっかりその口調に。


あと、『チョコレートのおみやげ』。

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これもまた、見事!としか言いようがない。

ほんとに、どれもすばらしい。



さて、何となく忙しかったのはもうひとつ。

このところ、また曲作りをしているのだけど。
(常に、と言えなくもないけど、今は特に意識してつくろうとしてるとこ)

歌詞のメモを見ていたら(iPad内)、以前つくった『さみしさの論理』が目について。
実は一ヶ所、しっくりこないところを大幅に(自分にとっては)変えてみているところだった。

3行目がもっとピタッとはまるといいなと、文字数をひとつ増やしてみたりして。
それで途中で、しばらく放置していた。
(3番まであるので、3行目を3つぶん書き直さなきゃいけない)

今回久々に見たら、1番は「よし、これでいこう」と思えるものができていた。
そのこともすっかり忘れていて、あと2つならこの機会に仕上げてしまおう、と。

多少難航したけれど、一応無事完成。
メロディーもこの方がうまくのれそうだし、前後の関係性もよくなったように思う。

やっぱり、変えてよかった。


さみしさの論理。 - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)

↑以前書いたブログに歌詞を載せていたので、それも変えて。
録音もしたいなと思うけど、今いくつも溜まり過ぎてる。

『さみしさの~』は、一応これ以上変えることはしないはず。
これでやっと「完成版」ってことで。


 後悔日記 2021/8/24


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

「真ん中」にいることの無自覚さ。


前回から、一週間あいだが空いてしまった。
いや、あえて空けたのかもしれない。

あのままの勢いで書いてしまうと、なんだか「怒り」みたいになってしまうから。
「怒り」がダメ、ということではなく、このことにぼくは怒っているわけじゃない。

いや、どうだろう、部分的には「怒り」があるのかもしれないなぁ。

いずれにしても、少し寝かせてみた。


さて、今回こそは本題を書かなければ。
「真ん中」について。

これは、8月13日リリースの『IN THE MIDDLE』という楽曲についての「情報」を見たことがきっかけで。
アーティストに対しての批判をしたいわけじゃない(結果的にはそうなったとしても)つもりなので、アーティスト名はここでは書かない。

リリース情報には、こんなことが書いてあった。
【「何を信用して良いかよく分からないこの時代にあって、私たちは真ん中にいたい。」という想いが込められています】

この時点では、歌詞も楽曲もまだ公開されていなくて、この「情報」だけがあった。
コラボした2人のコメントもあるのだけど、まあ、そっちも違和感ありまくり。

抜き出して書くと。
「平等でありたい」「みんなで尊重し合って、認め合って」。
だから「真ん中にいよう」。

正直、理解がついていかない。
結論がどうして、「真ん中にいたい」「真ん中にいよう」になるのか。



『暮らしの手帖(13夏2021)』を見ていたら。
武田砂鉄さんの「今日拾った言葉たち」に、こんなのがあった。

親しみやすさという意味が大きい。『善』でも『悪』でもない中間的な感じを目指した
/復興庁の担当者 東京新聞('21.4.13)

(↓以下は武田砂鉄さんの文)
東京電力福島第一原発の処理水が海水放出されることが決まった。
処理水に含まれる放射性物質トリチウムの安全性をPRするチラシを復興庁が作成し、トリチウムを「ゆるキャラ」のようなかわいらしいキャラクターで描いたことに批判が殺到した。(以下略)


「中間的」という言葉だけど、ぼくには「真ん中」と同じニュアンスと思える。
ただし、コラボの楽曲とは違って、こちらは相当「悪意」がある。
「善」でも「悪」でもない?
トリチウムの海水放出は「極悪非道」な行為だと、わかってないわけがない。

「誤解」させようとしているわけだよね、「印象操作」だよね。
しかもそれを「善」にはできないから、じゃあ「曖昧」にしようという意図が見える。


前回も書いたけど、ぼくは自分のオリジナル曲『まつろわぬもの』に、「いいも悪いもないのさ」「右も左もないのさ」という歌詞を入れた。
だけどこれは、「真ん中がいい」という意味ではない。

「自分の意見」というのは、誰かから見れば必ず「偏って」いる。
最初から真ん中を狙おう、というような意見のもち方って、たぶんしたことがない。

もちろん、批判されたくないから、どうにか避けられないものか、とは思う。
じゃあ、そのために「真ん中でいよう」とはまったく思い付かなかったなぁ。

例えば、公権力に抗するとき、絶対に「真ん中」ではいられない。
弱者側に立つときもそう、マイノリティもそう。

だから、新聞などのメディアがこぞって「両論併記」をするのが、心底嫌いだ。

偏ってはじめて、バランスがとれていく。
それは「真ん中にいたい」という感覚とは、ぼくには真逆に感じられる。



きっと、自然と「真ん中」にいられる人たち、なんだろうな。

ぼくはずっと、端っこにいたい、と思うような子どもだった。
オトナになってからは、ちょっとは変わったかもしれないけど、でも自分が「真ん中」にいられる、なんて考えもしなかった。


申し訳ないけど、「真ん中にいよう」ということが「ステキ」だと感じる人を、ぼくは信用できない。
そのうち、「君はどうして真ん中にいかないの?」とか、「真ん中にいればいいのに」とか言い出すんだからさ。

たとえ「真ん中にいたい」と思っても、行けない人もたくさんいる。
そもそも、真ん中になんていたくない人もいる。

そう言っても、「遠慮すんなよ」とか言って、取り合おうとしないんだろうけど。

被害妄想的過ぎる?
でも、ぼくは「よくある」ことだと思ってる。

だから、この違和感をそのままにしたくなかった。



あれこれ考えてて、ふと思い出した本があった。
長いこと忘れていたのに、本当にふっと、まるで啓示のように。

『今あなたに知ってもらいたいこと』/オノ・ヨーコ

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この本の最初の章、まさに「真ん中」について書かれている。
「弱者の立場」で、ヨーコさんは「でも、私は決して強い人間ではありません。自分では弱い人間だと思っています」と書いていて。

ぼくも勝手に、ヨーコさんは強い人、と思っていた。

ヨーコさんは強い国と弱い国に例えて、こんなことも書いている。

「一方、強い国というのはそういう慎重さを要求されていない。そのため案外パッと崩れてしまうことがあります。」
「やはり弱者には弱者の生き方があるのだ」と。

【「ヨーコさん、どうぞ真ん中へ」
でも、私は、隅っこに座らせてもらいますと言いました】
【中心ではなく隅っこにいる。そうすると、いろんなことが見えてくるんです】

【どこに座るかということに神経を使ってください】
特にこの文章は衝撃的で、忘れないでいたい言葉。

これが頭の片隅にあったから、「真ん中」についてあれこれ考えていたときに思い出せた、のかも。
(それでも、本の中に「どうぞ真ん中へ」の文字を見つけたときは、あまりのドンピシャさにビックリしたけれど)



そんなわけで、ぼくはこれからも「真ん中でいたい」とは思わない。

でもだからと言って、『IN THE MIDDLE』という楽曲やそのアーティストがダメ、とは言わない。

ぼくは、「真ん中にいようとしたり、人に合わせようとしなくていい」社会にしたい。
隅っこでも端っこでも、そこにいたい人たちがいて(ぼくもだけど)、それを排除したり取りこぼしたりしない時代にしたい。

そんなことを、ぼくなりに今、歌詞に書いてみている。
タイトルと主題だけ何となく思い浮かんだものに、「真ん中」のことでモヤモヤしたことを入れてみたら、うまくはまってくれた。


そうだ、最後にひとつだけ。

先日、槇原敬之さんの『どんなときも。』のカバーをたまたま聴いて。
かなり今更、なんだけど、歌詞のすばらしさに悶絶した。

「迷い探し続ける」ことが「答えになる」って、それを「知ってる」なんて。
(だいぶ端折って書いてます)
この時代(なんとちょうど30年前!)にこの歌詞の感覚、ほんとすごい。

しかも、コロナ禍において、「どんなときも」って言葉がますます深く感じられて。

そりゃあ、ヒットするよなぁ。
(もちろん楽曲のよさは言うまでもなく)


奇しくも、ヨーコさんの本のまえがき(オビにも書かれてる)に、こんな文章がある。
【どんなときも自分らしくいることが、私にはいちばん大事なことでした】


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

ひっくり返す、ということ。


今回は、「真ん中」について。

と、その前に。

先日(2021.8.8)、くさつFarmers' Marketに行ってきた。
ナイトマーケットで、17時から20時の開催。

全部で6曲、いつものようにちさちゃんと半々、3曲はぼくのオリジナル曲。
『まつろわぬもの』はぼくがはじめてつくった歌で、ライブでやるのは久々だ。

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詳しくは今回書かないけど。
歌詞は、京都大学の人文科学研究所 藤原辰史先生がプチアースデイしが2015で話してくださった「ひっくり返す」という言葉からイメージを広げた。
歌ができました♪ - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)  

個人的に氣に入っているのは、その「すべてをひっくり返すんだ」の後。
一番では「いいも悪いもないのさ」、二番は「右も左もないのさ」とした。


そういえば、「ひっくり返す」について、今までちゃんと書いたことなかったみたい。

藤原先生のお話では、「ぼくは大学付属の食堂をひっくり返して、食堂付属大学にしたい」というような切り口だった。

ところで、井上ひさしの『ボローニャ紀行』には、大学は「ひっくり返った」状態からはじまったことが紹介されている。
つまり、学生が教授の人選などもしていた、という。

このことから、実は現状が「ひっくり返って」いて、「ひっくり返す」ことで元に戻るだけ、なんてこともあるのかも、と。
ものごとのいい悪いも、前提が真逆なら、答えは「ひっくり返る」かもしれない。

それから、もうひとつ。
「いいも悪いも」「右も左も」、二元論的であるということ。
そこから少し脱線して、ぼくは「鬼と方相氏(ほうそうし)」のことを連想した。
鬼も内。 - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)

以前、方相氏については書いたのだけど、うまく表現できなかったことがある。
方相氏は本来、疫鬼を追い払う呪師、まあ「ヒーロー役」と言ってもいい。
ところが、いつしか方相氏が「鬼」とされ、追い払われてしまう。

「いいも悪いも」なく、自分たちの計り知れない異形の力を畏れ、それは恐れになり。魔を「排除」してくれたものもまた、「排除」してしまう。

今だったら、ピッタリの喩えがある。

東京オリンピック、結局強引に開催されてしまったけど、反対の声がたくさんあって。
ぼくもさまざまな理由から反対していた。
そういう人たちは「反対派」として十把一絡げにされて、ずいぶんと「悪者」にされた。

ある日、Twitterである作家の方がこんなようなツイートをしていた。
「反対派も賛成派も痛々しい、自然体でいいじゃないか」と。

正直、怖かった。
作家という表現者がこんなことを書くなんて。
(その人の本は絶対読まない、と密かに誓った)

けれど、その人の言う「大多数がそうじゃないか」というのは、残念だけどその通りだとも思った。

そう、多くの人が「メンドウ」になんて巻き込まれたくない。
(まあ、それはそうだろう)
「イジメ」があったとして、加害者にも被害者にも、どっちにもなりたくない。

どっちもいなくなってくれればいいのに、そう思って、黙って過ごしてる。
どっちの火の粉もふりかかってこないようにと、願いながら。

それはある意味、「真ん中にいる」ことであり、それがその人たちにとっての「自然体」なんじゃないだろうか?



『まつろわぬもの』をつくったとき、「真ん中」というのを想定していなかった。
「右も左もない」なら「真ん中に」とは、正直まったく思い付かなかった。
多少「偏る」ものだし、ひっくり返せば(意識や発想だけでも)何かに氣付けるだろう、と。

「いい」「悪い」が何となくでもあれば、自分の「いい」と思う方に「偏る」ものじゃないか、って。

そうか、甘かった。
「どちらでもない」「関わらない」「知りたくない」、せいぜい「周りの人がいい」というものを選ぶ。
摩擦がおきないように、火の粉が飛ばないように。

そりゃ、投票率なんて上がるわけがない。
「投票に行かない」「いつが選挙か知らない」「どうせ行っても変わらない」


「真ん中」って、ほんとむずかしい。

コーヒーなどでよくあるチャート図、味の分布というのかな。
横が〈酸味⇔苦味〉、縦が濃度〈濃い⇔薄い〉とか。
それぞれの特性で、コクとかキレ、スッキリ系かまろやか系かとか。
「真ん中」はバランス、ということになるらしい。

ものごとはこんなに単純じゃないけど、喩えとしてはわかりやすい。

何人か集まってコーヒーを飲むなら、一種類だけを淹れるなら。
ある人はコクのある方がいい、別の人はスッキリが好き。
そうなると、より「真ん中」に近いのがいいかな、ってなるのはわかる。

ただそれって、「可もなく不可もなく」になりかねない。
(「バランス」がダメ、なんじゃなくて、無難ばかりだとつまらない)

案外「この酸味なら飲める」とか「キレがあるの、結構好きかも」とか。
そう、「バイアス」を外すには「ひっくり返して」みると効果的かもしれない。

「バイアス」とはそもそも、「偏り」を指す言葉。
先入観や偏見は、そのどちらか一方に寄って、反対側を知ろうとしないままの状態。

災害時などの「大したことない」と思ってしまう「正常性バイアス」。
対処として、防災訓練や知識を高めるなど、日常を「ひっくり返す」ことが有効だったり。

この防災の喩えの場合、「真ん中」って存在しないよなぁ。



脱線したりもしたので、結局本題には辿り着けず。
なので、続きはまた次回書くことにする。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

後悔日記 2021/8/9


昨日(2021.8.9)は大阪、心斎橋へ。

『AMERICAN UTOPIA』という映画、タイミングがわるくて行けてなかった。
Twitterで、またやっている映画館があるとのこと。

調べたら、「シネマート心斎橋」が出てきた。

boidsound(が何なのかはよく知らない)上映で、月曜日はメンズデイだという。
ナイトマーケットの翌日だけど、ちょうどメイコも子どもたちもいないので。
(お義母さんはいるので、お昼は用意して出た)

大和西大寺乗り換えで難波まで。
交通費も、思ったよりはかからない。
(京都中心部へ行くのとそんなに変わらない、時間は倍かかるけど)

ナイトマーケット翌日、しかもこの日は台風が近かったらしい。
電車に乗っているとき、雨が激しく降ったり。
大阪難波駅に着いて、地下から上がろうとしたら、まだ天氣が荒れていた。

少しだけ地下街を歩く。
本当は、先に本屋さんに行ったりするつもりだったが、あまり時間がない。

なので、小降りになったところで映画館に向かう。

シネマート心斎橋はビッグステップ4階にある。
2019年12月、和田唱さんのライブで行ったBIGCATと同じ場所。
(同じ階、だとは着いてから氣付いた)

思った通り、やっぱり結構混んでた。
一時間くらい前だったけど、チケットとれてよかった。

周辺をぐるりと散策して、時間前にまたシネマート心斎橋へ。


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さて、『AMERICAN UTOPIA』。

観てよかった、観れてよかった。
ただちょっと残念だったのは、満席に近かった(ように思う)せいか、あまり動いている人がいなかった。
これはブロードウェイでのショーの映像を映画化しているので、観客も映っている。
そりゃあもう、ノリノリで。

そういう性質のショーだけに、じっと観るのは正直しんどかった。

クイーンの映画『ボヘミアン・ラプソディー』は、まあまあ混雑していたけど、動いていた人も多かったし、口ずさむ人も多かったはず。
あれは内容以上に、その臨場感が評価につながった部分も多々あると思う。

ぼくはトーキング・ヘッズをほとんど知らず、はじめて聴く曲ばかりだったのもある。
帰ってからYouTubeで「復習」をした、「予習」しといてもよかったかもな。


もうひとつ。
これは映画のせいではなく、よかったからこそ、なのだけど。

そもそも、この映画を観たい!と思ったのは、Twitterで「選挙に行きたくなる」と書いていた人が何人かいたから。

ストーリーがある映画ではないんだけど、流れはあって、選曲とか構成もすばらしい。
このショーのための書き下ろしでない曲が、ハマるのはすごく不思議。
それだけ、デイヴィッド・バーンはブレずに活動してきた、ってことなのかも?

ともかく、これと同じことなんて、できる氣はしないけど。
自分なりに、ここからヒントを得て何かできないかな、って。
観ながらずっと考えてた。
(だから、ちょっと集中できていない部分もあり)

個人的には、「感動した~」だけで終わりにしたくない。

まあでも、時間が経ったらよりじわじわと、「よかったなぁ」って思ってたりする。
やっぱりすごい映画かも。



映画館を出て、買いもの。
まずはすぐ近くにあった、ギター&ウクレレの三木楽器へ。

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(入口の看板がかわいかった)

氣になっているピックがあったけど、結局買わなかった。


難波周辺、本屋さんへ。
ジュンク堂丸善

ジュンク堂で、『夏物語』川上未映子 著のサイン本買えた♪

最後は成城石井でいろいろ買って、時間切れ。


 後悔日記 2021/8/9


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

後悔日記 2021/8/8


かなり久々のブログ/後悔日記。

昨日(2021.8.8)は、くさつFarmers' Marketへ。
今回はナイトマーケット、そしてキペルス・パピルスのライブ出演のため。

ちょうどこの日から、メイコと子どもたちが滋賀にお泊りに行くので。
京田辺から一緒に滋賀に向かう。
(長男は別ルートで、電車を見に行ったらしい)

ぼくはひとつ手前の南草津駅で下車。

練習の前に、ギリギリ行けそうだったので、カフェへ。
今年の春にオープンされたばかりの「美湖~mikko~」さん。

二部仕立ての着物「湖布」さんの月一ギャラリーでカフェをされていて、そのつながりで。

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デザートセットを頼んだら、ドーナツを大きいのにサービスしてもらった♪
大阪箕面、ドーナツDEPTの豆乳おからドーナツ。
コーヒーはカイドウ珈琲焙煎所のペルー。

南草津駅から歩いてだと、さすがにちょっと距離があったけど。
でも、行けてよかった。

コーヒーはもちろん、ドーナツも美味しくて(とむやんに是非食べてほしかった、と言ってくれた)、でもそれだけじゃない。
何でだろう、美湖さんとはそんな回数会ったわけでもない。
なのに、お店オープンと聞いて(Instagramで見て)、まず一度行ってみたい!と。

コーヒーや食べものに対するセンスとか、本の好みとか、そのへんがずっと氣になっていたのかも?



さて、キペパピあきさんが会場で竹テントを設営しているので、そこに向かう。
車で一度喜多家に行って、練習。
今度はみんな揃って、再び会場へ。

草津川跡地公園de愛ひろば、駐車場はすでにいっぱい、しかも大粒の雨が一瞬降ったりして。
18時ごろから、と言っていたけど、そんなこんなでまただいぶ遅れてのスタート。

ちなみに、くさつFarmers' Marketでの演奏は今回で3度目。
はじめてのときはやはりナイトマーケットで、2年前。
このときも、機材トラブルで18時スタートのはずが19時くらいになってしまった。

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今回はなんと、マイクスタンドも忘れてしまい。
あきさんが竹テント見本をマイクスタンドに仕立てて、なんとかそれでしのげた。
(かえって注目は浴びていた)

6曲演奏、半分はぼくのオリジナル曲。
『愛を注いで』『とうきょうノイローゼ』『まつろわぬもの』

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久しぶりに会えた人もいて、でもライブのあるときは大抵テンパっているので、あまりしゃべれない。
結局、マーケットのお店も全然回れず。
(相楽くんとこのビシソワーズを差し入れでもらったり、メイコにかき氷買ってきてもらったりはした)

かなり疲れはしたけど、いい一日だった。
やっぱり、ライブをまたコンスタントにできるようになるといいなぁ。


 後悔日記 2021/8/8


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

後悔日記 2021/2/15


今日(2021.2.15)は朝から雨降り。
園の送り、ギリギリまで様子を見ていたら、出る時間にちょうど止んでくれた。

集合場所に着く直前に、また雨が降り始める。
末っ子を見送って、東屋でしばらく待ってみる。

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10分くらい経って、小雨になったので買いものに行く。

お店を出たとき、また雨が止んでいた。
郵便局に寄ってから、家に帰る。

家に着いてしばらくしたら、またザーザーと雨が降っている音がする。
午前中、ほぼ降られずに済んだ。



夕方、お米を買いにまた買いものへ。

予報では午前中で雨はあがるとなっていたから、油断した。
お米屋さんに着くちょっと前、パラパラと雨が降ってきた。

お米屋さんを出るとき、ちょうど虹が出ていた。

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結構はっきりと、反対側も見えた。

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雨に降られても、虹が見れたらそれもまたよかったかな、と思えてしまう。
この写真を撮った後、色は少し薄くなったけど、アーチ全体がつながって見えた。

反対の空、もうそろそろ太陽が沈む。
金色に近いような黄色い夕暮れ。

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この後、平和堂でも買いものをして、さあ帰ろうと自転車置き場に向かったら。
かなり激しく降ってきて、店内に戻ってしばらく雨宿り。

帰りも何とか降られず、予定よりちょっと遅くなったけど、無事帰れた。

なんだかんだ、ラッキーな一日だったかもしれない。
後悔日記らしくない、かもしれないけど。

 後悔日記 2021/2/15


                    せれんでぃっぽ☆とむやん