とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

後悔日記 2021/1/28


今日(2021.1.28)は宇治へ。

前から、宇治には行きたいと思っていた。

そろそろ珈琲豆のストックがなくなるので、どこかで買いたかったのと。
市役所に行く用事があって、でも正直ぼくはニガテなので、じゃあそれ行ったらご褒美的に宇治に行こう、と。
人参ぶら下げると、なんとか走れる。


役所にはさくっと行って、一旦家に戻ってから玉水駅まで自転車。
そこからJR奈良線に乗れば、かなり楽に行ける。

JR宇治駅に着いたのが、11時頃。
目的のお店が2つとも11時以降のオープンなので、ちょうどいい。


まずは、京阪の三室戸駅付近まで歩く。
目的のひとつ、Kunel(クゥネル) ~Bagel×Bread~へ行くこと。

ここは友人の妹さんのベーグル屋さんで、前から行こうと思っていた。
なんと、2月に移転をされるということで、これは是非今の店舗にも行っておきたい、と。


宇治橋を渡って、京阪の線路沿いを歩く。

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かわいいお店、外観的にもかなりツボ。

買ったベーグルは、アップルキャラメル、チョコオレンジ、宇治抹茶×栗あんこ。
いろいろな種類があって迷った、どれも美味しそう。

さて、来た道を戻って、今度はカフェへ。
これも、以前からチェックしていたお店。

電車一駅分、と言ってもそんなに距離はない。
京阪の宇治駅からちょっと裏道に入ったところにある、トンネルカフェ。

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扉を開けると、1階は展示スペースになっている。
なんとなく、アトラクションっぽく感じて、ちょっと楽しい。

2階がカフェになっている、とても落ち着いた雰囲氣のカフェ。

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頼んだのは、こんがりガトーショコラと、コーヒー浅煎り。
浅煎りのコーヒー豆は、LIGHT UP COFFEEのもの。

LIGHT UP COFFEEは、吉祥寺にある自家焙煎コーヒーショップで、帰省のときに行きたいと思っていたところ。
結局この一年、関東に行けなかったので。

下北沢(と言っても世田谷代田駅からすぐの場所)にも店舗があって、これは以前前を通ったことはあった。
残念ながら、その日は別のカフェでコーヒーを飲んだ後だった。

今調べたら、渋谷PARCOにもあるらしい。
そして、京都にもあったから、いずれ行きたいと思ってたのだけど。

カフェで会計のときに、ちょこっとお話をした。
LIGHT UP~のコーヒーが飲めて嬉しい、と。
そしたら、昨年3月にLIGHT UP~の京都のお店は閉めたと聞いた、残念。

それにしても、いいカフェだった。

ここに行けば美味しいコーヒーがある、そしてお店の人や雰囲氣がいい、そういうところがありそうでなかなかない。
定休日でない限り、宇治には安心して行けるな。


園のお迎えにはまだ時間がある。
宇治駅でもらったデジタルのスタンプラリーのチラシを見て、行ってみることに。

まずは宇治橋、橋は渡らずに宇治川沿いを歩く。

宇治茶道場 匠の館、鵜小屋にも行く。

これでクリア、かと思ったら、伏見も3ヶ所廻らないといけないらしい。


平等院鳳凰堂の横の道を通って、宇治橋まで(今度は川の反対側)戻る。

雑貨屋さんをちょこっと覗いたりして、駅方面へ戻ろう、とその前に。
姫神社に行きたかったんだ、と思い出した。

iPadで場所をチェック、ここから歩いてすぐだという。

姫神社は、正直かなり寂れた感じ。
ちょっと残念。

一応お参りをして、お賽銭はやはり10円(カエサルのものはカエサルに)。

社務所は開いてなくて、こんなチラシが貼ってあった。

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缶バッチか、これは是非今度また買いに来なくては。


さて、最後はコーヒー豆を買う。

以前メイコが買ってきてくれて美味しかったノケイズウィオンで買おうかとも思ったけど。
ここは基本が予約販売なので(ロスを減らすため、いい試みだとは思う)、お店は覗いてみたものの、聞いてみる勇氣がなく。

それと、すぐ近くに別のコーヒー屋さんがあって、そこも氣になった。
行きにすでにチェックしていて、AMATISTA Coffeeというお店。

トンネルカフェで、深煎りはここの豆を使用しているらしいし、今日はここで買ってみることにする。


いつも聞かれると困る、「コーヒーの好みは?」。
最近はどういうコーヒーでも美味しいし、意外なものに出逢えるのも楽しい。

AMATISTA Coffeeで聞かれて悩んでいたら、すっと表を出してくれた。
チャート図になっていて(2軸のマトリックス型)、とてもわかりやすい。

結局、インドのモンスーンプレミアムという豆にした。
インドは、草津の焙煎香珈琲で飲んで美味しかったから、違うところのも飲んでみたかった。


ということで、かなり堪能した宇治散策。

最後、駅付近をぶらぶらしながら、次の電車を調べたら3分後、その後は20分以上後だという。
急いで駅まで駆けて、なんとか間に合った、ふう。


お土産で買ったベーグル、子どもたちはその日のおやつに。
大人は次の日にとっておくことに。

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やっぱり、美味しかった。
生地はもちもち、そして具材?の組み合わせも絶妙。

新しい店舗にも行ってみたいな。



宇治を歩いていて、氣になったのは。
コロナ禍だから、というのはもちろんあるけど、そうじゃなくても観光客は減っているのかな?という印象。
姫神社だけじゃなく、あちこちに寂れた感があった、かな。

まだ行けていないお店もあるし、個人的には結構好きだったから、がんばってほしいなと思う。
まあ、この状況下ではなかなかそうもいかないけれど。


ぼく自身は、楽しい一日を過ごせて、大満足。

 後悔日記 2021/1/28


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

もてなす、ということ。


前回、間違いや場違いについて書いた。
それに関連するのかな?本で読んだことを書き留めておく。

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『幸福の迷宮/The Maze of Happiness』

人生の意味を見失った者が来るところ、幸福の迷宮。


今回ここに書くことは、いわゆる「ネタバレ」なので、氣になる人はここからは読み進めずに、本を先に読んでほしい。
要点を抜き出しただけではやっぱり弱くて、ストーリーの流れに沿って知った方がいいと個人的には思うので。

正直言うと、謳い文句にある「心の底から涙があふれ本当の幸せが見つかる1冊」だとは思わなかった。
案外ストーリーは淡々と進んでいく印象、かな。

そもそも、こういう謳い文句自体はどちらかというとニガテ、もし知ってたら読まなかったかもしれない。
別に泣きたいわけでも、幸せを見つけたいわけでもなく、先入観なしに読んでみた。

ぼくは特に、以下に書く2つのことにぐっときた。


〈ここからネタバレ〉


ひとつは、「恐怖」について

「鳥まねき」という案山子が出てくる。
案山子は本来、鳥が農作物を食べないよう、追い払うために設置するもの。

ところが、それは逆に「案山子のいるところには食べものがある」という目印と考えることもできる、という。
なるほど、確かに。

「恐怖」は、「必要なものを見つける手段」なんだ、と。

恐怖や心配ごとはチャンスであり、そこにこそ自分が心の中で望んでいる宝がある。
間違いや場違いもきっとそう、目印なんだ。


もうひとつは、「人生の意味」について。

主人公が迷宮カフェを再び訪れたとき、3つのカップの話が出てくる。

もし粗野な態度をとったなら、相手(お客さん)は悪い氣分で帰られるでしょう。
普通に接したら、同じような氣分で帰られるはず。
では、もしちょっと親切に接したなら?
お客さんは来たときよりもいい氣分で帰ることができる。

ウェイターに限った話じゃない、毎日の出会いの中で挑戦できること。
「自分と接した後、誰かの人生がちょっとだけいいものになる」、そんな選択をする。
それが、人生の意味。


この2つのことは特に憶えておきたいと思った。
大切な氣づきを、いいタイミングで与えてくれたから。

案山子として鳥を追い払うよりも、鳥まねきのように寄ってきてもらう方がいい。
そして、それはまさに「ちょっと親切に接する」ことなわけで。



これって、「もてなす」ということじゃないのかな、とふと思った。

お正月って、歳神さまをお迎えするんだよね。

それで思い出したのが、「福の神と貧乏神」」というお話。
今調べたら、大般涅槃経の中にある話だそう。

ある家に美しい女性が訪ねてきて、福の神だと言う。
もちろん家人はよろこんで招き入れる。
するともうひとり、みすぼらしい醜い女性が入ってこようとする。
災難を招く貧乏神だ、という。
家人は当然、追い出そうとする。

ところが、福の神は姉で、姉妹はいつでも一緒に行動するのだという。
貧乏神を追い出せば、結局福の神も出ていってしまう、というお話。

貧乏神ももてなすと福の神に転じるというパターンもあるのだとか。


もてなすということ、親切に接するということ。
この辺のことは、もう少しいろいろ考えてみたい。

今回はここまでとしておこう。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

「間」違いは、アップデートの知らせ?


2020年の最後に書いた後悔日記で。
「場違い」という言葉を使った。

ちょっと補足をしつつ、今回は「アップデート」について書いてみる。

ちなみに、「アップグレード」については、これまでも何度か書いている。

アップグレード。 - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)

ぼくはいつでも迷ってる。 - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)


アップデートとアップグレードの違い。
アップデートはまさに「update」、日付的に新しいものに修正したり更新すること。
アップグレードは、性能的に向上させたもの。

ただ、ぼく自身がその違いをしっかり認識していないので、これから書く中で混同してしまうところもあるかも。
(以前書いた「アップグレード。」も、アップデートだったかも)

いずれにせよ、今回のテーマは「同じことをやらない」「新しい方法を常にチャレンジしてみる」みたいなこと。



「場違い」という言葉以上に、「間違い」という言葉の方が説明しやすいのかな。

世間一般で言う「間違い」とは、ちょっとニュアンスが違うかもしれない。
ここで言う「間違い」は、「間」が違うということ。

主に「タイミング」がわるい、というか、合わないこと。
でもそれは、そんなに「わるい」ことじゃない、というか。

合わないなら、合わせればいいか、合うものに変えればいいか。
これは、「場違い」についてもそう。


たとえば、あるお店に行ったら臨時休業だった。
行く前に調べても、そういうことはある。

先日も、オープンの日だと確認して行ったけど、もう閉まっていたお店があった。
年末の最終オープン日で、夕方もしかしたらちょっと早めに閉めたのかもしれない。
どっちにしても、開いてないのだから仕方がない。

その日、そこでするべきタイミングじゃなかったんだな、と受け止めるしかない。


別のたとえを、もうちょっと抽象的?に言えば。

ジグソーパズルで、手にもったものが思ったところにはまらなかった、とする。
それで、いちいち落ち込んだりするだろうか?

それよりは、別のピースを探すか、それがはまる場所を探す。
それの繰り返しだろう。

タイミングというのも、大抵何かぴたっとはまるところが必ずある。
ジグソーパズルほど、はっきりとわかりやすいわけじゃないにしても。


違うな、と思ったら、切り替えて新しいやり方や場所や、別のことを試してみる。
それって、そうやってアップデートしているんだと思う。

そうすると、だんだんタイミングの合うところがわかってくる。
行ってみたら臨時休業だった、というのを減らすことはできなくても、じゃあ違うところ、と切り替えが早くなったり。
そんなことでイライラしなくなったり、それもまたアップデートかもしれない。

遠いところで、行ってみて閉まってたらイヤだな、という場合は事前に連絡して確認するとか。
まあ、そんなの言われるまでもないだろうけど。

そうやって、こまめにアップデートして、たまにガツンとアップグレードしてみる。
アップデートは、軌道修正みたいな感じ、だろうか。



上記の例に当てはまるか、わからないけど。

以前、子どもの用事で河内磐船に行っている、と書いた。
その後、場所が変わってその少し先の住道(大東市)に、今は毎週通っている。

子どもがいない間、ぼくはしばし自由時間。
買いものなどもするけど、その前にカフェでひと息つく。

住道には氣に入っているカフェがあって。
そのひとつ、アメツチというお店。

駅からほぼまっすぐ歩いて15分くらい、だろうか。
喧騒から離れて、隠れ家的な場所にあるのも魅力。

紅茶は種類が豊富で、でも「自家焙煎珈琲」をいつも頼んでいた。
(一度だけ珈琲豆がないときがあって、チャイにしたことはある)

MUSICAの紅茶、芦屋にあるティーハウスのものらしい。

たまたまつい最近、神戸の特集だったか、雑誌でMUSICAが出ているのを見た。
あれ?MUSICAってなんで知ってるんだ?と思ったら、そうかアメツチの紅茶がそれか、と。

そういうのは、間違いの逆、ん~何て言うんだろ?
間が合うというのか、とにかく、タイミングだなと思って頼んでみることに。

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くるみのスコーン(自家製のあんこ付き)と、紅茶。
セイロンティー、サバラガムワ。

それをしたから、すっごくいいことがあった、というわけでもない。
美味しかった、それだけ。

でも、紅茶のおかげ、というわけでもないだろうけど、この後そばの雑貨屋さんを見つけた。
いつもなら駅方面に戻って、買いものに行くのだけど、この日は駅と反対に歩いてみたのがよかった。



「間」違いや「場」違いは、アップデートのお知らせ、なのかもしれない。
違うやり方、いつもとはちょっと趣向を変えてみる。

人は失敗したくないから、新しいことを避けたがる。
同じことを繰り返すのなら、間違いは減る。

けれど、世の中は変化していく。
同じこと、と思っているものも、氣が付けばかなり変わってしまっている。

それに合わせるために、こちらもアップデートしていけばいい。

何なら、お知らせがある前に、日々ちょっとしたアップデートを試みてみる。
些細なことでも、新しいことをチャレンジしてみる。

失敗は起きるかもしれないけど、ここで言う間違いや場違いは減っていくはず。

まあ、ぼくもまだ実験中、だけどこれは性分かもしれない。
どっちの方がいいのか、検証しようがないから。


そうそう、片付けをしていて出てきたTHE BIG ISSUE
2009年の116号に、ポール・マッカートニースペシャルインタビューが載っていて。

「僕らは常に動き続けたいと思ってた。走るのをやめるなと。ザ・シュープリームスがまったく同じように聴こえるアルバムを3枚立て続けにつくったのを見て、僕らは『あんなことはやりたくないな』と思ってた。僕らは1曲ごとにスネアドラムも変えたんじゃないかな。ニューアルバムをつくる時はみんな『前のようなアルバムはつくりたくない。もうやってしまったことだし、そこに行ったんだから。じゃあ今はここからどこに行ける?』って感じだったね」


結局はそう、どこを目指したいか。
別にここでいい、ならアップデートも必要ないかもしれない。
(ただし、時代は変わるから、やっぱり何らかのアップデートは必要にも思う)

でも、それじゃあ満足できない。

ビートルズは、ポールは、少なくとも音楽に関してはそういうスタンスだった。
音楽以外でも、ファッションや発言もそうだった。

ぼくは実生活にもアップデートをもち込みたい、と思っている。
日々の中で、スネアドラムを1曲ごとに変えるようなこと、それを試している。

「違うな」と思うところがあるから、「あぁ、ここだ」という場所やタイミングに出逢える。
人との出逢いもそう。

2021年もまた、定期的なアップデートと、そろそろアップグレードも必要な氣がしている。
2020年は大変なことも多かったから、今年はやっぱり飛躍の年にできたらいいよね、と思う。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

後悔日記 2021/1/1


新暦の新年、明けましておめでとうございます。

新型コロナウイルスのことで、「おめでとう」とは言えない、という声も聞きます。
確かに、躊躇してしまうところはありますが。

おめでたくない、そう思うときこそ、「おめでとう」と言ってしまう。
言い切ってしまうこと、に関してはまた改めて書きますが、ともかく「おめでとう」で今年のブログをはじめたいと思います。

さて、今年最初のブログも「後悔日記」で。
後悔日記、つけてみようかな。 - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)
(後悔日記をつけはじめたのは、2020年4月)

ただ、新年早々あまり楽しい話ではないので。
「後悔日記」には、「公開」という響きもあるし、それを意識してはいるのですが。

読んで楽しいかどうかまでは保証しませんので、どうぞよろしくお願いします。



2021年1月1日。

何年ぶりだろう?実家に帰らないお正月は。
なので、おせち料理とか自分でつくったこともなく、準備なんかもやったことがない。


いつも新暦の年越しには、音楽を聴いている。
Heart Of Gold - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)

2020年は、トライセラトップスの『2020』。
今年はどの曲、というわけでもなく、でもやはりトライセラ

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昨年手に入れたのだけど、聴けていなかった。
ライブのカバー曲集?で、日付が変わる頃に『A面で恋をして』あたりを。


さて、朝ごはんはお雑煮。
これも自分でつくったのは、かなり久々じゃないかな。

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もう、極々シンプルに。
里芋と小松菜、鶏肉は入れようか迷ったけど、入れず。
むろあじ節で簡単に出汁をとって。


お昼は、お正月とはあまり関係なく、いつもの感じで。

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かぶと豆腐の煮物と、板麩とタケノコの炒め物。

かぶは「あやめ雪かぶ」?なのかな、首の部分の薄紫がキレイだけど、煮てしまうと消えてしまう。
タケノコはいただきもの、戻した板麩とねぎでちょっと中華炒め風に。


さてさて、問題の夕ごはん。
一応、おせち料理っぽいものをつくることに。

とは言っても、本来は年末に用意しておくものだけど。


つくったのは、黒豆ごはん、筑前煮、なます、伊達巻(風)。

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時間はかかるだろうと思って、一応早めにはじめて。

まずは筑前煮、鶏肉炒めて一度取り出し、金時人参とレンコン、コンニャクを炒めて。
鶏肉はみりんと醤油に漬けておいて、それを戻してしばらく煮る。

黒豆ごはんは、今回「黒千石大豆」を買っていたので。
煮豆にしないで、ごはんと混ぜることに。

豆は浸水なしで40分ほど煮て、それからごはんと炊く。

なますは二種類の大根で、白い大根と紅大根。
白い方もすっかり染まってしまって、区別がつかない。


そして、伊達巻。
すり身とか、はんぺんとか使わずに、できないかなぁと。
普通の伊達巻もつくったことないのに、そんな無謀なことを考える。

以前、そば粉を使ったつくね団子風のものをつくったことがある。
戻した高野豆腐をすりおろして入れるとふんわりと仕上がった、今回もやってみることに。

それと、山芋のすりおろしも入れて、あとはみりんなど。
卵は5個。

フードプロセッサーでよく混ぜて、卵焼き器で焼いていく。
本当は南部鉄器のフライパンでやるつもりが、前日の揚げ物で使ったままだったので。

しかし、卵焼き器は四角いので、ひっくり返すのがむずかしい。
巻きすも探し出して。
焼き目をつけた卵焼きに隠し包丁入れて、巻いていく。

見た目は結構いい感じ。
子どもたちも喜んでた。

でも、味はちょっとイマイチ、かなぁ。
まずくはないけど、やっぱりちょっと甘みがほしい。

だけど、妻は甘みつけるの嫌うからなぁ。

それに、ここまで結構時間がかかってしまって。
結局、食べはじめが8時近くになってしまった。

そうなると、妻の機嫌が悪くなる。
子どもたちを早く寝かせるためにご飯を早く、というのはわかってはいる。

だけど、どうも手際が悪いのか、結局遅くなってしまうことが多い。

それもわかってて、一応早めにつくっていたつもりなんだけど。


なんか、結局がんばっても喜ばれないんじゃ、ほんとつらい。
やらなきゃよかったね、って言いたくなる。

後悔日記の格好のネタができてしまった、嬉しくないけど。


妻は、ぼくが機嫌悪くなると「怖い」とか、それもそのときは言えない、と言う。
でもそれ、お互い様だよ。
それに、自分が機嫌悪いときは自分で認識していないらしく。

ほんと、最悪のスタート。


今は寒いから、ごはん食べてからお風呂、という流れ。
だから余計に夕ごはんの時間を早くしないといけない。

それはわかるから、準備を早くしたり、手際をもっとよくしたり…。
でももう、やる氣自体なくしてる。

もうがんばるのはやめる。


あと何年かはガマンするけど、その先を考えておかないと、と改めて思う。


 後悔日記 2021/1/1


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

後悔日記 2020/12/31


今日(2020.12.31)は大晦日、2020年ももう終わる。
昨日書いたように、最後はやはり「後悔日記」で。


もう何度もこのブログで書いている氣がするけど。
できるだけ「旧暦」を意識するようにしていて、だけど新暦は無視するわけじゃなく。

やっぱり、節目としては新暦の年越しも大事。
それに、2020年という年は、明日から2021年に切り替わるのだから。


自分は誕生日が7月21日で、21という数字に何となく愛着があって。
2021年も、勝手に親近感もってたりする。


それにしても、こんな年になるとは思わなかったよなぁ。
でも一方で、「今のまま」が続くとも思ってはいなかったけれど。

STAY HOMEの時期、世界中で大気汚染がなくなったり、なんだやればできるんじゃんって教えてくれた年でもあった。
これまた何度も書いているけど、「コロナ以前」なんて、戻らない方がいい。

まあ、そもそも戻りたくても戻れない、はずだよな。



今朝は、メイコと子どもたちがつくった蒸しパンと、茶楽園のほうじ茶。

この後、残しておいた「たまぱん」のシュトレンをみんなでひと切れずつ、大人は珈琲を淹れて。
(ママ友にいただいた升尾珈琲の豆)

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この話はInstagram&fbにも書いたんだけど。
末っ子は今年、「パン屋になる」と宣言?して、それからはコーヒーを挽くときも率先してやってくれる。
「パン屋はいろいろできないと」とか言って。

それはとても嬉しいことなんだけど。
今日、ぼくが「子どもたちが…」って言ったら、「ぼくが一番やった」と言い出して。

「一番とか、ないよ」と言っても、全然引かない。

それで、除夜の鐘の話題になって、末っ子が「(お寺の)鈴は誰が鳴らすの?」と聞いてきた。
サンタクロースの話と混ざってるのかな?

それはさておき、ぼくはすかさず「人には「自分が一番」とか、そういう「煩悩」ってのがあって、それをもち越さないために108回鐘をつくんだよ」と。
「煩悩」なんて言われてもわからんだろうけど、何となくは理解したみたいで、氣まずそうにしてた。

その後は機嫌を損ねることもなく、いろいろお手伝いしてくれた。


お昼は、ぼくが簡単に。
油揚げと紫キャベツ、お弁当用に冷凍していた豆もやしとかを炒めて、ごはんに混ぜたもの。
子どもには2つ、大人は1つ、タコさんウインナーものせて。

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風が強くて寒かったけど、買いものへ。
年末に珈琲豆を買おうと思っていながら、タイミング合わずで。
(今週、買いに行ったのだけど、もう閉まってた…)

自転車で行くにはちょっと遠いかな?と思いつつ、はじめて行く喫茶&焙煎のお店へ。

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迷いはしなかったけど、思っていたより時間がかかってしまった。
カフェでお茶して、豆も買ってと思ってたけど、どうしようかな、って思ってたら。

扉を開けたら、まあまあ人がいて、それがギロリとこっちを見てくる。
正直、ちょっとイヤ~な感じ。

ぼくはコンタクトレンズしてても、あまりよく見えなくて、表情とかまでわからない。
だから、別に睨まれたわけじゃないのかも、だけど。

あ~、これは豆だけ買って帰った方がいいんだな、と。
会計して、さっと出てきた。


今年、「後悔日記」をつけてるから余計に、なのかな。
こういうことが多いような、でも以前もあったけど記憶に残っていないだけなのか。

いずれにしても、そうやって「場違い」なのかなって思ったときは、長居は無用。
タイミングじゃないのか、そもそも縁がないのか、その両方か。


他の買いものもして、家に着いて時間を見たら。
やっぱりカフェはしなくてよかった、と思った。

晦日、みんなで蕎麦を食べないと。
子どもたちも手伝って、天ぷらを揚げていて、ちょうどできたところ。

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美味しかった。
長男が出汁をとって、それがまたよくできてた。


買った珈琲豆は新年の楽しみにしよう、きっと美味しいはず。

でも、夜だけどもう一度珈琲淹れて、飲みたいなと思った。
シサムコーヒー、茶漉しドリップでひとり分。


そんな感じの大晦日
実は、もうひとつ、ちょっとしたことがあって。

「栗屋敷~栗コーダカルテットの年末年始~」という特別番組がNHKラジオである、しかも、あがた森男さんがゲストだと。
これは絶対聴かなくては、と思っていたのだけど。
なんとなんと、午前と午後を見間違えてて、午後8時過ぎてからそれに氣付いた…。

まあ仕方ない、「聴き逃し」で今度聴こう、ということになった。

これもまた、タイミングなのかもね。
リアルタイムで聴きたいとは思うけど、何かわからないけど、そうじゃない方がいいよ、ってサインだったり。

そう思うことにする。



2020年、最後の「後悔日記」。
結局あんまりこの一年の総括的な話にはならなかったな。

なので、最後にそれっぽいことを書き残しておこう。


たまぱんのシュトレン、ほんと美味しかった。

今日はぼくは端っこをもらって。
ドライフルーツも端まで詰まってて、その感じがたまぱんのパンがどれだけ愛にあふれているか、をあらわしている氣がして。

シュトレンとしてはそれは当たり前?なんだとしても。
今まで食べたたまぱんもそうだった、やっぱりそれは「愛」だな、って思う。

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(クリスマスのときにもUPした写真だけど、もう一度)

たまぱんのたーさんって、ほんとに「愛の人」、ぼくにとって「メンター」のひとり。
そのことを本人に言ったことはたぶんないけど。
「メンター」っていうのも、勝手に思っているだけのことであって、「心の友」ならぬ「心の師匠」みたいなものだからね。

「こういうとき、たーさんだったらどう言うだろう、どうするだろう」とか。
(当然のように、たーさん以外の人、生きている人そうでない人、友人から著名人までいろいろ、自分にとっての「メンター」が数人いる)

自分が珈琲淹れるとき、たまぱんのような、ほんとに美味しいなぁとしみじみ思うような、そんなものにしたい。
もちろん、珈琲に限らず、他のことも。

それで、愛って「躊躇がない」んだなって思った。
「いざ」っていうときに迷いがない。

これまた、このブログで何度か書いている「迷い」。
迷うことは全然わるくない、むしろいいことだと思ってるし、そう書いてきたんじゃないかな。

そういえば、オリジナル曲『Slow Walker』で「迷うことは誰だってあるさ、それが人生だろ?」って書いたなぁ。

それは今も同じ意見、でもやっぱり「いざ」というときには迷わない。
迷っちゃいけない、んじゃなく、そこに愛があれば「迷いがない」。

歌を歌っているときも、最初の頃はそういう「勢い」がなかった。
躊躇があると、大抵うまくいかない。

そういえば、運勢ってのも「勢い」だって聞いたな。

愛があるなら、運勢だって当然よくなる。
逆に、運勢がよくないのなら、愛があるか、疑った方がいいのかも。

あ、ここで言ってるのは、恋愛的な愛じゃなく、もっと広義的な愛ですよ。

生きること自体、「愛」というテーマは避けられないわけだけど。
だから、取り立てて言う必要ないかもだけど、2021年も「愛」をもって迎えたい。

いろいろあったけど、2020年、いい年だったな。
強がりで言ってるんじゃなく、改めてそう思う。

え?最初と言ってることが違うって?
「こんな年」にはなったけど、それも必然だから。

「後悔」もたくさんできて、よかった。
来年もしっかり「後悔」して、繰り返さないようにしたい。

そんなわけで、2021年はもっとおもしろくする、楽しんじゃうぞ~と思ってる。
まだまだ、こんなもんじゃないんだから。

このブログを見ている人がいるのか、わかんないけど(どっちでもいいか)。
2020年、ありがとうございました☆


 後悔日記 2020/12/31


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

2020年につくった曲。


2020年も、もうあと2日。
いろいろ書きたいことはあるけれど、今年の振り返りはやはり年内にしておきたい。

総括的なことは次に(たぶん後悔日記として)、今回はオリジナル曲のこと。



2020年は思わぬ大変革の年になった。

とは言っても、自分にとっては東日本大震災の2011年の方が、大きな転換だった。
それは社会的にもかなり影響があったはずなのに、そうはならなかった。

今年だって、2020年後半にはなんだかすっかり「慣れた」というか、「鈍感」になってしまって。
大きく舵をとるべき機会を、逃してしまったように思う。


それでもやはり、2020年は大きな変化の年。

「STAY HOME」の時期、仕方ないこととは言え、本当に大変だったよね。
もちろん、医療従事者や宅配などの方々に比べたら、大したことのないレベルかもしれないけど。

ぼくもミュージシャンの端くれとして、この事態をどうしたものか、と悩んだり。
ミュージシャン、とか関係なく、元々引きこもりがちな性格だから、家に籠っているとなれば、いくらでも籠っていられる。

だからこそ、いろいろとまずかった。
この期間で結構太ってしまったし。

時間はあるのだから、こういうときこそ作曲でもすればいいのだけど。
氣分転換ができないし、人とも会わないので、モチベーションが高まらない。

ライブがないから、練習さえほとんどしなかった。


夏頃、ソラノネ庭市にキペルス・パピルスとして出演依頼があって。
結局それは雨で中止になったのだけど。
急遽、ハクハク茶小屋でのライブに変更してもらって。

Nice Meeting You - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)

確か、このあたりから曲づくりもやろう、という氣になったんじゃなかったか。
同じく夏に、パソコンを買い換え、中古のiPad Airを購入、そんなこともあって。

曲のアイデアとかはノートにもメモするけど、やっぱりパソコンかiPadのメモ&録音が中心。

でも結果としては、この時期は一曲も完成せず。

『もしもしも』という、タイトルとサビがすぐできて、その後が全然できないまま放置していた曲があって。
ふと思い出したけど、これ、母の日のちょっと前ぐらいから着手はしてた。

母と子のこと(自分の、ということに限らず)を歌っているんだ、と氣付いて。
そこから、コンセプトが固まって、夏から秋にかけて悪戦苦闘して。

なかなかBメロが決まらず、またちょっと放置中。



そうそう、今年は長かった安倍政権もようやく終わって。
だけど、Twitterでも「喜べない」との声が多かったし、ぼくもそうだった。

引き摺り下ろさなければいけなかった。

そのときからもう誰もが想像できていたけど、今首相が代わっても安倍政権の「続編」なだけ。
想定していなかった点は、安倍政権よりもひどい、ってことかな。
(まだ底があるんだ?って、正直思った)

まあ、しかし、新型コロナウイルスがなかったら、果たして安倍政権はどうだったんだろう?
続いていたとしたら、それはそれで悪夢だろうから。
率直に喜べなくても、とりあえず終わったことはよかったんだろう。
(当然、このままでいいとは思ってないけど)

で、今年に入って、安倍政権は終わる、もしくは終わらせなければ、と思っていて。
2017年に、一度は「完成」ということにしていた『アベコベ⇔シンドローム』。
これの歌詞を書き直して、完成したのが今年の4月の終わり。
後悔日記 2020/4/28 - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)

そうか、結構がんばっちゃったので、他をつくるとか、あまり意識が回らなかったんだったか。

アベコベを生きる|とむやん|note
(そういえば、noteをやめようと思っていて、そのことも書かなきゃ)

そんなわけで、これが今年最初にできた曲。



書き直ししているオリジナル曲はあと何曲かあって。

それとはちょっとニュアンスが違うけど、コードがいまいちわからないので、はっきりと「完成」と言えないままだった『お菓子な国』。
これ、先日ようやく納得できるコードがわかって、今度こそ「完成」。

お菓子な国。 - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)
(以前にも書いたように、「正解」がはっきりあるわけじゃないから困る)

花桃の咲く頃に』という曲も、歌詞を大幅に書き換える予定で。
これまた先日から取り掛かっているのだけど、年内には間に合わなかったな。
花桃の咲く頃に - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)

これは2016年に一度「完成」させて、はなもも市でも演奏させてもらって。
でも、歌詞とメロディーがしっかりはまってなくて、氣になってて、ずっと変えようと思っていたもの。

先日、ふと思い出したのにはちょっとしたわけがあって。

ほんとにふとした思い付きで、1月から12月、12ヶ月それぞれに1曲、もし選ぶとしたらどれになるだろう?って。
それについては、また詳しく書くけれど、そんなことを「お遊び」として考えてみて。

まあ、3月は『花桃の咲く頃』だろうな、と。

この曲は譜面のデータもメモも残っていなくて。
かろうじて印刷したコード譜が一枚、それをiPadにメモして、外を歩いているときとかに考えたりしているところ。



思ってたより、だいぶ長くなってしまった。
今年、12月半ばにできたオリジナル曲がひとつあって。

構想はもっと前からあったけど、2020年につくった曲というと、これになるかな。
『アベコベ⇔シンドローム』も『お菓子な国』も、焼き直しなので。

『Suzie』という、スティルルームの店主スージーに送った曲。

記憶が定かじゃないけど、たぶん去年の9月頃、一五一会を変則チューニングにしたりして、いろいろと弾いてみていたんじゃなかったかな。
そのときに、ちょっといい感じのリフっぽいものができて。

少し前から、スージーという曲をつくろうという構想はあって。
ふと、自転車を漕ぎながら、あのリフを使えるんじゃないか?と。

Aメロはサビと同じコード進行で、あとでBメロをつくって。

12月14日に、久々にcafe salon STILLROOMに行って。
ほんとなら完成させて、披露したかったのだけど、6~7割までしかできず。

先日、なんとか完成。

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スティルルームに行ったこととか、曲のことも今日書くつもりでいたけれど。
これまた今度(たぶん年明け)、ということにしよう。



2020年に完成させたオリジナル曲は。

『アベコベ⇔シンドローム
『Suzie(スージー)』
『お菓子な国』

少ないなぁ。

浮かんだアイデアもいくつかあったし、つくりかけのものもまだたくさんある。
2021年はその辺もバンバン完成させて、どんどんオリジナル曲を増やしたい。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

2020年のクリスマス。


一年前のクリスマスをどんな風に過ごしたか、案外(でもないか)憶えていない。
だから今年も、備忘録として書いておきたい。

今年のクリスマス、そして「救い」について。 - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)
(↑2019年のクリスマスは、これ)
Have yourself a merry little Christmas☆ - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)
(↑2018年はこんなことを書いた)



まず、クリスマス・イヴ。


今年は長男のリクエストで、鶏まるごとを頼んであった。

モモ肉は別にして、翌日に食べることに。
あとは参鶏湯風に。

長男はこの日のために、鳥の骨組みを絵に描いたりして。
骨は骨で、標本にするらしい。
結構な執念、すごいなぁと思う。

自分も動物は好きだったけど、ここまではできなかった。
いや、たぶん骨とか、ちょっと苦手だった氣がする。

参鶏湯は妻の担当なので、ぼくは温サラダを。
この日のために買っておいた動物型のパスタと、カリフラワーで。

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(長男が、みんなに鶏肉を分けているところ)


ご飯の前に、シュトレンをみんなで食べる。
たまぱんのオーガニックシュトレン、今年もこれが食べれるしあわせ。

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しかも、オーガニック&つながるマーケットでのドネーションとして、たーさんからいただいてしまった。
(そうだった、オーガニックマーケットのことも書く予定)
例年以上に味わって食べよう。

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キャンドルを灯して、みんなで一切れずつ。


うちはクリスマスケーキは食べない。
それについては後でちょこっと書くとして。


子どもたちと添い寝して、途中で起きるつもりが。
目が覚めたのは朝の5時過ぎ。

あぶないあぶない。
慌てて、あれこれ準備して…。


クリスマスの朝。
今年のサンタさん?は、お菓子と砂時計をくれたらしい。

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末っ子は、ちょっと不満げ?
(どうも、車のおもちゃがもらえると思っていたらしい?)
でも、そんなこと口にしたら、お菓子なし!ってことになるのはわかってるので、文句は言わない。
(後で、妻にちょこっとこぼしていたんだとか)

まあでも、棒付きのキャラメルキャンディー舐めているときは、みんなご機嫌。
(今調べたら、ブルターニュ産のゲランドの天然塩を使ったキャラメルだそう)

ぼくも、ささやかだけど、妻にプレセント。
住道に行ったとき、たまたま入った雑貨屋さんで買ったクロッキー帳。

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たけうちちひろさんという、切り紙作家さんのもの。

妻から子どもたちには、おーぷんせさみのクリスマスクッキー。
シュトレンもまた一切れずつ、大人はコーヒーとともに。

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昼ご飯は、全然クリスマスらしくないもの。
紫キャベツを使ったので、何となくハロウィンぽい、お好み焼き。

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夜ご飯は、鶏モモ肉。
付け合わせに、チンゲン菜やもやしなどの野菜炒め。



とまあ、こんな感じ。

長男は鶏まるごとに興奮状態だったけど、比較的質素というか、大人しいクリスマスだったんじゃないかな。

そうそう、今年は新型コロナウイルスの影響で帰省をしないので。
例年ならクリスマス前後はそれでバタバタしがち。



クリスマス前後で読んだ本も載せておこう。

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『ミミとまいごの赤ちゃんドラゴン』

次男がちょっと前に『ロバのジョジョとおひめさま』という本を借りてきていて。
それがよかったので、他の作品も調べたら、文と絵と同じ人たちのものがあった。
(マイケル・モーパーゴ文、ヘレン・スティーヴンズ絵)
それが、これ。

いずれ借りよう、と思ってたのが、図書館のクリスマスコーナーにこの本があって。
タイトルとかではわからないけど、実はクリスマスのお話。


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これは、絵が同じ人(ヘレン・スティーヴンズ絵)。
『クリスマスのおかいもの』


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『トムテと赤いマフラー』

奇しくもここまで3冊、サンタクロースが出てくる話じゃない。
12月に入って、サンタクロースの出てくる話もいくつか読んだけど、なんかちょっと違うなぁ、というか。
どれも悪い話ではない、のだけど。

それより、こういうトムテとかが出てくる方がおもしろい。
スウェーデンでは、クリスマスにトムテにお粥(ポリッジ)をお供えする。

そう、プレゼントをくれたりとか、全然ないわけで。
その代わり?というか、大事に扱えば農家に繁栄をもたらしてくれる。

クリスマスとか国とか関係なく、そういう存在がいて「守ってくれる」というのが何よりの贈りもの、だったんじゃないのかなぁ。
それがいつの間にか、サンタクロース=物欲を満たす存在、って感じになってしまっている。


クリスマスやサンタクロースをどう捉えるか、その辺はまた改めて書ければいいのだけど。

とりあえずメモ程度に、のはずが。
やはり一氣に書き出してみると、結構長くなってしまう。

クリスマスケーキのことは書くつもりでいたけど、これもまたの機会に、かな。


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最後に、次男が蜜蝋粘土と積み木でつくったクリブの写真を載せて。
2~3日前だったか、急につくり始めて、しかしなかなかの出来じゃないかと思う。

ちなみに、右手前にいる犬が倒れてるのはご愛敬、ということで。



                    せれんでぃっぽ☆とむやん