とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

ウクレレのペグ交換、してみました。


前回、誕生日のことを書いたら。
fbのコメントでも、お祝いの言葉をいただきました。
本当にありがとうございます。

コメントの中で、「誕生日っていいな〜って、読んでてあらためて思いました」と書いてくださった方もいて。
これは、ぼくも常々思うことだったりします。

誕生日然り、結婚式然り。
「記念日」とか「祝福」とか、お祭りだったりパーティーだったり。

そういうものがもっとあってもいいな、って。
もちろん、日常があってこその「ハレ」なわけだけど。

来年の45歳のときには、何かイベントでもしようかなって。
コメントに冗談半分で書いたけど、ほんとにできたらいいなぁ。
ライブとか、来てくれた人に珈琲ふるまう、とか?


ちなみに、今日(2018.7.30)は母の誕生日だったりします。



一昨日に見た虹が、すごくキレイで。
ぼくは見逃したけど、昨日も今日も出ていたみたいですね。

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前々回の、空氣まで朱鷺色に染まってしまったような夕暮れだったり。
週末に来た、普段とは違う動きを見せた台風だったり。

ぼくは何となく、『風の谷のナウシカ』を思い出して。
もしかしたら、この世界では「美しさ」はある種の「浄化」なのかもしれない。

ちょうど、今書こうとしている歌とリンクして、そんなことを思ったりしています。


きっと、もう「次」の段階は来ていて、どういうスタンスで行くのか。
今まで通りでいたい人もいれば、劇的な変化を楽しみたい人もいるでしょう。

ぼく個人としては、「変化」を楽しめた方がよりおもしろくなる時代なんだ、と。
ますますそういう傾向が強くなったように感じます。



とまあ、壮大なことを考えながら。
今日書くのは、ほんのちょっとした「変化」のこと。

ぼくがウクレレを始めたのは、たぶん20年くらい前。
実はあまりよく憶えていません。

たぶん、『ザ・ビートルズ・アンソロジー』でジョージ・ハリスンウクレレを弾いていたのがきっかけのひとつ、だったはず。
それが1995~96年のこと。


初めて買ったウクレレは、アストリアス(ASTRIAS)というメーカーのもの。

アストリアスギター オフィシャルサイト

御茶ノ水の楽器店で、2~3万円ぐらいのを探していたのですが。
(入ったのはたぶん、下倉楽器)

今だったらその価格帯でもいろいろ選べるのですけど。
当時はあまりいいものがなくて、店員さんに薦められたのがこのウクレレでした。

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実際、音もよくてすぐに氣に入ったのですけど。
5万円台だったかなぁ、予算オーバーで結構悩んだのは憶えています。

このアストリアスのギターやウクレレには、シリアルナンバーが記されていて。
ホームページを見ると、簡単に製造年がわかるようになっています。

このウクレレは1500番台なので、1996年製。
やはり、ぼくのウクレレ歴は1996年かその翌年くらいから、かな。

ギターと違ってもち運びやすいのと、夜中でも静かに練習ができたりするので。
特に滋賀に来てからは、ギターはほとんど弾かなくなってしまいました。

最近、実はエレキギターを手に入れたので、ギターもまた練習したいと思っていますが。


さて、話を戻します。

この、ぼくのファーストウクレレ、ちょっとペグが使いづらくて。
ギア式のものに交換したいな~と前から思っていました。
(どんなものかは、後で写真があります)

これまた御茶ノ水に「アキオ楽器」という、超有名&個性的なウクレレプロショップがあって。
2年前だったかな、そこで手ごろな値段の台湾製のギアペグを買っておいたのです。

これ、ペグ交換にはちょっと加工が必要で、小さいけどネジ穴を開けるんですね。
それでなかなか踏ん切りがつかなくて。

最近、またまたシリアルナンバーを見て調べて、このウクレレ22歳なんだな~と。
ウクレレも成人するのかはわかりませんけど、もう替えてもいいよな、って。

44歳の誕生日、何かちょっとしたことでもしておこうと思って。
ウクレレのペグ交換を、自分にとってのちょっとした「儀式」みたいに捉えてみたらおもしろいかも、と。

興味ない人にはどうでもいい話、ですが(笑)
これまた備忘録的に、書き残しておこうと思います。


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これがそのウクレレのヘッド部分。
弦を巻き付けているのがペグで、これを回してチューニング(音合わせ)をします。


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後ろから見ると、こんな感じです。
これはストレートペグと言われるもので、回した分だけダイレクトに弦が巻かれます。

なので、ギア式と違って微調整がしづらい。
慣れてしまえばどうってことなかったりしますけど、ライブのときとかはギア式の方がいいかな。


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ペグは、裏のネジを外せば簡単に取れます。
下はブッシュという金具を取り外したもの、ここも交換をします。

ペグ交換は、場合によっては穴を拡げないといけないこともあって。
今回はそのままで大丈夫でした。

なので、取り付けるネジ穴を開けるだけでOK。
(と言いつつ、やっぱり抵抗はあったなぁ)


4つとも、無事替えることができました☆

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無事、と書いたものの、ひとつだけちょっとやり直しています。
慎重にやったつもりでしたが、角度が微妙にずれてしまって。

初めてやったにしては上出来、かな。
やり直し部分もほとんど氣になりません。


ペグのボタンはピンク色、これが氣に入って買いました。
最近、アストリアスにはAQUILA REDという赤い弦を張っていることもあって。
(2つ前の写真がわかりやすいかな)

ちょっと残念なのが、ボタンが一個だけちょこっとヒビが入っていて。
当面使うのに支障はないと思いますが。

将来的には、ボタンだけ替えるかもしれません。
(ボタンのみで売っていることはほとんどないので、手づくりしないとダメかな?)



やってみて、やっぱりよかったなと思います。
失敗はあったけど、リカバーできないほどではなかったし。

ますます愛着が湧きました。


そうそう、来週埼玉の実家に帰省予定なのです。

うちには貸し出し用のウクレレが何台かあって。
(このファーストウクレレは残念ながら貸し出しできませんが)

今週取りに来ていただければ、一ヶ月間使っていただけます。
数に限りがあるので、もしよければ。
ぼくがいない間、誰かに使ってもらった方がいいので、氣になる方はご連絡ください。

せれんでぃっぽ ウクレレ サロン - ホーム | Facebook


あと、これまた急過ぎるかもしれませんが、レッスンもお受けいたします。
今週タイミングが合えば、そのあとは8月20日以降になります。

8月24日[金]は滋賀・栗東のcafe salon STILLROOMでウクレレサロン。
16時からで、こちらは中級者向けかな。

8月26日[日]は滋賀・日野の向町カフェで、「ウクレレ♩みんなでウクレレ♩」。
10時から、初心者でも参加できますが初心者レッスンを受けてからをオススメます。

ウクレレ=夏というわけではないけど、始めるには絶好の機会かと。
「やってみたいと思っていて」等、お氣軽にお声掛けください。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

44歳。


一週間遅れですが。
先週の7月21日に、44歳になりました。

今年も、fbでたくさんのメッセージをいただいたり。
家族や友人から、いろいろをお祝いしてもらいました。

本当にありがたいです、嬉しいです。


昨年はこんなことを書いていました。

43歳。 - とむやんの氣まぐれ雑想記




妻はケーキをつくってくれました、写真は撮っていませんが。
そして、子どもたち(上2人)からはそれぞれ、カードをもらいました。

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長男は、開くと中に「トリケラトプスの頭骨が動く仕掛け」のあるカードと手紙。
次男は、かわいい絵のカード(これもちょっと仕掛けあり)と、たくさんの切り紙。
(写真はそのごく一部)

そして、義理のお母さんからもお手紙をいただきました。


父と母は、いつもいろいろ送ってくれます。
今回、さかうえだいすけさんのトリケラトプスカップと。

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ちなみに、大の恐竜好きだったぼくは、トリケラトプスが一番のお氣に入りでした。
長男のカードも、カップも、たぶん偶然なのですが。
(長男にはもしかしたらその話を以前したことがあって、憶えていてくれてるのかな)

2015年の誕生日にも、さかうえさんのカップをもらっていて。

ナマケモノカップ♡ - とむやんの氣まぐれ雑想記



それから、実家の喫茶店でもお世話になっている「家音 -kaon-」さんのスイーツ。

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「家音 -kaon-」さんのこと、もったいぶっていつも書けないので、今日こそは。

66で11。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


埼玉の実家に帰るときは、いつもブックカフェなどのイベントをしています。
そのときに、「家音 -kaon-」さんはよく来てくださって。
しかも、手づくりのケーキを差し入れしてくださり、それがまたすごく美味しかった。

2016年を振り返ってみる☆ - とむやんの氣まぐれ雑想記


これはきっとご縁だ、と思って、ふとひらめいて。
実家の喫茶店のスイーツを「家音 -kaon-」にお願いすることにしました。
(それまでは別のスイーツを仕入れていました)

妻が滋賀の「大地堂」のディンケル小麦をプレゼントしたら、後日早速パウンドケーキを試作して、送ってくださったり。

カフェ・ド・アクタのこと。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(それが「とても嬉しいこと」、でした)

最近も古代小麦アインコーンを使ったクッキーを、試作品として同梱してくれていて。

なんか、やっぱり書き出してもうまく表現できないのですが。
(そして、それがここまで書けないままだった理由だったりもしますが)

キシダ家との「ただならぬご縁」を、ぼくは勝手に感じているのです。


まあ、そんなわけで今年の誕生日の備忘録に戻ります(笑)

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紅茶とあんずのケーキ。
手前は、名前を忘れてしまった…。


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子どもたちも大好きな、ネコ型のクッキー。
写真を撮り忘れたので、以前撮ったもの。
(なので、マドレのコスクランも写っています)

ネコのクッキーは定番、配合なども以前から変わっていないみたいなのですが。
なぜか、食べるたびに以前よりもっと美味しく感じられるのです。

やっぱり、誰がどういう想いでつくるかは、味に結構出るなぁと。


今はご縁のあるつながり以外、活動をちょっとおやすみしている「家音 -kaon-」さん。

家音 -kaon-


本当にありがたいことに、カフェ・ド・アクタには今も置いてもらっています。



さて、友人から。

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石に、友人数人が絵やメッセージを書いたもの。
Happy Birthdayとかウクレレの絵とか、こういうプレゼントを思い付くのがさすが。
(個人的には、この写真の面が特に好き)


誕生日の翌日、若き友人がニュージーランドへ行くということで。
何人かで集まって、壮行会をしました。

そのとき、サプライズで誕生日もお祝いしてもらいました♪


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パティスリー ユウグレのケーキ、前から氣になっていたので嬉しかった♡
こちらも、友人たちの寄せ書きカード付き。

ケーキを用意してくれた友人が、「では、願いごとをしてローソクを」と言ってるときにはもう吹き消してた(笑)
でも、こうやってお祝いしてくれたり、美味しいものがたくさんあったり。
もう既に願いごとが叶っていたから、間違いじゃないのです。


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若き友人の妹ちゃんのつくった珈琲ゼリーもみんなでいただきました。
11歳でこれが、こんなに美味しくつくれるなんて、ほんとすごい。

この日はこのほかにも。
かわいいエコバック、「歌詞を書く用に」とロクブンノイチ野帳をもらいました。



とまあ、まとまりのないまま書いてしまいましたが。
途中でも書いた通り、備忘録的なものなので、お許しください。

そして、友人の誕生日には今度は祝う側として、いろいろできたらいいな。
嬉しかったことを書き留めて、次は逆の立場になれるように、精進します。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

あなたがいたくないところに、いることはできない。


先週、おかげさまで44歳の誕生日を迎えました。

そのことはまた改めて、いろいろ書きたいと思います。
今日(2018.7.25)は、前回の続きのようなもの。



今、『ザ・ビートルズサウンド 最後の真実』という本を読んでいます。
かなり分厚いので、手強そうではありますが。

レコーディング・エンジニアが書いた本ということで、なかなかおもしろそう。

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以前、『人生で大事なことはビートルズからすべて教わった』という本を読んだことがあって。
かなりおもしろかったです。
そっちは、ビートルズファンじゃなくても読みものとして楽しめる、かも。


昔TVで観たビートルズ特集とかでも、彼らのエピソードにも興味があって。
結構、自分にとっての「人生訓」になっていたりします。


先日、ネットでこんな記事を見ました。

ジョージ・ハリスン、“Hey Jude”制作時のポール・マッカートニーのこだわりについて語った逸話が明らかに | NME Japan


この中で、『Hey Jude』レコーディングのときのジョージ・ハリスンの発言が抜粋されていて。

「最後の何枚かのアルバムでは特にそうだ」と思うんだけど、「ミュージシャンとしての演奏の自由が縮小していったんだよ、主にポールによってね」
「彼は他の人の提案にはオープンじゃなかったんだよ」

ジョージの言うようなことが原因のひとつとなって、ビートルズは解散へと向かうことになるわけですが。
(複雑な要因が絡んでいるみたいで、本当に残念)


でも、結局のところ。
このメンバー4人が、一緒にアルバムをつくるのは無理が出てきたんだと思います。

特に、ジョージ・ハリスンビートルズ後期に名曲をいくつもつくっているし。

解散後に出したソロアルバムは、レコード3枚組。
ビートルズでは発表できなかった曲もたくさんあって、これだけのボリューム。
しかも、これが大ヒットしたわけです。
(個人的にも、『All Things Must Pass』は大好きなアルバムです)

もう、「ビートルズ」という枠に収まっていない。

先ほどの、『Hey Jude』で「ギターのコール・アンド・レスポンス的な処理を提案」して、却下されたということも。
どういうものかわからないけど、たぶんジョージはインド音楽の影響でそれっぽくしたかったんだと思うし、正直それは断られてよかったんじゃないかなぁ。

Hey Jude』 は、というか後期のポールの作品は、完成形がもう頭にあったんでしょう、きっと。


ビートルズの『All You Need Is Love』の一節。
Nowhere you can be that isn't where you're meant to be

あなたがいたくないところに、いることはできない。
逆に、あなたがいるところこそ、あなたのいたいところ。

この曲は歌詞がちょっと難解らしく、訳があっているかはわかりません。
でも、こんなような意味になるらしい。

歴史に「もしも」はない、とよく耳にする言葉ですが。
ある意味、それに通じることなんだと思います。
「もしも」がないのは、なるべきじゃない流れにはなりようがない、ということ。


でも、だからこそあえて、もしビートルズがあの時点で解散していなかったとしたら。

ビートルズの枠を超えて、次のステージに進んだ4人。
ビートルズが続いていても、それ以上の展開はなかっただろう、と思います。


大切なのは、共鳴していること。
そしてそこに落ち着いてしまうのではなく、高めていくこと。

そのとき、「行き先」がそれぞれ違ってしまっても仕方のないこと。


「自分は悪くない」とか「自分は間違ってない」とか。
そう思ってしまうときはよくあります。

前述のジョージ・ハリスンも、そうだったはず。
ただ、ジョージにとっての「正しさ」とポールにとっての「正しさ」は違う。

そこをどうすり合わせていくか、というのも必要なんだと思います。
けれど、相手をコントロールすることはできない。

相手がスタジオミュージシャンなら、指示通り動いてもらうこともできるのかも。
でも、結局「思い通りにならない」からこそ、おもしろいものが生まれる。

その一方で、あまりにも「思いがすれ違う」ようなら、それは「お別れ」のタイミングなのかもしれません。
まずはちょっと距離をとってみたり、ビートルズみたいにビリー・プレストンをゲストとして招くとか。
まあ、それでもやっぱり解散しましたけど。



ここまで書いてみて、着地点がイマイチわかりません。
でも、『Hey Jude』 についてのジョージ・ハリスンの言葉は、ぼくにとっての指標がひとつ増えた氣がします。

それを憶えておきたくて、書いてみました。
いずれ、改めて加筆修正するかもしれません。


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最後に、今日の夕空。
空だけじゃなく、世界が朱鷺色に染まったようでした。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

metamorphosis


ここ最近のテーマ、〈報われない感〉。
そして、〈話が通じない感〉。

共通するのは、ざっくり言えば「また新たなステージへ」ということ、なのかな。
脱皮だったり換羽期だったり、もっと言えば「変態(metamorphosis)」だったり。

eclipse - とむやんの氣まぐれ雑想記

(ちょっと前には、「エクリプス」という言葉を使ってみました)


そういや、性的倒錯を表す「ヘンタイ」も、同じ「変態」なんだなぁ。

変態さ。 - とむやんの氣まぐれ雑想記
以前書いたように、自分の中の「変態さ」に氣付くってことが大切なのかも。
(なので、「変態」はどちらかというと、自分にとっては褒め言葉)


で、話を戻すと。

今、ぼくが着目している「話が通じる/通じない」というのは。
この場合、自分と相手の「読解力」の差から生じること、とはちょっと違って。
(「読解力」については、別の機会に考えてみたいですね)

そもそも、既に同じ土俵(フィールド)に立っていない、レイヤーが違う状態。
だから、話だけじゃなくて、存在そのものが「すれ違って」いる、と言っていいかも?

そう、「変態(metamorphosis)」した後って、生息環境を変えたりするもの。
なのに、以前と同じ状況に自分を置いているとしたら、合わないのは当然のこと。



さみしい氣もちになるときって、「新たなステージへ」ってことなんじゃないかな。

さみしさの論理。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


《ABC》でも、「さびしさからはじめよう」というテーマを何度かやっていたり。

失恋状態ってなんなんだ? - とむやんの氣まぐれ雑想記


歌にもあるけど、ハナレグミの『サヨナラCOLOR』のサビ、「さよならからはじまることがたくさんあるんだよ」だったり。
佐野元春さんの『グッドバイからはじめよう』は、よく考えたら先ほど書いた「さびしさからはじめよう」の元ネタだな。

「終わりは はじまり」、ほんとそうです、その通りです。



実は今年、年が明けてすぐのこと。
ちょっとさみしくなっちゃうような、そんなことがありました。
と言いつつ、詳しくは書かないけれど。

話をしていた相手から、「低く見られている」「軽く扱われている」というのかな。
自分はそんな風に感じてしまった、受け取ってしまったのです。

だから、単なる「取り越し苦労」、「下種の勘繰り」だったんでしょう。
時間が経って、今はそう思えます。

ただ、事実としてどうだったか、ということよりも。
「氣付いてしまった自分」、というところがポイントなんだろうなぁ、きっと。


例えば、恋愛とかでの常套句、「もっとキレイになってやる!」みたいな。
別に、相手は「キレイじゃなくなった」から、他のオンナに鞍替えしたわけじゃない。
でも、ある意味ではまさに、「低く見られている」「軽く扱われている」ってこと。

そういう、「見返してやる」マインドって、案外わるくないんじゃないかな。
ただ、「不釣り合い」になってしまった、そこが重要なんだと思います。

「高い低い」があるわけじゃなくて、「チャンネルが違う」だけ。

だから、うまくいかないなと思うときは、意識的に「離れて」みる。
それって、ちょっと「さびしい」ことかもしれないけど、そこからはじまる。


周りが忙しなく、目まぐるしいスピードで動いているとき。
そういうときは、ちょっと立ち止まってみてもいい。

ふと、空を見上げてみたら、もっといいのかも。
逆に、足元に注目してみたり、とか。

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止まることができたら、逆に「迷わなくて」済むのかもしれない。
「迷ってもいい」んだけど、それよりは次の手を実行しちゃった方がいい。

それがまた違うなと思ったら、また立ち止まってみる。

「迷子」になったときみたいに、わかっている地点まで戻るのって、案外むずかしい。
でも、それで余計に現在地がわからなくなってしまう。
ますます「アウェー」な氣もちになってしまう。


「変態(metamorphosis)」/変化を怖れる必要はない、ということ。
むしろ、楽しんじゃっていい。

「すれ違い」や「不釣り合い」を感じたら。
それは、また「旅立つとき」が来たというサインかもしれない。
もしくは、もう「旅立った」ことの確認だったり、とか。

そう考えたら、ワクワクしてくる。

そういや、「サナギ」って、旅立つ前の準備。
立ち止まって、「変態(metamorphosis)」/変化するときなんだ。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

改めて《ABC》のことと、今月の告知。


さて、今日(2018.7.14)は単刀直入に。
前回の《ABC》の報告と、次回の告知です。

《ABC》(オルタナティブ・ブック・カフェ)は、ぼくが開催している本イベント。
イベント、と言ってもかなりゆるい企画です。

オルタナティヴに遊ぶ。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑オルタナティヴという言葉については、以前書いたことがあります)

要は、本をもち寄ってお喋りしてみませんか?というお誘い。
と言いつつ、脱線してばっかりなので、本はあくまでも「口実」的なもの。


次回は来週の火曜日、7月17日。
滋賀県栗東市、安養寺のcafe salon STILLROOMの一角をお借りして。
10時から12時ごろ、出入り自由です。

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毎回一応テーマがあって、今回は「自由にこんがらがって」。
「自由」について、改めて考える機会にできたらと思っています。

もちろん、テーマから外れてもOK。
最近読んだ本のことだったり、逆に本とは関係なくてもテーマについて喋りたいとか。



オンデマンドな感じのイベントにしたいので、どう説明していいのか毎回迷いますが。

前回のことを書いてみて、そこから雰囲氣を掴んでもらうのがいいかも。


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前回のテーマは、「仕事、再考2.0」。
同じテーマで開催したことがあるので、そのヴァージョン「2.0」ということで。

でも、テーマに縛られず、あれこれとお喋りできたいい時間でした。

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ぼく自身は、紹介したい本を3冊選んでもっていくことにしています。
場合によっては、最後まで読めていないこともあるのですが。

このときの3冊は、今回のチラシにひとことレビューを書いてみています。


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(STILLROOMのスージーも、厨房から何となく参加してくれたりします)


そんな感じで、こちらからがっつりと何かを提供する、というイベントではないので。
その人のそのときのハマり具合によって、お氣もちをいただけたらというハートマネー方式にしています。

このとき参加してくださった方から、なんとクスクス料理をいただきました。

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世界最小のパスタ、クスクス。
北アフリカや中東、ヨーロッパやブラジルでも使われる食材、もしくは料理名。

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とても美味しくて、クスクス料理にハマりそう。

ハートマネーと言いつつ、お金じゃなくてもそれもまた楽しい♡
ちなみに、クスクス料理を開けたらかわいいポチ袋にお金も入れてくださっていて。
心遣いが本当に嬉しかったな。


なんか、ふっと喋りに来たって感じ、そういう場所や機会があったらいいなって。

例えばちょっとモヤモヤすることがあって、普段なら親しい友だち呼び出して聞いてもらうところを、せっかくだからこっちに行って喋ってみようかな、とか。
埼玉の実家の喫茶店でやるときは、普段なかなかお会いできない方々とお会いできて、近況的な話もできるので、すごく楽しいし。

そういう意味では、ほんとは本じゃなくてもいいんです。
ただ、ベースになる何かがあると、話しやすいかな、というだけで。

人の話も聞きやすいですしね、「この本では、こんな風に言っているよ」とか。


最近、友人と「本を読む時間って、どうしてる?」という話をしました。
その友人は3人目のお子さんがまだ1歳未満なので、なかなか自分の時間ってとれないでしょうね。

でもたぶん、本を読む習慣があれば、ムリに時間をつくらなくても氣付いたら読んでいるはずだし。
そもそも、最初から読んで、読み終えないといけない、という観念があるからかも?

そういう「読書事情」みたいなことも、それぞれのお話が聞けたら嬉しいです。

前回の参加者さんで、草津ビブリオバトルの常連、という方もいたり。
基本少人数だし、今はまだ参加者さん同士の交流とかには発展していませんが。
ウクレレサロンはそういう展開もあったりするので、今後はそういうことも期待したいな。

さて、今回はどんな会になるのかな、楽しみです。
7月17日、よかったら遊びに来てください。

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《ABC》を横目で見ながら、STILLROOMにお茶やランチしに来るだけでももちろん大歓迎です。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

32周年おめでとうございます。


このところ、暑い日が続いています。

先週は豪雨があって、今もまだ被害が続いているとのこと。
一刻も早い回復を祈っています。


こういうときは、あまりブログを書こうという氣になれません。
暑さもあって、あまりPCに向かいたくない、というのもありますが。



でも、今日は書きます、今日は7月12日。
守山にある「山本珈琲倶楽部」がオープンしたのが1986年の今日ということで。

32周年だそうです、本当におめでとうございます。
というか、本当にありがとうございます、その方がしっくりくるかも?


「山本珈琲倶楽部」を知って、行くようになってまだ一年とちょっと。
今ではお氣に入りの、ぼくにとってかけがえのない特別な場所です。

30年続くかはわからないけど。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑以前、こんなことを書きました、「山本珈琲倶楽部」のことも書きました)

今年も始動!SLOW WALKERs - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑初めて行った日のこと、ちょこっと書いてます)



今週の月曜日、ミーティングもかねて、友人たちとお祝いをしに行ってきました。

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ちゃたくんが用意してくれた色紙に、みんなで寄せ書き。

実は、ちょっと計算間違いをして、「31周年」になってしまっています。
自分のノートに開業の年号と「32周年」としっかり書いていたのに。

いずれにしても、32周年って本当にすごいです。


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「山本珈琲倶楽部」のモーニング、この日はホットサンド。
ブレンドコーヒーと。


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ミーティングが思いの外長くなったので、ウィンナー珈琲も注文してみました。



そして、実は32周年のお祝いと、日頃の感謝を込めて。
先週から、曲づくりをしてみていました。

先週の水曜日の夜、ハクハク茶小屋からの帰りにつくり始めたので、ほぼ一週間。
まだBメロが確定できていないのですが、一応完成ということにしておきます。
(いつものように、ここから若干修正が入るかも)


今回もそうですが、曲は「人のために」書こうと思うと、結構思い付くもの。
と言いつつ、同じように進めても保留になっているものもありますが。

「山本珈琲倶楽部」をイメージしながら、実家の喫茶店や珈琲を淹れている自分のことも投影しつつ。
でも、あえて「珈琲」という単語は入れないでおきました。

ちなみに2杯目のウィンナー珈琲。
2番のサビで、たまたまちょっとそれをイメージした歌詞になったので。

カフェオレでもいいのだけど、ウィンナー珈琲がよりピッタリかなと。
(お砂糖は後からではなく、入れてもらいましたが)

録音もする予定ではいますが、まずは歌詞だけ掲載しておきます。

タイトルは『愛を注いで』。
ちょっと氣恥ずかしいのですが、32年というのは「愛」がないと続かないだろうと思います。


改めて、「山本珈琲倶楽部」32周年、おめでとうございます♪


                    せれんでぃっぽ☆とむやん


愛を注いで

嬉しいこと おいしいもの
あなたとわかち合いたい
であえた日の あの喜び
忘れないでいたいから

深い香り 夢の続き
心地よく目が覚めたら
昔のこと 聞いてみたい
冷めてしまわないうちに

はじめは 一言 二言
つぶやくように
伝わるまで 待っててね
ひたすら 内から 外へと
マルを描くよ
丁寧に愛を注いで

落ち込んだり 疲れたとき
無理しないでひと休み
選んでみる 残していく
つぎの波はすぐそこに

たまには 一匙 二匙
甘いひととき
溶けていくよ ゆっくりと
好みで 黒から 白へと
気分次第で
存分に味わえば

窓から見える景色は遠く
時計の針は静かに巡る
ささやかな この しあわせ
10年先も ずっと ずっと

はじめは 一言 二言
つぶやくように
伝わるまで 待っててね
ひたすら 内から 外へと
マルを描くよ
丁寧に愛を注いで

愛を注いで

うずうずライブ。

今週のお題「2018年上半期」



昨日から7月。
(書いているうちに、日付が変わってしまいましたが)

今週のお題は、「今年の前半を振り返ろう」ということで。
本当に「早いなぁ」と思います。

でも、時間って「伸び縮みする」んだそうで。
例えば、同じ「3時間」でも人によって体感って違いますよね。
好きなことをやっていると1時間にしか感じなかったり。

それって、実は本当に「1時間分の時間」しか過ごしていないんだとか。
情熱を傾けて何かをしている人って、若々しい印象があったりしますけど。
それはもしかしたら、実際に過ごしている時間が短いから、かもしれません。

まあ、信じても信じなくても別にいいんです。
そういう考え方はいいなぁと、個人的に思っている、というお話。


そして、ぼくにとっての2018年上半期は、まさにそういう感じでした。
濃い時間だったけど、時間経過としてはあっという間。
実感としても、老け込んだ氣はまったくしません(笑)


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(あかね軒の水無月、今年も食べれました♡)



ところで、前回の記事「話が通じない感。」にはコメント等、いろいろと反響をいただきました。
そこからまた、氣付いたこともたくさんあって、続きを書こうと思っています。

そして奇しくも、「人の話を聴く」ということが、この2018年上半期のテーマだったように思います。
自分軸があるからこそ、「人の話を聴きたい」と思えるようになる。
その辺は別の機会に詳しく書きます。

テーマだった、と言ってもそれを完璧に遂行した、わけではもちろんなくて。
「人の話を聴く」ということ、それがどういうことなのか、追究していた感じです。


特に、〈へいわのじかん〉という企画。
当初宣言したように、今年の自分の思考や「実体験」の中心となっています。

へいわのじかん。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


そこからうまれた「感謝の棚卸し」だったり、「家庭内民主主義」だったり。

感謝の棚卸し。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


「igokochi」や、続きを書けていないシンクロニシティのことも、もっと深めていきたいと思っています。

igokochi - とむやんの氣まぐれ雑想記




そして下半期、この半年間を踏まえて何をしていくのかというと。

ひとつは、地道にやってきた「オルタナティブ・ブック・カフェ」。
実は最近、サブタイトルを「非常識」を楽しむための《ABC》に変えました。

《ABC》はこれまで、思い付きでゲリラ的に開催することが多かったのですが。
cafe salon STILLROOMに協力いただき、定期開催を試みることにしました。

先月開催したときの報告や、今月の告知などは、また改めて。


もうひとつは、音楽活動。
先日、「小さなマーケットTree」のマーケット終盤に、ミニライブをさせてもらったことを書きました。

ハート味噌汁 - とむやんの氣まぐれ雑想記


ちなみにこの日、久々にウクレレ楽団〈キペルス・パピルス〉としての演奏もして。
相方ちさちゃんも、「やっぱり合わせるの楽しいね」と言っていたし、実はこのタイミングで年末にオファーもいただいたり。

ソロのライブは、もっと違う形でやっていきたいなと、ますますそう思っています。
グループでやる楽しさやよさとは別の、もっと「対話」を取り入れたような。

「対話」については、「人の話を聴く」と同様に、ここでは詳しく書きません。
と言いつつ、ひとつだけ。

苦手なのはいいとしても、だからと言ってそれを「否定」することはないですよね。
例えば、食べものの好き嫌いはあるとしても、だからと言って「そんなものを食うなんて」とか、言う必要ないわけで。
自分がそれを「しない」のは自由、ならばそれを選択すればいい、必要ないなら「いらない」と言えばいい。

だから、車座になって人の話に耳を傾けながら、それに返答したり歌を歌ったり、そんなライブをしてみたいなと思いました。

本当は「ワクワクすること」に誰もがもっとフォーカスできたらいいのでしょうが。
それだとまだ、もしかしたら共有しにくいのかなと。

なので、「ワクワク」のもっと手前というか、元種というのか。
なんとなく「うずうず」していること、それを共有するお喋り&ライブ、「うずうずライブ(仮)」を思い付きました。

実は「歌をつくる」というのも、この「うずうず」から始まっているんだと思います。
だからこそ、テーマとしてはピッタリなんじゃないかなぁ。

「うずうず」していることを人に喋ってみたら、それを形にする一歩になる。


そういうお喋り&ライブに需要があるのか。
また、どこでできるか、いつできるかは今のところまったく未定です。

とりあえず、その準備も含めてまたいくつか曲をつくってみています。

それから、オリジナル曲のことだったり、音楽のことだったり。
そんなことを「別冊のライナーノーツ」みたいな感じで、本にできたらと執筆中です。


なんだか、上半期を振り返ったんだかどうだか、わからなくなりましたが(笑)
結局、その振り返りを元に今をどう楽しんでいくのか、それが重要ですよね。

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とりあえず、この節目に振り返りができてよかったです。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん