とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

後悔日記 2021/11/19


疲れた。

今月はあれこれあり過ぎて、特に今週と来週は忙しくて。
まあでも、今週は何とかやり過ごせた。

今日(2021..11.20)もいろいろあったけど、書くのは昨日のこと。



自転車の後輪タイヤの調子が悪い。
時間が経つと空氣が抜けてしまう、これもパンクなのか。

一応、何時間かはもつので、何とかそれでごまかしてきた。

昨日は午前中、松井山手まで行った。
帰り、案の定タイヤがぺこぺこに。

やはり、空氣の抜ける時間が早くなっている。
そうなるだろうと思って、空氣入れをもってくるはずが、忘れた。
さて、どうしたものか。

駅前で買いもの、でも集中して見れない。

自転車を置いて、とりあえず電車でお迎えに行って、夕方また電車で戻ってくるか…。

一応、と思って覗いたドラッグストアが、百均併設だった。
これは、もしかして空氣入れも売っているかも?


あった。
頼りないけど、何とかなるかも。

ダメ元で買ってみて、早速試してみたら。
難なく空氣が入っていく、よかった、ひと安心。


もうひとつ、百均で買ったものがある。

今、マヌーシュジャズ(いわゆるジプシージャズのこと)っぽいものを練習している。
オリジナルソング『点と点と』のアレンジを、マヌーシュジャズっぽくしたいので。

後悔日記 2021/10/30 - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)

『点と点と』は竹テントのWS動画用に書いた、ということもあって。
ふと、竹でギターピックをつくれないか、と思い付いて。

半月ほど前に、ピックは完成。

ちょうどその頃、マヌーシュジャズには厚めのピックを使うことが多い、と知った。
なんと、ピッタリじゃないか。

ただ、問題点があって、それは滑ってもちづらいということ。
滑り止め、どうしようか考えて、探してみたりもしたけど。

空氣入れを見つけて、他もちょっとチェックしてみた。
文房具類のところに指サックを見つける。

よくあるタイプの指サックはちょっと大きいから、合わないかもなぁと思っていた。
でも、もしかしたら違うタイプのものがあるかもと、一応見てみたら。

リングタイプの、指サック・猫(シリコン)なんてものがある!
女性向けらしくMサイズ、これはちょうどいいかも。


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これがまあ、ピッタリだった。
もしかしたら、加工しないと入らないかなと思ったけど、ピシッとはまってこれならずれないだろう。

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肉球の、こちら側が表。
ほんとは逆にしたかったけど、出っ張りと曲線の関係でこうなった。



夕方、昨日は満月で、部分月食が見られるという。
買いものに出かける頃には、もうだいぶ欠けていた。

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これは反対側の空、これもまたキレイだったので。


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そして、月食の写真。
全然うまく撮れてないけど。


戻ってきて、18時ちょっと過ぎがピークだったみたい。
部分、と言ってもほぼ皆既月食、ちょこっと明るい部分が残っているだけ。

長男はシャッタースピードを調整して、結構うまく撮ってた。


もうひとつ、この日はいいことがあったのだけど、それは別の機会に書けたら書こう。


 後悔日記 2021/11/19

                    せれんでぃっぽ☆とむやん

ぼくが「作曲」にハマっている10の理由。

はてなブログ10周年特別お題「私が◯◯にハマる10の理由



今回も10周年特別お題。

「私が〇〇にハマる10の理由」、ぼくは「作曲」について書いてみようと思う。
と言っても、音楽理論なんてよくわかっていない、ただの素人です、とまずはお断りしておく。


当たり前過ぎるけど、一つ目はこれ。
◆1.自分の「持ち歌」ができる、それはかなり嬉しい。

素人であれば余計に、誰かが曲を提供してくれる、なんてことはない。
だからこそ、自分で自分に提供するしかない。
そう、自分でつくっちゃえばいい。

単純なことだけど、これは結構な喜びだ。

ぼくが初めてつくった『まつろわぬもの』は、まさに「名刺代わり」になった。

その後、続編的につくった『Slow Walker』もそう、これまた自己紹介のような曲。
今、Facebookの自己紹介はこんな感じにしている。

  吟遊ソングライター。本が好き、珈琲が好き。
 〈ぼくは自由気ままなスロウウォーカー〉 オリジナルソング『Slow Walker』より

もう少しで完成の『もしもしも』もまた、久々に自分のことを書いた曲かもしれない。


◆2.人に喜んでもらえたり、するかもしれない。

自分に向けてつくるだけじゃなく、人に贈るとより「作曲」の世界は広がる。

ベートーベンはこんな言葉を残しているそう。
「墓の下にいても、あなたたちの役に立てる。これほどの嬉しいことがあるだろうか」

先日完成した『点と点と』も、組竹式テントで動画を撮るという、そのBGM用に書かせてもらった。
その『点と点と』を入れて、今までオリジナルは21曲。
その半数以上が、「誰か」に向けてつくったもの。

絵本などでも(特に外国のものは)、「誰々に捧ぐ」みたいな文がある。
「献辞」というらしい。

ラブソングなんかを、いきなり好きな相手に贈るのだと、ドン引きされないとも限らないけど…。
Elton Johnの『Your Song』みたいな、「君の歌だって言っていいよ」ってのは憧れだけどなぁ。
贈っても、贈られても。
(作詞はBernie Taupin)


◆3.「音楽」というものが、より楽しくなる。

冒頭にも書いたけど、ぼくは今もまだ、音楽理論はよくわからない。
わからないけれど、一応それなりには勉強している。

しかし、理論の勉強だけだと、やっぱりチンプンカンプン。

だけど、いろいろな曲をCoverしたりしていると、「あぁ、このコード進行はあれか」と、勉強したことが出てきたりする。
そうやって、段々コード進行のコツもわかってきた、氣がする。

そうすると、以前よりもコード進行が頭の中でわかるようになってきて。
理論としてはさっぱりわからない転調も、頭の中で鳴っている音を再現しようとすると、転調していたりする。

音楽を聴いているときも、コード進行やアレンジなんかに注目してしまう。
聴き方が変わると、ますますおもしろく感じたりする。


◆4.言葉選びの楽しさを知ることができる。

音楽理論がわかったからと言って、作曲ができるわけじゃない。
逆に、わからなくても、何とかなるものだ。

一方で、歌詞。
普段使っている言語(ぼくの場合は日本語)なら、歌詞だって難なく書ける、というわけにはいかない。

そう、歌詞を書くことはぼくにとってはより「ハード」なこと。

つらいときも実は結構あったりするのだけど。
それでも、書くのは好きだ。

韻を意識したり、言葉の響きに対して、以前より考えるようになった。
実はこれ、ダジャレとかを考えているときに似ている、と思う。

小学校5~6年生の頃だったか、クイズとかダジャレとか、ハマったなぁ。
歌詞を書くときのぼくの頭の中は、割とあの感じと近いような。

「テント」から「点と」の連想なんて、ダジャレそのものって感じだし。
クロスワードパズルや連想ゲームのような、そんな要素もあったり。


◆5.世の中の見方、生き方が微妙に変わる。

集中的に歌詞を書こうとしているときは特に、他のことは散漫になりがち。
何を見ていても、そのとき頭にある曲や歌詞に結び付けようとしてしまう。

何というか、常に「ネタ」を探している、と言える。



やっと半分、10個って案外きついな…。

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◆6.「降りてくる」感覚や、シンクロニシティ的なものを体感できる。

この辺は「眉唾」な人には、全然ハマる理由にはならないだろうけど。


で、ここまで一応、どちらかと言うと「ポジティブな」理由を書いてきた。
楽しい、だからハマる、という単純な論理。

でも、プロとしてやっていなくても、創作活動は案外しんどい。
苦しんで途方に暮れて、もう何もかもイヤになったりもする。

だからこそ、「ハマっている理由」ってすごく大事。

みうらじゅんさんのマイブームだって、実はあれはそんなに好きなことじゃなくても、「自分はこれにハマっている」と自分に思い込ませるのが大事だったり。

「作曲」は、「自分はできてる/できた」感がないと、続かないかもしれない。

それでもそうやって続けていると、ほんとに「降りてきた」としか言いようのないこと(メロディーでも歌詞でも)が起こる。
今まさに考えていたことが、開いた本に出ていたり、街中で目にしたりする。

こういうシンクロニシティとか、ぼくにとってはすごく嬉しい「合図」。
山道で迷ったか不安になったとき、立札を見つけてほっとするような、あの感覚。


◆7.言いたいことを表現する、その一歩になる、もしくは訓練になる。

ブログもそうだけど、思っていることや考えていることを言葉にしたい。
うまく伝えられるようになりたい、ちょっとでも「わかって」もらいたい。
そう思っている人は結構いるはず。

文章を書くのもいい鍛錬にはなる、でもそれ以上に「詩」を書くことをぼくはオススメしたい。

もちろん、「短歌」や「俳句」なんかもいい、ぼくもそっちはそっちでつくれたらいいのに、と思う。


◆8.喜びやしあわせは倍に、怒りや悲しみはネタとして利用して半分以下にできる。

5番の生き方が変わる、にもつながる話。
想いを伝えられたり、自分では思い付かないようなことを「受け取った」り。
そういう喜びは、歌の「素材」として使うことができる。

その歌が完成すれば、それを忘れることなく、何度も思い起こせたりする。

マイナスなことは、「ネタ」にしてしまえばいい。
イヤなことがあったとき、「これは歌詞に使えるかも」とか、そうすることで「痛み」が半減されたりする。
失恋ソングなんかも、そういう役目ってあるんじゃないか。
供養、みたいなもの?


◆9.自分でつくったものなので、「権利」は自分にある。

これはちょっと番外編的、かな。
ハマっている理由と、言えるのかどうか。

YouTubeで使うとか、ライブで歌うとか、著作権も自分のオリジナルなら問題なし。
一度できあがったものでも、自分の裁量でどうとでもできる。
(もちろん、多少限度はある)

今はまだないのだけど、曲を提供するようなことがあれば、お金になる。


◆10.理屈じゃない、できた~!ときの達成感。

う~ん、やっぱり10個はきつい。
ここまで書いてみて思うけど、もし「作曲って楽しいよ、ハマるよ」っていうこと自体を歌にするとしたら。

理由は10個もいらない、Aメロひとつに1~2個だとすると。
Aメロ3番までつくるとしたら、6個で足りるだろう。

まあ、そんなことを愚痴っても仕方ない。
8番で書いたように、ほんとにそんな歌をつくって、これを「ネタ」にしてしまおうか。

最後は、「達成感」。

これがあるから、次もまたやろうと思える。
完成したとき、それを人前で披露したとき。

9番でお金のこともちょこっと書いたけど、この「達成感」とつながっている。
「作曲」を軽んじられて、「タダでいいよね?」となったら、それは悲しい。
どれだけの労力と時間と、さまざまな経験と、それを「ない」ものとして扱われるのはつらい。

ピカソの40年と30秒」という逸話、これが事実あったことなのかは不明だけど。
30秒でナプキンに描いた絵もタダではないという、わかりやすい話ではある。

ちょっと脱線したので元に戻すと。

真ん中で書いたように、やめてしまいたくなるときもある。
「やめる」なんて言うけど、自分はそもそも「作曲」なんてできない、向いてない、と落ち込んだり。

小説家で、「売れっ子」と言っていいような方でも、執筆は正直しんどいそうだ。
何人も、Twitterなどでそうつぶやいているのを見た。

「作曲」だけじゃなく、創作活動というのはそういうものかもしれない。

そして皆、だからと言って書くことは嫌いじゃない、と。

クロスワードパズルの喩えを出したけど、ジグソーパズルとかもそう。
何でハマるの?と言えば、完成したときの高揚感、あれを目指してまたイバラの道を進んでしまう。

ぼくは40歳過ぎまで、ひとつも曲がつくれなかったから。
それを考えたら、今はほんとにしあわせなことだ、と改めて思う。

「歌づくり」については、カテゴリーもつくったし、これからも書いていくつもり。
とむやん歌づくり 01/作詞について - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)

今回のお題については、ひとまずここで終わりとしよう。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

後悔日記 2021/11/3


11月3日、水曜日、祝日。
いつもの水曜日の予定がお休みだったから、昨日は一日「おやすみ」をもらった。

映画を観に行くことにする。
しかし、観たかったMINAMATAは、近いところではもう梅田でしかやっていない。
残念。

もうひとつ、観ておこうと思った『由宇子の天秤』を観ることにした。

すごい作品だ、とは何となく知っていた。
それでも、2時間半と長めだし、主題はまあ「重い」だろうな、と。
観なくてもいいか、と怯んだりもしたけれど、タイミング的にも「これは観ろ、ということだな」と判断した。


そう、「正しい」判断だった。

これは観なかったら、それこそ激しく「後悔」しただろうな。
いや、観てなかったら知りようもない、「後悔」すらできないのか。

一日経って、ますます頭の中で熟成して、あれこれと考えている。
ほんとに、すごい映画だ。

実際、アップリンク京都でも延長されると今日知った、評判も上々らしい。

ぼくが感じたことや、それから考えたことなどは、また別の機会に書くつもり。



10時にはじまった映画は、お昼過ぎに終わった。
少し放心状態で、映画の余韻を感じながら、ぶらぶらと歩く。

丸善と、ギャラリーで開催中の「オンガクマニアin京都」。
藤井大丸での、「四条寺町デパ地下古本市」。
などなど、行きたいところは事前にチェックしていたので。

しかし、レコードも古本も、好きなだけにじっくり見るのは体力がいる。
古本市では、ジャズギターのアレンジ術の本を見つけて、買った。
レコードは氣になるものはあったものの、あまり長居しなかった。

カフェor喫茶店は、水曜日や祝日がお休みのところが案外多く。
ここ、と思って行ったところも満席、結局新風館まで戻ってしまった。

OyOyは、一度カフェ利用してみたいと思っていた、いいタイミングかもしれない。

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海ノ向こうコーヒーのシングルオリジン、タイの「なまけ者のコーヒー」と。
果実のタルト、この日は「柿」。


映画もカフェも、予定通りとはいかなかった。
でも、ちょっと前に「行きたいな」と思っていたから、まあそれも「予定通り」と言えるかもしれない。
そんな一日だった。


 後悔日記 2021/11/3

                    せれんでぃっぽ☆とむやん

十年一区切り。

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと



はてなブログは、2021年11月7日で10周年を迎えるのだそう。
おめでとうございます☆

「10にまつわる4つのお題」という、おもしろそうなキャンペーン、やってみようと思いつつ結局またギリギリ。

とにかく、ひとつはやっておきたい。
まずは、「10年で変わったこと、変わらなかったこと」


ぼくにとっても、10年前は大きな転機だった。
ずっと関東に、というか川口から離れたことがなく。
(一瞬、山梨で共同生活したりはあったけど)

それが、いろいろな理由から、滋賀に移住することにして。

滋賀では次男、三男が生まれて、その後今度は京田辺に引っ越しをすることになり。


滋賀時代には、フェアトレードショップもやって、音楽活動もやって。
コーヒーを淹れるようになって、マルシェへ出店したり、友人のカフェでコーヒー担当をやったり。

音楽は、バンドを組むようになり、ウクレレレッスンもやったり、作曲もするようになった。
フラ教室の先生からコラボしようと誘われて、ハワイアンをがんばって憶えたりもしたなぁ。

この10年で、変わったことばかり、のようにも思える。

変わらなかったこと、なんだろう?
それはそれでたくさんあるのだろうけど。
変わらないことって、「当たり前」になってしまっているから、氣付きにくい。

2年ほど前、こんな記事を書いた。
(このときも、お題キャンペーンだったんだな)
ぼくはいつでも迷ってる。 - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)

「変わらないために変わり続ける、変わり続けるから変わらない」


ぼくはいつも、人生ってエスカレーターを逆走するようなもの、と思っていて。
(そのこと、書いたことあるかな?と思って検索したら、あった)
茄子の蒲焼き、そしてバイアスについて。 - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)

変わらないでいること、現状維持でいいや、と思っても、立ち止まってしまうと後退していく、そんなイメージ。

やっていることや考え方は、案外そんなに変わっていないのかもしれない。
でもやっぱり、それを続けていたらなんだかんだ、まあまあ高いところまで来たんじゃないか。

別にヨイショするわけじゃないけど、立ち止まらずに(たまには止まるとしても)歩き続けてこられたのは、このはてなブログを書いていたことも大きい。
10年と言ってもだいぶ忘れていることが多くて、昔書いたものを見れる、振り返れるというのはすごく重要なことに思える。

まあ、少なくともそんなに「後退」はしてないよな。

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エスカレーターについて書こうと思いながらずっと書けずにいて、そのために用意していた写真)


ここ最近、特に京田辺に来てからは正直ちょっとうまくいかないことも多い。
コロナ禍のこともあって、ここ2年ほどはむしろ「後退」するべきとき、だったのかもしれないし。

高く登れば登るほどいい、進めば進むほどいい、というわけでもないから。
「後退」ではなく、「折り返し」なのかもしれない。

しいたけ占いで、蟹座の2021年は折り返し、とあったし。
しいたけ占い、今週の蟹座。 - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)

「初心忘るべからず」という言葉もあるし、これを座右の銘にする人も多い。
忘れやすいことだから「戒める」わけで、そして簡単に忘れちゃっていいわけじゃなくて。

そう言えば、今年はうっかりしてて。
9月4日で、はてなブログ始めて6年経ちました~って、書かなかったような。
(今見たら、2020年もスルーしてるみたいだ)

2015年の、一番最初の「自己紹介」。
自己紹介。 - とむやんの氣まぐれ雑想記 (hatenablog.com)

どうかな、自分にとってこのとき書いたことはまさに「はてなブログでの初心」なわけで、忘れていないかな。

「十年一昔」というように、やはり意味のある「区切り」じゃないかな。
ぼくのはてなブログ歴も10年を迎えられるように、細々とでも続けていくつもり。

これからもよろしくお願いします。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

後悔日記 2021/10/30


『Indigo Sky』のことを書いていて、結局途中で止まったまま。
10月後半、特に今週はいろいろとあって、バタバタで氣付けばもう今月も終わり。

今年のハロウィン、何かできるといいなと思ってたけど、全然準備できなかったな。

昨日(2021.10.29)、買いもの帰りに駅前のケーキ屋さんの前を通ったら。
まだオープンしていて、ショーケースにはちょこっと残ってる。

運よく?ハロウィンものがひとつだけ残ってた。

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かぼちゃのプリン。


晩ごはんは、ちょこっとだけハロウィンを意識して。
ロマネスコ」を初めて買ってみた。
(見切りだったから、というのもある)

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ソーセージも何かしようか、と思ったけど、結局スープにして一緒に入れただけ。



そう、この週末は衆議院議員選挙があって、そのことで忙しいのもあった。
それも、結局はそんなにあれこれできなかったけれど。

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Twitterなどで、投票を呼び掛けるポスターのデザインを見かけたり、それを貼っているお店の投稿を見たり。
だけど、「自分もやってみよう」という発想になぜかすぐつながらなかった。

だから、コンビニでPDF印刷して家に貼ることができたのは、一昨日のこと。
(もちろん、それ用に「印刷したり自由に使ってください」という趣旨なのだ)

実際には、一昨日は印刷までで夕飯の時間になってしまい。
夜、寒空の下でせっせとポスターを貼った。

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自分の家に貼ったって、誰が見るんだ?と思ったりもしたけど。
まあ、子どもたちが興味もってくれるのもいいかな、と思ったり。

後から考えたら、家のこの角は犬の散歩の人がよく通る。
ちょっとでも目にしてもらえるといいなぁ。
(もちろん、それによって投票率があがってほしい)

どのポスターもとてもステキで、それを選んだり、それだけでも楽しかった。


さて、選挙といえば『今日は投票日』。
これも結局ギリギリになったけど、ボーカル録り直しのものをUPできた。

youtu.be


実は、忙しかったことのひとつに、「曲づくり」がある。

キペパピのあきさんが今度、竹テントの動画をつくってもらう、という。
そのBGM、キペパピの曲で何かないか、という話になり。

それを受けて、『点と点と』という曲のイメージが、かなり漠然とだけど、浮かんだ。
(最初は「点と点」だったけど、スピッツがそのタイトルを使っているので、やめた)

その話を聞いたのが、10月20日。
「テント→点」の発想をその直後に思い付いて、

今日、とりあえずの歌詞とメロディーが完成。
これから微調整をしていく。
(早速、夕方にAメロ2とBメロ2の歌詞を書き換えた)
どちらもちょこっと氣になっていた箇所、うまくハマってよかった。

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今日、買いものに行く前に撮った夕空。


時間が足りない、というか、やりたいこと(たまにやるべきこと)をやる体力がない。
昼間は暖かいけど、夕方から急に冷えたりして、夜あまり起きていられなかったり。

曲づくり中は、歌詞を考え出すとほんとに他のことに氣がいかなくなる。
体力的なことがあれば、ちゃんと平行してできるのかなぁ。

まあでも、曲の譜割りも歌詞も何だかわからなくなったりして、一瞬途方に暮れたのだけど。
それが(ほぼ)完成までこぎ着けたのは、感慨深い。

 後悔日記 2021/10/30

                    せれんでぃっぽ☆とむやん

後悔日記 2021/10/17


今日(2021.10.17)は夕方、大和西大寺へ。

ならファミリーのジュンク堂書店に、小手鞠るいさんのエッセイを買いに。
(それについては、また何かの機会に)

行ってみたいと思っていたスイーツのお店も、営業しているというので。
まずはお茶しに。

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思っていた以上に、よかった。
菓子35山という、マフィン&パウンドのお店。

イートインはケーキ類もあって、チーズケーキとコーヒーを。

次行ったら、マフィンを買ってみたいな。


その後、ならファミリーへ。
ジュンク堂書店で目的の本+他1冊買って。

あまり時間がなかったので、地下だけチェック。
ハロウィンものは特に、いろいろ氣になったけど。



大和西大寺に行く前、家を出てすぐ、雨に降られた。
自転車で駅まで、そのタイミングで降られてしまって。

でも、自転車置き場に着いたら、虹が出ていた。

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前回書いたように、今日は野洲市議会議員選挙の投票日。
4年前の選挙では、投票日の次の日に大きな虹が出た。

その前につくった『Indigo Sky』のサビに、「あざやかな虹がかかるよ」と書いたので、すごく驚いたけど。
今回も、ちょこっととは言え、やっぱり虹が出た。


 後悔日記 2021/10/17

                    せれんでぃっぽ☆とむやん

後悔日記 2021/10/13


水曜日は住道へ、久々にcafeねむの木堂へ。
ここ何回か、行っても満席のことが多くてタイミングあわず。

今日(2021.10.13)はまた行ってみようと、そしたらちょうどお客さんがいなかった。
(その後、すぐ満席になったけど)

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ラムレーズンのチーズケーキと、コーヒー。
(後ろにピントがあってしまって、ちょっとピンボケだ…)



先日読み終えた本。

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『ぼくたちの緑の星』/小手鞠るい

小手鞠るいさんの本、結構立て続けに読んでるかも。
これもまたとてもよかった。

ひとつの大きな『ゼンタイ・モクヒョウ』に向かって進むために、決められたことには従う、ジュウゾクする、そんな社会。

全体主義的な「統制」されていく世界というのは、たぶん実際にはここまで「わかりやすく」はないだろう。
リアリティーがない、と批判したいわけじゃなく。

だから、事象についてはいろいろあるけれど、流れとしては非常によくできているんじゃないか、と。
こういうことはほんと、起こりうるよね、と思う。


ちょっと前に借りて、昨日移動図書館で返却した本。

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『坂の街のケーブルカーのメイベル』
文・絵 バージニア・リー・バートン /訳 秋野翔一郎

バージニア・リー・バートンと言えば『ちいさいおうち』だけど、これもよかった。
何がよかったって、これは実話ベースで、しかも市民運動によってケーブルカーは廃止を免れた、ということ。


『ぼくたちの緑の星』と『坂の街のケーブルカーのメイベル』と、何となく共通点を感じた。

それと、野洲市議会議員選挙。
前回書いたように、今『Indigo Sky』を宅録していて、何とか間に合いそう。
(とは言いつつ、一度OKと思ってもやり直したくなってる)

『Indigo Sky』については、また改めて書くけれど。

「政治」も「選挙」も、今は当たり前に「参加」できている。
でも、「不断の努力」なしには、それは守ることができない。

声を上げ、抗い、それが難しい状況になってしまったら、でもそれでも抵抗の仕方はある。
絵空事」じゃなく、でもどうせ「絵空事」なら、楽しいかったりステキなことを想い描きたいから。


 後悔日記 2021/10/13

                    せれんでぃっぽ☆とむやん