とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

日曜日、植物公園へ。


「2月は逃げる」というけれど、やっぱり早いですね。
焦るわけではないのですが、引っ越しの片付けがなかなか終わりません。


さて、先週末のこと。
メイコが土日ともいないし、せっかくなので子どもたちとお出かけしてきました。

フリーペーパーを見ていたら、宇治植物公園でやっている特別展に目が留まって。
植物公園もおもしろそうだし、調べてみるとそんなに遠くない。

そんなわけで、「カカオとチョコレートとちょっとコーヒー展」に行ってきました。



最寄りの駅まで自転車、近鉄京都線大久保駅下車。
バスに乗って、無事宇治植物公園に到着☆

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ポスターはちょっとゆるいですが(笑)
実は案外、キライじゃないかも。


チケットを買って、中へ。
「緑の館」という建物で、1階(入り口は2階)のスペースに展示がありました。

ですが、まずは温室へ。
「緑の休憩所」という名称。

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入ってすぐ、これはいいところに来たな~、と思いました。
子ども上2人も、早速興奮状態。

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植物がでかかったり、派手だったり。
名前は馴染みがあるけど、実物は初めて見るものも多く。


ところが、一番下はニガテだったみたい。
暑いから?湿気?植物が怖い?
理由はいろいろあるのかもしれませんが。

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何やら文句は言いつつも、一応付いて来てくれます。
そのうち、ちょっとは氣がまぎれたのか、いろいろ指差したりして。

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とにかく、氣になるものだらけなのです。
3人とも、「おとう!おとう!」「これ見て!」と言ってくる。

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いや、もう少しゆっくり見させてくれ~(笑)
まあ、氣もちはわかりますけどね。

ゴムノキがあったり、アブラヤシ(パームヤシ)があったり。
でもほとんどが、ぼくの知らない植物でした。

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詳しい人と行ったら、もっと楽しいかもしれません。

でも、ぼくでも知っているようなポピュラーなものもたくさんあります。

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食虫植物、ウツボカズラ
(あ、種名までちゃんと確認してこなかった)


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これは今調べたら、カリアンドラというマメ科の植物らしいです。


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カカオの木もありました。
正式な和名は、カカオノキ、だそうです。


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バナナの花、ちょっと遠いところからでしたが、見れました。
正直、ちょっと怖いですね…。


もうちょっと見たかったのですが、末っ子が限界。
温室から外に出ると、余計に寒さを感じます。


外にもいろいろなエリアがあるのですが。
この時期はやはり、どこもちょっと寂しい。

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花の広場でおむすびを食べて、ぐるっと一回りしてから緑の館に戻りました。



この日は、午後からのワークショップが二つあったのです。

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ひとつは、「焙煎コーヒーでちょっとひといき」。
その場でコーヒー焙煎をして、いろいろな国の豆を飲み比べできる、というもの。

そう、参加者は飲むだけ、の簡単なお仕事です(笑)

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意外にも、と言ったら失礼かもですが、4種類も用意されていました。

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個人的には、エクアドルが一番好み、だったかな。

子どもたちはコーヒーは飲めないし、4種類出てくるまで時間もかかるので。
その間に、もうひとつの「カカオ豆のすりつぶし体験」をさせてもらいました。

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発酵させて、ローストしたカカオ豆を一粒、もらいます。

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まずは、皮を取り除いていきます。

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カカオの皮は、お茶にしたりするんですよ~と説明を受けました。
そういえば以前、Dari Kの「カカオティー」を飲んだことがあったなぁ。


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皮をむくと、こんな感じ。
一粒なので、あっという間。

最近のBean to Barでは、皮むきを手作業でやることも多いみたいですね。
そして、それはなかなかの手間がかかると聞いたことがあります。


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あとはひたすらすりつぶす作業。
一粒分なので、これまたそんなに大変ではなく。

最後は少し湯煎をしながら、練っていきます。

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今回はチョコレートをつくるわけではないので、これで終了。

みんなで味見してみました。
甘みを加えていないから、もちろん苦い。

下2人は渋い顔して、「もういらない」。

長男と二人で、きれいに食べました。
苦さばかりではなく、ほんのり甘みも感じるし、やはり香りがとてもいいですね。


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長男はとても楽しかったらしく、展示に戻って熱心にメモを取ったりしていました。
実際に工程を経験して、より理解が深まったのがよかったみたい。


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カカオマスやカカオニブの違い、名前の由来、ココアの製法などなど。
ぼくも改めて、カカオとコーヒーのことを知れて、とてもよかった。

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展示には、アグロフォレストリーのことやフェアトレードのこともありました。

こういうことを企業がアピールするようになってきたというのは、いい傾向なんじゃないかと思います。

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ちなみに、この後もう一度温室に行きたかったのですが。
ちょっと入っただけで、末っ子が抗議。

最後は緑の館のライブラリーで本を少し見てから、宇治植物公園を後にしました。

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写真を撮っていいか、確認するのを忘れていたので。
事後報告でしたが、受付で聞いてみると「もちろんOK」とのこと。
(撮影禁止の札等はなかったので、大丈夫だろうとは思っていました)

対応もフレンドリーだったし、ますます好印象。



余談ですが。

帰りはバスを使わず、大久保駅まで歩きました。
行きのバスでは氣付かなかったのですが、植物公園は結構な高台にあるのですね。

帰りはほとんどずっと下り坂。
途中、尖山(とんがりやま)というかわいい住所&バス停もあったりして。


宇治植物公園まで、もしかしたら自転車でも行けるか?と思っていたのですが。
あの坂をのぼるのは、さすがにしんどいかも。

行き方は今回と同じように、公共交通を利用するとして。
また春になったら、行ってみたいなと思っています。

宇治市植物公園(公式ホームページ)



                    せれんでぃっぽ☆とむやん

人生で一番嬉しいバレンタインデー。

今週のお題「わたしとバレンタインデー」



Instagramには書いていたのですが。
本当は昨日(2019.2.13)、ブログで珈琲ネタを書くつもりだったのです。

ところが、午後から急に寒氣がして。
おかげさまで、しっかり寝たので何とか体調は崩さずにすみました。

そんなわけで、そっちの話はまたの機会に。

今日はお題、「スイート&ビターな日」ということで。



2月14日、Valentine's Day。

昔からほとんど縁のない日でした、もらう側としては。
フェアトレードチョコレートを売ったりしていたので、そういう意味では深い縁はありましたけど。

チョコレートから思うこと。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑以前、こんなことも書いたなぁ)


そして、京田辺に引っ越してきて、今日で2週間。
(住みはじめは1月31日の夕方)

メイコは早速仕事がはじまっているし、何かと忙しい毎日なので。
まあ、バレンタインデーなんてすっかり忘れているだろう、と思っていました。


そもそも、日本式のバレンタインデーってあまり好きじゃなくて。
チョコレートはまあいいとしても、女性から男性へ、じゃなくてもいいだろうと。

個人的に、「ホワイトデー」もまた、あまり好きじゃないし。

もっとも最近は、女性から女性、つまりいわゆる「友チョコ」がすっかりポピュラーなのかな。
男性はすっかり蚊帳の外、だなぁ。



本当なら、花でも買って帰れたらよかったのですけど。
前から氣になっていたケーキ屋さんがあって、買ってみるいい口実かなとも思って。

パティスリーアーブル(patisserie arbre)というお店。
買いものついでに、寄ってみました。

チョコレート系も氣になったけど、自分がこれ!と思ったものにしちゃいました。
ティラミスとベイクドチーズケーキ

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甘いものに結構厳しい舌をもつメイコも、これは美味しいと太鼓判。
特にチーズケーキは氣にいった様子。

確かにしっかり甘いのだけど、バランスがいい。
(メイコはどちらかというと、「甘いもの好き」ではないのです)

仕事終わりの遅い時間の珈琲タイムだったから、余計に美味しく感じられたのかもしれませんが。

近くの別のケーキ屋さんもかなり美味しかったし、やはり京都はレベルが高いのかもしれません。



で、メイコからもプレゼントがありました。

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My Honeyのハニーショコラ。
蜂蜜とココア、ぬちまーすだけのこだわりのチョコペースト。

パンにつけて、ちょこっと食べたのですが、これはやみつきになる味。
なので、大事に食べたいところ。

ちなみに、隣にあるのはルバーブのコンフィチュール。
引っ越しに際して、いろいろといただいたもののひとつ。



ここまででも、かなり嬉しいバレンタインデー、なのですが。
実はもうひとつ、シークレットがあって。

なんと、栗東でお世話になった方からのプレゼントがありました☆

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引っ越しをする前に、メイコが受け取っていて、今日まで秘密にしていてくれて。

いや、ほんとにビックリ、とにかく嬉しい。


ただでさえいろいろとお世話になったのに、こんなサプライズまで。
どんなお礼をしたらいいか、考えてみたいと思います。

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もしかしたら、人生で一番嬉しいバレンタインデー、一番嬉しいチョコレートかも。
これも大事に大事に、食べたいと思います。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

自分がまず楽しむ、ということ。


今回は、お題。
(締め切りが1月30日なので、ちょっと焦って)

「チームワーク」を語ってください、ということで。



一番に思い付いたのは、「ハニカム出版」のこと。

マルシェが本になりました。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


一年半ほど前、『満月マルシェのつくりかた』という本ができました。

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本なんてつくったこともない友人たちと、出版チームを結成して。
2017年9月6日の満月マルシェに発売。

顔合わせをしたのが、その年の5月。
ちゃたくんとは、その前から構想や計画を練ったりしていたけど。
チームとしてはそこがスタートだったんじゃないかな。

それからはイベントをしたり、バッグをつくったり、さまざまなところで出店したり。
トレモロピクニックという新たなマルシェにも関わらせてもらったなぁ。
都ファーマーズマーケットでお話させてもらったり。



ただやはり、チームというのはなかなかむずかしいものですね。
特に、ぼくはいわゆる「協調性がない」方なので。

実際、何度か「もう関わらない」と宣言したりもしているんです…。

でも、いいものをつくろうと思うと、どうしてもぶつかる部分が出てくる。

ぼくは距離の取り方というか、その辺が本当にヘタだったなぁと思います。
今なら、もうちょっとうまくやれるのかな、と思ったりもしますが。


振り返ってみると、メンバーはみんな「つくる側」だったんだなぁ、って。
自分はどちらかというと、「売る側」のスタンスだったんですね。

「売る」というと語弊があるのかな、「広めたい」という感じ。
要はプロデューサーの役割がしたかったんだと思います。

そこに自分で氣付いていなかった。
氣付いていたらうまくできていたのか、もちろんそうとは言えないけれど。

ぼくは逆に、うまくいかないのは何でだろう?って考えていて。
どうやら、プロデューサー的なことをしようとして、意見や方向性がぶつかっただけでめげてしまった、ということだったんだな、と。


例えば、スタジオジブリ鈴木敏夫さんの鼎談記事に、「決闘こそがプロデュースの根っこにある」というのがあって。
「間」が大事だと、やはり距離感のことも語られています。


井上陽水のアルバム『氷の世界』のプロデューサー、多賀英典さんもたぶんそう。
第一弾シングルのA面を、多賀さんは周囲の反対を押し切って『心もよう』を選んだのです。

『帰れない二人』はいい曲だし、それはそれでヒットしたのかもしれません。
けれど、結果としては『心もよう』だったからこそ、『氷の世界』は日本初のミリオンセールスになった、と言っていいでしょう。

そのときの心境を、「オレだけ孤立するわけだよね」「自分に重荷があって、制作をやめたい」と思っていた、と。
ドキュメンタリー番組の動画を見ながら、わかるなぁって勝手にシンパシーを感じてしまいました(笑)



もしかすると、満月マルシェの広がり方がそうであるように、プロデュース的なことなんて考えない方がよかったのかもしれません。
これを書きながら、そんなことを思ったりもしました。

『満月マルシェのつくりかた』も、そういう内容なのだし。

とは言っても、やっぱり自分なりのやり方でしかできない、とも思うし。


それで、話はいきなり結論的なことに飛ぶんですけど。

たまたまつい最近、友人とメッセージのやり取りをしていて。
彼女がその日の体験を、「自分がまず楽しむって大事」と総括したんです。

ぼくは、それって実は「最高の氣遣い」なんじゃないか、と返しました。
どういうことかというと。

前提として相手も同じことを考えている、とします。
お互いに、「相手は楽しめているだろうか?」だけだと、想いがループしたまま。

それをどちらかが、「私は楽しめている」としたら、相手だって嬉しいですよね?
そうすると、相手もまた「私は楽しめているだろうか?」と考える。

極論的に言うと、自分がまず楽しむのはひとつの礼儀、じゃないかと。

言うまでもなく、「自分さえ楽しければいい」とは真逆のマインドですよ。

〈メンドウ〉をおもしろがる。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑前々回に書いたことと合わせて考えると、またおもしろいのかも)


だいぶ遠回りしましたけど。
チームワークもまた、各々が「自分がまず楽しむこと」、そこから始まるんでしょう。

なんだ、自分がまず『満月マルシェのつくりかた』を読み返さなきゃだな。
実は引っ越し作業中で、今見当たらないのですが(笑)


1月と2月と、満月の日にちょっとしたキャンペーンをした(しよう)という話は、また今度改めて。

ぼくが滋賀を離れてしまうので、結果的にハニカム出版からも少し遠くなってしまうのですが。
でもだからこそ、この距離感(物理的にも精神的にも)がかえっていい効果をもたらすかもしれないと、ちょっと期待していたりもして。



「チームワーク」というと、「一致団結!」みたいなイメージなのかな。
今ならもっと、新しい「チームワーク」の形を提案できるかもしれない。

ぼくが今興味あるのは、「行き当たりばったり」。
鈴木敏夫さんの鼎談にもそんな話が出てきたり、先日友人がfbでシェアしていた記事がまさにそういう話だったり。

行き当たりばったりで年商2億円の経営者が語る、「自分の好きなことで生きない選択肢」|ALL YOURS木村のよりみち見聞録×白水高広 #002 | NEUT Magazine


その辺はまだ消化できていないので、また改めて。

チームについても、これから実践的にいろいろ考えてみたいと思います。
今日のところは、この辺で。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

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Timing is Money


前回の記事を投稿するとき、「今月はなかなか書けそうにない」とつぶやいたのに。
早速、また書いています(笑)

「書きたい」がいつの間にか「書かなきゃ」になっていると、しんどくなるもの。
だから、「書けないかも」と思った方が、案外楽に書けたりしますね。

まあ、それはともかく。


昨日(2019.1.12)は、妻と京田辺市に行ってきました。
ぼくは、初☆京田辺



降り立ったのは、新田辺駅
駅を出てすぐ目の前に、一休さんがいました。

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なぜ、そんな高いところにおわすのか。
(写真はズームで撮っています)


ぼくは知らなかったのですが、京田辺には一休禅師ゆかりのお寺があるのですね。
帰ってきて調べたら、「一休とんちロード」というのもあるらしい。

一休とんちロードを整備 | 京田辺市ホームページ




さて、引っ越ししてからのこと、まだまだ不確定な要素がたくさんあるのですが。
ひとまず、移り住む家が決定しました。


最寄りの駅は、三山木駅
JRと近鉄の駅があります。

新しい家の周辺は、いい意味で田舎な感じ、いいところだなぁと。


同志社大学京田辺キャンパスが、すぐ近くにあります。
お昼は、その中のカフェレストラン「Hamac de Paradis Latte(アマーク・ド・パラディ・ラッテ)へ行ってみました。

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京田辺というところは、もちろん知ってはいましたが。
まさか自分がそこに住むことになるとは、思ってもみませんでした。

けれど、やはりそういう「タイミング」なんだな、と感じました。

Time is Moneyならぬ、Timing is Money。
もしくは、Timing is Everything。


今までにも、何度か「タイミング」については書いてきています。

あなたがいたくないところに、いることはできない。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

最近(と言っても半年前)だと、こんな記事。

この中で紹介した本の著者であり、ビートルズのレコーディングエンジニアを務めたジェク・エメリックさん、昨年の10月に亡くなりましたね。
自分としては、いいタイミングで読んだんだなぁと、しみじみ思いました。


神さまの時間調整。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

このときは、「タイミングは神さまの采配」というようなことを書きました。


偶然の一致。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

「偶然は偶然じゃない」、こういうことも何度も書いていますね。


今また、「タイミング」について読み返したり、考えてみています。

「タイミング」って、「合わせようとする」というよりも。
「合った」という事実から入る、というのかな。


ぼくはまだ、シュタイナー教育については聞きかじった程度にしか知りませんが。
おもしろいなと思ったのは、たぶん「タイミング」の考え方、なのかな。

例えば、「出合わせるタイミング」とか、そのときの「出合わせ方」とか。
そこがすごく絶妙なんですよね。


一般的には、「いつ出合わせよう」というか、極端に言うと「早ければ早いほどいい」という感じ。

でも、シュタイナー教育では「いかに出合わせないでおくか」ってこともすごく重要。
ぼくは、そんな風に感じました。


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帰りに、同志社前駅から興戸駅へと歩く途中、見えた空。


ほんのちょっと「タイミング」がずれたら、出合わなかっただろうなってこと。
この数年、そんなことがいっぱいあったから。

このブログも、このタイミングで書きたかった。
書けないでいる記事も、それはそれで仕方ないんでしょう、きっと。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

〈メンドウ〉をおもしろがる。


今月は引っ越し準備やらなんやらで、やっぱりバタバタしそう。
書きたいことはたくさんあるけど。

今日(2019.1.11)はさらっと、メモ程度に。



何の為に生きるのか。
アンパンマンの歌みたい、ですけどね。

なぜ「身体」をもって生まれてくるのか。
そして、なぜわざわざ不自由な状況で、人生を送るのか。


あんまり、意味とか考えなくていい、とも思ったりもしつつ。

〈メンドウ〉なことって、実はそれを考える上でとても重要なんじゃないか。
そんなことを思ったので、書き残しておきたくて。



人と揉めたり批判されたり、人間関係ってわずらわしいことが多いけれど。
でも、結局「どこにフォーカスするのか」、なんでしょうね。

自分もすごく〈メンドウ〉なニンゲンだな、って自覚しているつもり。
ただ、そういう〈メンドウ〉な人ほど、おもしろいと思っていたりもする。

まあ、〈メンドウ〉にも種類があって、関わらなくていいものもあるのかも。
ここで言いたいのは、何でも「〈メンドウ〉だ」で済ませてしまうと、人生がつまらなくなる。

だって、言ってみれば「人生なんて〈メンドウ〉なことだらけ」だもの。


スポーツやゲームだってそう、〈メンドウ〉なときほどおもしろがれるかどうか。

大概「イヤだな~」って思っちゃうし、それがダメってことじゃなくて。
ゲームで例えるなら、「Normalモード」終えて、「Hardモード」に挑戦するように。

体験する、体感する。
ときには痛みを怖れず、行動する。

岡本太郎的に言えば、〈メンドウ〉な道にこそ挑む、みたいな。



と、ここまで書いてみて、調べてみた。
〈メンドウ〉と、わざとカタカナで書いてみたけど、「面倒」の語源は?

「ほめる」や「感心する」という意味の「めでる」から、という説と。
モノをもらったときに言う感謝の言葉「めったい」などから、という説と。

いずれにしても、感謝を表す言葉から、だそうです。
意外。

語源を知ると、ますます〈メンドウ〉が人生のカギなのかな、って思っちゃう。

「ままならぬ」を楽しむ。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

最近では、こんな記事も書きましたが。

〈普通〉の人。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

以前書いた〈普通〉についても、合わせて考えてみたいところ。


〈メンドウ〉なことを一緒に楽しめる人がいたら、それってやっぱり幸せなこと。
思えば、結婚だったり家庭だったり、チームってそういうことなのかもしれない。

今年はさらに、〈メンドウ〉をおもしろがってみたい。
改めて、そう思ったところです。

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(↑年始に行った科学博物館で撮ったもの、ちょっと幻想的でおもしろかったので)


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

「考える」を考えてみる。


今日(2019.1.5)は「オルタナティブブックカフェ【ABC】」のこと。
そして、ナナイロつーしんのこと。

そこから、「考える」ということについて、考えてみたいと思います。


【ABC】は今まで、自宅アパートで開催したり、埼玉に帰省したときに実家の喫茶店でやらせてもらったりしていました。
cafe salon STILLROOMでも何度かさせていただき、でもこれまでは不定期開催。

それが、何きっかけだったのかは忘れたのですが。
サブタイトルを、「非常識」を楽しむための《ABC》にして。
昨年の6月から、第三火曜日に定期開催させてもらったのでした。

うずうずライブ。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


8月はお休みしたので、全部で5回。
(8月は実家に帰省していたので、実家のカフェ・ド・アクタで開催)

それぞれのレポートも書くつもりだったのに、結局ずるずると年が明けてしまい。
せめて、全体の振り返りはまた改めてやろう、と思っています。


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さて、ちょっと間が空いてしまいましたが、ナナイロつーしんVol.24について。

読書の秋、ブックカフェABCのお誘い。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

 

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実はまだ、一部しか読めていないのですけど。

ぼくは名刺代わりにお渡ししていて、今回川口にももってきています。
各所で配っていると、結構喜ばれます。


ぼくがいつも真っ先に読むのは、たーさんの文章。

今回は、映画『ハンナ・アーレント』のことなどが書かれています。

映画『ハンナ・アーレント』予告編 - YouTube


この記事の中や映画に出てくる、「思考」について。
個人的に思うところがあったので、ちょうどいいタイミングでした。


ハンナ・アーレントやたーさんが書いていること、その通りだと思います。
ぼくは一方で、現代の人は「考え過ぎ」の側面もあるのではないか、と。

そこはどちらかが正しい、もしくはどちらかが間違っているのではなく。
双方が馴染むような着地点があるはずで、それを探してみたいと思いました。



「食べる」ことの例えを並列させて、考えてみます。

現代人は何かと「食べ過ぎ/考え過ぎ」ていることが多いのではないでしょうか。
しかも、Too Muchな状態ってなぜかますます「足りない」と思ってしまうことも。

「これが食べたい」と欲する、特定の味だったり栄養素だったりがあっても。
感覚としては大雑把に「お腹が空いている」としか認識しなかったとしたら?

その必要としている味や栄養素を摂らない限り、いくら食べても満たされない。
そういう経験、ありませんか?


自分に必要なものがわかっていないうえに、とにかく「時間を掛けなさ過ぎる」。

たくさん食べているのに、ほとんど「咀嚼」をしていない。
本人は考えているつもりでいても、ゆっくりと「咀嚼」するような思考ではない、のかもしれません。

たくさん情報はあるのに、ほとんど「思考」をしていない。
そのうえ、他者の意見を自分の考えにしてしまう、そのことを本人は忘れてしまう。

それが極まると、アイヒマンの「命令に従っただけだ」になってしまうのでしょう。


そう言えば、「思考」という言葉は「考える」だけじゃないんですよね。
「思いを巡らす」ことも「思考」の大切な要素のはず。
食べることで言えば、「味わっていただく」という感覚でしょうか。

ところが、口当たりのいい噛まずに消えてしまうような食感ばかりがもてはやされる。
固いものや複雑なものは「食わず嫌い」で避けてしまうので、ますます偏っていく。



先ほどのたーさんの記事、2ページ目には書き起こしが載っています。
(映画『ハンナ・アーレント』の「最後の講義」シーンの文字起こし)

ソクラテスプラトン以来「思考」をこう考えます。》
《「自分自身との静かな対話だと。》


【ABC】では、度々「孤独」をテーマにしています。
そもそも、読書という行為は大抵、「孤独」が前提のもの。

「孤独」に向き合うこと、そうでなければ自分自身との静かな対話はできない。

そしてそれを外に表現すると、大抵「誤解」が生じます。
でも、そのうまくいかない状況もまた、とても重要な「思考」の過程。


【ABC】を始めたとき、そういう意識はなかったのですが。
本を読むという非常に個人的なことを、アウトプットできる場があるということ。
それは当然、すぐには馴染まなくて、だからこそおもしろいわけで。

「思考」って、孤独で育むのと、外に放つこと、それを交互に繰り返していく。
まるで、熱い鉄を叩いたり、急に水で急激に冷やしたりするように。

たぶん、「思考」を鍛えるのに、【ABC】という場はとてもよかったのではないかと。
少なくとも、ぼくにとってはそうでした。


そうやって考えると、やはり現代の多くの人が「思考停止」になりがち、なのかもしれません。
基本的には、こういうことってメンドウなことだから。

「考えること」に限らず、今の社会では多くの「スイッチ」をOFFにしていたり。
だから、「感じなさ過ぎ」だったり「憤らなさ過ぎ」だったり。


ぼくが「考え過ぎ」と感じたものは、考えるのをやめるべきというのではなくて。

そもそも、それは自分の考えなのか、そしてそれは何なのか。
考える以外にも、思いを巡らせたり、突発的に行動してみたり、別の方法はないのか。

自分自身にもっと問いかける必要があるんだろう、と思いました。


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まずは「孤独な時間」をつくること。
読書はきっと、その手助けをしてくれます。

その後、「誤解」や「摩擦」、もしくはうまく伝えられない、などなど。
そういう「歯応え」がないと、「思考」は活性化しないもの。



そうそう、自分の過去記事を見返してみたのです、検索に「思考」を入れて。
そしたら、自分では忘れているけど、同じようなことを書いているんですね。

話半分。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑二年くらい前にすでに、鵜呑み/咀嚼について書いていました)

話が通じない感。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑今またちょっと変わってきているので、改めて考えてみたいこと)

そうやって、繰り返し同じことを考えているというのも、これはこれでいいのかな。
それがある日突然、全然変わってしまうこともあるし。



最後はさらっと告知です。
と言っても明日の昼のこと、しかも関東でのイベントなので、意味はないかもですが。


オルタナティブ・ブック・カフェ
~非常識を楽しむためのABC~

場所:カフェドアクタ(埼玉県川口市
日時:2019年1月6日[日]
   13時から15時ごろ(出入り自由)
参加費:要ワンドリンクオーダー+参加費はハート♡マネーで。
   (あなたの直感・お氣もちで、お金でもお金じゃなくても)

埼玉・川口/オルタナティヴ ブック カフェ

(↑詳細やお問い合わせは、fbのイベントページへ)

この日のカフェドアクタは、通常営業お休みです。

カフェ・ド・アクタ|Home|


毎回、一応テーマを決めています。
今回は、「何か、新しいこと」。

今読んでいる本や、テーマに沿ったオススメの本、などなど。
テーマとちがっても、本をもってこなくても、大丈夫です。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

太陽に問う。


あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

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(↑長男が年末につくった、白イノシシ)


このブログを初めてからは、4回目の新年。
その度に書いているかもですが、ぼくはできるだけ旧暦を意識したいと思っています。

でもそれはそれとして、新暦でのお祝いをしないわけではなく。
逆に「二度おいしい」みたいな感じでもいいかな、と。

これもまた以前、書いたことがありますが。
新暦元日から旧暦元日までの期間を、リレー走のテイクオーバーゾーンとして捉えて。

やり残したことやバタバタの年末を、そこで調整しようという企みです(笑)
(ちなみに、2019年の旧暦元日は2月5日だそう)



さて、今日(2019.1.2)は昨日できたオリジナル曲のこと。

昨年12月(2018.12.16)に行った「オーガニック&つながるマーケットしが」。
その中の野外寺子屋で、歌わせてもらった曲です。

ただ、そのときはサビと1番しかできていなくて。

先日(2019.12.29)、自分で企画した「滋賀暮らしの記録Ⅱ」というトーク&ライブを実家のカフェ・ド・アクタで開催しました。
そこに間に合わせたくて、曲の残りを完成させるためにギリギリまで練って。

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その日の朝、なんとかできあがって歌うことができました☆

ぼくは作詞をするとき、いくつかマイルールを設定していて。
安易に英語を入れないとか、同じ言葉を使わないとか。
あえてそれを外すこともありますが、基本はその制約の中でつくっています。

で、1番の中に同じ言葉が出ていたのに昨日氣付いて。
1月1日の昼間に書き直したので、これで一応完成です。

歌っている中で氣になるところが出てきたら、また微調整するかもですが。
(いつものように、ブログの最後に歌詞を載せておきます)



例えば、冬至

一陽来復」という、陰が極まり陽が生ずるという冬至を表す言葉があって。

太陽の力が弱まる時期だけど、逆にそこから復活してくる。
言ってみれば、落ちるとこまで落ちたら後は昇るしかない、という感じでしょうか。

クリスマスも、起源は冬至祭だった、なんて話もありますね。

元々は、冬至を一年の区切りとしたところも多いらしく。
この時期に「太陽」に関する曲をつくったのは、とても意味のあることのように思えてきます。



この曲は、まずタイトルが決まりました。
ある日、YouTubeを何氣なくスクロールして、見ていたら。

「太陽に問う」と見えた氣がして、スクロールを戻してみると。
実際には全然違う、「太陽」の文字はあったけど、漢字4~5文字のタイトルがありました。

つまり、見間違えから生まれたのです。
「太陽に問う」か、これはおもしろいなと。

サビの「太陽に訊いてみなよ」、後に「太陽に訊いてみればいいのさ」と少し変えて。
そこからメロディーが生まれ、歌詞を足していって。


説明するまでもないとは思いますが。
この歌は、「太陽」についてだけではなく。

太陽の塔」をもじったもの、掛け言葉的なタイトルです。
だから、岡本太郎さんや彼の言葉、生き方などを自分なりに盛り込んでみました。

まあ、ご本人には「ぼくとは関係ない」と言われるとは思いますが。

岡本太郎さんの本や言葉にかなり影響を受けたし、部分的に使わせてもらっています。
サビにはひとつ、言葉遊びを入れてみました、偶然なんですけどね。


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ただ、「訊いてみれば」は、『太郎に訊け』という本のタイトルから、ではなく。

というか、この歌詞が思い浮かんだときは、この本のタイトルを失念していて。
(だから、最初のメモには「訊いて」ではなく「聞いて」としていました)

もちろん、存在は知っていたし、部分的には読んだこともあったので。
どこかで憶えていた、その可能性はあります。


ちなみに「太陽の塔」、ぼくはまだ実物と対面していません。
大阪が近くなるので、今年は会いにいけるかな。

最近知ったんですけど、岡本太郎さんと信楽って、深い関わりがあるんですよね。
太陽の塔」の背面、「黒い太陽」は信楽焼のタイルでできていたり。

そうだった、昨年9月公開の映画『太陽の塔』、これも時期的には同時期でした。
タイトル自体は、この映画の予告編を観るより前、だったかな。
タイトルとサビとできてから、その後しばらく放置していたので。

またつくりはじめたのはマーケットの一週間か10日前くらいから。
構想からは長く掛かりましたが、着手してからはぼくにしては比較的早かったです。



このタイトルを思い付いた頃、「質問力」みたいなことにすごく興味がありました。
と思って振り返ってみたら、それ自体は結構前からのこと。

Let 'Em Eat Cake - とむやんの氣まぐれ雑想記


要するに、忘れていたんだな。
それが、司会をちょっとお休みしようと思った頃に、やっぱり「問う力」だよな、と。

遊びをせんとや - とむやんの氣まぐれ雑想記


上記のブログを見返したら、この時期の〈へいわのじかん〉のテーマがまさにそれ。
「耳を傾けること」、でした。

念頭にはミヒャエル・エンデの『モモ』のことがあったり。
今読んでいる本がまさにそのテーマなので、読み終えたらまた書こうと思います。


いずれにしても、この歌をつくろうとしていた頃。
SNSで、「自分はまちがってない」的な投稿を立て続けで見たりして。

自分もそういうマインドだったときがあるし、今も多少あるのかもしれませんが。
そういうときって、「自分だけが正しい」と頑なになりがちで、人の声が届かない。

そして、そこがある意味ウラハラで、おもしろいと思うのですが。
その「聞く耳をもたない」のって、自分に自信がないから、だったりして。
自信過剰のようでいて真逆、というか、そもそも両極が同じ性質だというか。

だから、こういうときこそ思い込みを捨てた方がいい。
せっかくのチャンスなんだし、「聞く/訊く」ことが大事なんだろうなって。


そんな経緯がありつつ、新曲『太陽に問う』ができました。

実は結構自信作なので、実家滞在の間にデモ動画を撮れたらと思っています。

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(↑次男が書いてくれたお正月の絵の一部、太陽と虹が描かれていました)


                    せれんでぃっぽ☆とむやん


太陽に問う

太陽に訊いてみればいいのさ
太陽に訊いてみればいいのさ

狭い枠の中で どれだけもがいても
行き着く先は たかが知れてる
人とちがう道を えらべば運命は
暗く輝き 絡み合う

なまぬるい風に流されて
何も感じなくなって いるのなら

太陽に訊いてみればいいのさ
太陽に訊いてみればいいのさ
世界中に大笑いされたって 平気で
自分のやりたいように やるんだ

夜が明けたらまた 生命(いのち)はよみがえる
目的なんて 別にいらない
だから今はひとり 自由にどん欲に
子どもみたいに 遊びたい

 間奏】

常識の頭、捨て去って
情熱の炎、飛び散って
燃えあがる 燃えあがる

正しさにばかり縛られて
大事なものうしなって 気付くより

太陽に訊いてみればいいのさ
太陽に訊いてみればいいのさ

 サビ】

自分のやりたいように やるんだ

太陽 太陽に問う
太陽 太陽に問う