とむやんの氣まぐれ雑想記

〈探幸王〉を目指して、さまざまな想いを綴ります☆

「考える」を考えてみる。


今日(2019.1.5)は「オルタナティブブックカフェ【ABC】」のこと。
そして、ナナイロつーしんのこと。

そこから、「考える」ということについて、考えてみたいと思います。


【ABC】は今まで、自宅アパートで開催したり、埼玉に帰省したときに実家の喫茶店でやらせてもらったりしていました。
cafe salon STILLROOMでも何度かさせていただき、でもこれまでは不定期開催。

それが、何きっかけだったのかは忘れたのですが。
サブタイトルを、「非常識」を楽しむための《ABC》にして。
昨年の6月から、第三火曜日に定期開催させてもらったのでした。

うずうずライブ。 - とむやんの氣まぐれ雑想記


8月はお休みしたので、全部で5回。
(8月は実家に帰省していたので、実家のカフェ・ド・アクタで開催)

それぞれのレポートも書くつもりだったのに、結局ずるずると年が明けてしまい。
せめて、全体の振り返りはまた改めてやろう、と思っています。


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さて、ちょっと間が空いてしまいましたが、ナナイロつーしんVol.24について。

読書の秋、ブックカフェABCのお誘い。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

 

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実はまだ、一部しか読めていないのですけど。

ぼくは名刺代わりにお渡ししていて、今回川口にももってきています。
各所で配っていると、結構喜ばれます。


ぼくがいつも真っ先に読むのは、たーさんの文章。

今回は、映画『ハンナ・アーレント』のことなどが書かれています。

映画『ハンナ・アーレント』予告編 - YouTube


この記事の中や映画に出てくる、「思考」について。
個人的に思うところがあったので、ちょうどいいタイミングでした。


ハンナ・アーレントやたーさんが書いていること、その通りだと思います。
ぼくは一方で、現代の人は「考え過ぎ」の側面もあるのではないか、と。

そこはどちらかが正しい、もしくはどちらかが間違っているのではなく。
双方が馴染むような着地点があるはずで、それを探してみたいと思いました。



「食べる」ことの例えを並列させて、考えてみます。

現代人は何かと「食べ過ぎ/考え過ぎ」ていることが多いのではないでしょうか。
しかも、Too Muchな状態ってなぜかますます「足りない」と思ってしまうことも。

「これが食べたい」と欲する、特定の味だったり栄養素だったりがあっても。
感覚としては大雑把に「お腹が空いている」としか認識しなかったとしたら?

その必要としている味や栄養素を摂らない限り、いくら食べても満たされない。
そういう経験、ありませんか?


自分に必要なものがわかっていないうえに、とにかく「時間を掛けなさ過ぎる」。

たくさん食べているのに、ほとんど「咀嚼」をしていない。
本人は考えているつもりでいても、ゆっくりと「咀嚼」するような思考ではない、のかもしれません。

たくさん情報はあるのに、ほとんど「思考」をしていない。
そのうえ、他者の意見を自分の考えにしてしまう、そのことを本人は忘れてしまう。

それが極まると、アイヒマンの「命令に従っただけだ」になってしまうのでしょう。


そう言えば、「思考」という言葉は「考える」だけじゃないんですよね。
「思いを巡らす」ことも「思考」の大切な要素のはず。
食べることで言えば、「味わっていただく」という感覚でしょうか。

ところが、口当たりのいい噛まずに消えてしまうような食感ばかりがもてはやされる。
固いものや複雑なものは「食わず嫌い」で避けてしまうので、ますます偏っていく。



先ほどのたーさんの記事、2ページ目には書き起こしが載っています。
(映画『ハンナ・アーレント』の「最後の講義」シーンの文字起こし)

ソクラテスプラトン以来「思考」をこう考えます。》
《「自分自身との静かな対話だと。》


【ABC】では、度々「孤独」をテーマにしています。
そもそも、読書という行為は大抵、「孤独」が前提のもの。

「孤独」に向き合うこと、そうでなければ自分自身との静かな対話はできない。

そしてそれを外に表現すると、大抵「誤解」が生じます。
でも、そのうまくいかない状況もまた、とても重要な「思考」の過程。


【ABC】を始めたとき、そういう意識はなかったのですが。
本を読むという非常に個人的なことを、アウトプットできる場があるということ。
それは当然、すぐには馴染まなくて、だからこそおもしろいわけで。

「思考」って、孤独で育むのと、外に放つこと、それを交互に繰り返していく。
まるで、熱い鉄を叩いたり、急に水で急激に冷やしたりするように。

たぶん、「思考」を鍛えるのに、【ABC】という場はとてもよかったのではないかと。
少なくとも、ぼくにとってはそうでした。


そうやって考えると、やはり現代の多くの人が「思考停止」になりがち、なのかもしれません。
基本的には、こういうことってメンドウなことだから。

「考えること」に限らず、今の社会では多くの「スイッチ」をOFFにしていたり。
だから、「感じなさ過ぎ」だったり「憤らなさ過ぎ」だったり。


ぼくが「考え過ぎ」と感じたものは、考えるのをやめるべきというのではなくて。

そもそも、それは自分の考えなのか、そしてそれは何なのか。
考える以外にも、思いを巡らせたり、突発的に行動してみたり、別の方法はないのか。

自分自身にもっと問いかける必要があるんだろう、と思いました。


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まずは「孤独な時間」をつくること。
読書はきっと、その手助けをしてくれます。

その後、「誤解」や「摩擦」、もしくはうまく伝えられない、などなど。
そういう「歯応え」がないと、「思考」は活性化しないもの。



そうそう、自分の過去記事を見返してみたのです、検索に「思考」を入れて。
そしたら、自分では忘れているけど、同じようなことを書いているんですね。

話半分。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑二年くらい前にすでに、鵜呑み/咀嚼について書いていました)

話が通じない感。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑今またちょっと変わってきているので、改めて考えてみたいこと)

そうやって、繰り返し同じことを考えているというのも、これはこれでいいのかな。
それがある日突然、全然変わってしまうこともあるし。



最後はさらっと告知です。
と言っても明日の昼のこと、しかも関東でのイベントなので、意味はないかもですが。


オルタナティブ・ブック・カフェ
~非常識を楽しむためのABC~

場所:カフェドアクタ(埼玉県川口市
日時:2019年1月6日[日]
   13時から15時ごろ(出入り自由)
参加費:要ワンドリンクオーダー+参加費はハート♡マネーで。
   (あなたの直感・お氣もちで、お金でもお金じゃなくても)

埼玉・川口/オルタナティヴ ブック カフェ

(↑詳細やお問い合わせは、fbのイベントページへ)

この日のカフェドアクタは、通常営業お休みです。

カフェ・ド・アクタ|Home|


毎回、一応テーマを決めています。
今回は、「何か、新しいこと」。

今読んでいる本や、テーマに沿ったオススメの本、などなど。
テーマとちがっても、本をもってこなくても、大丈夫です。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

太陽に問う。


あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

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(↑長男が年末につくった、白イノシシ)


このブログを初めてからは、4回目の新年。
その度に書いているかもですが、ぼくはできるだけ旧暦を意識したいと思っています。

でもそれはそれとして、新暦でのお祝いをしないわけではなく。
逆に「二度おいしい」みたいな感じでもいいかな、と。

これもまた以前、書いたことがありますが。
新暦元日から旧暦元日までの期間を、リレー走のテイクオーバーゾーンとして捉えて。

やり残したことやバタバタの年末を、そこで調整しようという企みです(笑)
(ちなみに、2019年の旧暦元日は2月5日だそう)



さて、今日(2019.1.2)は昨日できたオリジナル曲のこと。

昨年12月(2018.12.16)に行った「オーガニック&つながるマーケットしが」。
その中の野外寺子屋で、歌わせてもらった曲です。

ただ、そのときはサビと1番しかできていなくて。

先日(2019.12.29)、自分で企画した「滋賀暮らしの記録Ⅱ」というトーク&ライブを実家のカフェ・ド・アクタで開催しました。
そこに間に合わせたくて、曲の残りを完成させるためにギリギリまで練って。

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その日の朝、なんとかできあがって歌うことができました☆

ぼくは作詞をするとき、いくつかマイルールを設定していて。
安易に英語を入れないとか、同じ言葉を使わないとか。
あえてそれを外すこともありますが、基本はその制約の中でつくっています。

で、1番の中に同じ言葉が出ていたのに昨日氣付いて。
1月1日の昼間に書き直したので、これで一応完成です。

歌っている中で氣になるところが出てきたら、また微調整するかもですが。
(いつものように、ブログの最後に歌詞を載せておきます)



例えば、冬至

一陽来復」という、陰が極まり陽が生ずるという冬至を表す言葉があって。

太陽の力が弱まる時期だけど、逆にそこから復活してくる。
言ってみれば、落ちるとこまで落ちたら後は昇るしかない、という感じでしょうか。

クリスマスも、起源は冬至祭だった、なんて話もありますね。

元々は、冬至を一年の区切りとしたところも多いらしく。
この時期に「太陽」に関する曲をつくったのは、とても意味のあることのように思えてきます。



この曲は、まずタイトルが決まりました。
ある日、YouTubeを何氣なくスクロールして、見ていたら。

「太陽に問う」と見えた氣がして、スクロールを戻してみると。
実際には全然違う、「太陽」の文字はあったけど、漢字4~5文字のタイトルがありました。

つまり、見間違えから生まれたのです。
「太陽に問う」か、これはおもしろいなと。

サビの「太陽に訊いてみなよ」、後に「太陽に訊いてみればいいのさ」と少し変えて。
そこからメロディーが生まれ、歌詞を足していって。


説明するまでもないとは思いますが。
この歌は、「太陽」についてだけではなく。

太陽の塔」をもじったもの、掛け言葉的なタイトルです。
だから、岡本太郎さんや彼の言葉、生き方などを自分なりに盛り込んでみました。

まあ、ご本人には「ぼくとは関係ない」と言われるとは思いますが。

岡本太郎さんの本や言葉にかなり影響を受けたし、部分的に使わせてもらっています。
サビにはひとつ、言葉遊びを入れてみました、偶然なんですけどね。


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ただ、「訊いてみれば」は、『太郎に訊け』という本のタイトルから、ではなく。

というか、この歌詞が思い浮かんだときは、この本のタイトルを失念していて。
(だから、最初のメモには「訊いて」ではなく「聞いて」としていました)

もちろん、存在は知っていたし、部分的には読んだこともあったので。
どこかで憶えていた、その可能性はあります。


ちなみに「太陽の塔」、ぼくはまだ実物と対面していません。
大阪が近くなるので、今年は会いにいけるかな。

最近知ったんですけど、岡本太郎さんと信楽って、深い関わりがあるんですよね。
太陽の塔」の背面、「黒い太陽」は信楽焼のタイルでできていたり。

そうだった、昨年9月公開の映画『太陽の塔』、これも時期的には同時期でした。
タイトル自体は、この映画の予告編を観るより前、だったかな。
タイトルとサビとできてから、その後しばらく放置していたので。

またつくりはじめたのはマーケットの一週間か10日前くらいから。
構想からは長く掛かりましたが、着手してからはぼくにしては比較的早かったです。



このタイトルを思い付いた頃、「質問力」みたいなことにすごく興味がありました。
と思って振り返ってみたら、それ自体は結構前からのこと。

Let 'Em Eat Cake - とむやんの氣まぐれ雑想記


要するに、忘れていたんだな。
それが、司会をちょっとお休みしようと思った頃に、やっぱり「問う力」だよな、と。

遊びをせんとや - とむやんの氣まぐれ雑想記


上記のブログを見返したら、この時期の〈へいわのじかん〉のテーマがまさにそれ。
「耳を傾けること」、でした。

念頭にはミヒャエル・エンデの『モモ』のことがあったり。
今読んでいる本がまさにそのテーマなので、読み終えたらまた書こうと思います。


いずれにしても、この歌をつくろうとしていた頃。
SNSで、「自分はまちがってない」的な投稿を立て続けで見たりして。

自分もそういうマインドだったときがあるし、今も多少あるのかもしれませんが。
そういうときって、「自分だけが正しい」と頑なになりがちで、人の声が届かない。

そして、そこがある意味ウラハラで、おもしろいと思うのですが。
その「聞く耳をもたない」のって、自分に自信がないから、だったりして。
自信過剰のようでいて真逆、というか、そもそも両極が同じ性質だというか。

だから、こういうときこそ思い込みを捨てた方がいい。
せっかくのチャンスなんだし、「聞く/訊く」ことが大事なんだろうなって。


そんな経緯がありつつ、新曲『太陽に問う』ができました。

実は結構自信作なので、実家滞在の間にデモ動画を撮れたらと思っています。

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(↑次男が書いてくれたお正月の絵の一部、太陽と虹が描かれていました)


                    せれんでぃっぽ☆とむやん


太陽に問う

太陽に訊いてみればいいのさ
太陽に訊いてみればいいのさ

狭い枠の中で どれだけもがいても
行き着く先は たかが知れてる
人とちがう道を えらべば運命は
暗く輝き 絡み合う

なまぬるい風に流されて
何も感じなくなって いるのなら

太陽に訊いてみればいいのさ
太陽に訊いてみればいいのさ
世界中に大笑いされたって 平気で
自分のやりたいように やるんだ

夜が明けたらまた 生命(いのち)はよみがえる
目的なんて 別にいらない
だから今はひとり 自由にどん欲に
子どもみたいに 遊びたい

 間奏】

常識の頭、捨て去って
情熱の炎、飛び散って
燃えあがる 燃えあがる

正しさにばかり縛られて
大事なものうしなって 気付くより

太陽に訊いてみればいいのさ
太陽に訊いてみればいいのさ

 サビ】

自分のやりたいように やるんだ

太陽 太陽に問う
太陽 太陽に問う

学ぶ、遊ぶ、2019年の抱負。

今週のお題「2019年の抱負」


毎年恒例、なのかな?
今年も、「お題」で締め括りたいと思います。


昨年は、こんなことを書いていました。

ノッポさんになる。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

ノッポさんになれたかどうかはわかりませんが、というかなれていませんが。

2018年は「よくやったなぁ」という感慨深さと。
「だからこそ、すごく楽しかったな」、そんな感じです。

そういえば、2016年最後の投稿はこんなでした。

2016年を振り返ってみる☆ - とむやんの氣まぐれ雑想記


この中で、しいたけ占いのことに触れています。
この頃知ったのだったかな?
いずれにしても、今も楽しみにチェックしています。

占いに対しては、それぞれ思うところはあるでしょう。
当然、あまりのめりこみ過ぎはよくないです、あくまでも人生を楽しむためのツール。

それを踏まえて。

2019年上半期しいたけ占い | VOGUE GIRL

踏まえてですが、すごい当たってる~(笑)

蟹座は2019年、【新しい楽しみに「オラオラ」言って向かっていくために、「今までの自分については、いったん大切に卒業させていただく」という周期】だそう。

参謀ポジションではなく、日々学んでいく殿様へ。



「学ぶ」ということ。
以前から、「この経験から何を学ぶのか」という視点はもっているつもりでした。

でも、ある本を読んで感化されて、最近また心掛けようと思っているところです。
その本については、また機会があれば書こうと思います。


ここ何年か、そして2018年は思い付きでも何でも、いろいろやってきました。
ときには「報われない感」なんかも出てきたりして、ブログにも何度か書いたり。

その「報われない感」が何なのか、今ならわかる氣がします。

それは、そこに学ぶべきことがあった、ということ。
当然薄々わかってはいたことですが、真っ只中にいると認めたくなかったりで。

「学ぶ」ということに深く関係しているのが、「遊び」。
遊びがなければ、学ぼうという意欲が湧かないもの。

遊びをせんとや - とむやんの氣まぐれ雑想記
(↑以前、こんなことも書いていました)


2018年から始めた〈へいわのじかん〉や、ハクハク茶小屋でのコーヒー担当。
試しに定期開催させてもらったブックカフェ【ABC】、そしてウクレレサロン。

自分がまず楽しめるもの、そしてみんなにも喜んでもらえるもの。
「楽しむ」という要素に不可欠なのが、「新しいことに挑戦する」こと。

この辺の流れは、また整理して考えてみたいことでもあります。



さてさて。
それなら、2019年に新しいことで楽しめること、何がしたいだろう?

ひとつは、ずっと「やりたい」と思っていたことなんですけど。

来年は、本を書きます。
吟遊ソングライターとしての、本。

ちなみに、なぜかぼくの周りで「来年は本を書く」と言っている人が何人かいます。


吟遊ソングライターと名乗るようになって、オリジナルソングもだいぶできました。
ありがたいことに、CDは?音源は?と聞かれることが多くなってきて。

たぶんだけど、それは「売りもの」としてではないけど、つくりたいなと思っていて。
なぜ「売りもの」ではないのか、そこは今回は詳しく書きませんが。
時代的には、そういう選択肢もありだろうなと、それが何となくの理由ではあります。

かといって、録音にお金だってかかるし、どうやって生計を立てるのか。
それで、本を書きたい、そっちを売りたい。

実際、採算とかまだ何も考えていません。
だから、どうなるのかはわかりませんが。

今の感覚として、書き残しておきます。

そうそう、友人が冗談半分?で「京田辺に行っちゃうなら、メルマガ配信してよ」というようなことを言っていて。
メルマガの形で書いて、書籍化するのもいいかも、ですね。

今のところ、まだ戯言の範疇ではあります。
でもきっと、学ぶこと、遊ぶことを念頭に、何かしらやろうと思います。

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(↑八丁堀で立ち寄ったギャラリー、外にはスズメたちが寄り添い合っていました)


あ~、まとまらない。
もうあと数分で年が明ける。

それでは、みなさまよいお年をお迎えください☆


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

新しいことに、挑戦してみたいときには。


今日は12月30日。
ほんとにもう、あっという間ですね。

2018年の振り返りは、明日書けるかな。
今日はカフェスローのこと。



一昨日(2018.12.28)は、カフェスロー感謝祭&望年会に行ってきました。
カフェスローは、国分寺にあるオーガニックカフェ。

カフェスロートップページ|カフェスロー


関東にいるときは、イベントなどがあるとよく行ったりしていました。
よく、とは言ってもまあまあ遠いので、頻繁には行かれませんでしたが。

以前は府中の、どの駅からも遠い場所にあって。
そこも何度か行ったけど、やっぱり今の場所の方がだいぶ行きやすいなぁ。

そう、今の場所に移転してから10周年なんですね。

ぼくにとって、カフェスローはすごく大きな存在でした。
そのことを以前書いたはず、と思っていたら、下書きのままでまだUPできてない…。

SLOW DOWN その1 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑これの続きで、カフェスローのことを書くつもりでした)


SLOW DOWNのその2はまたUPするとして。

今回ゲストは、スローコーヒーの小澤陽祐さんということもあって、是非行かねばと。
(スローコーヒーの珈琲豆で、いつも珈琲出店などをしています)



久々のカフェスロー。
滋賀に移り住んでからは、もしかしたら一度行っただけ、かもしれない。

で、それっていつだったっけ?と今調べてみたら。
なんと、ほぼちょうど1年前、2017年の12月27日でした。


カフェスローのスタッフさんもかなり変わったので、知っている方もだいぶいなくなりました。
当初からのスタッフさんと、もうひとりは元々フェアトレード関連で知り合った方。

そして、最近キッチンに入った若い男性は、たまたま日野の友だちから紹介されて。
二度目に会ったときに、「実はカフェスローで働き始めて」と聞いてビックリしたものです。


そうそう、カフェスローと言えばストローベイル。

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藁と土、自然素材でできた空間は、とても居心地がいい。

ぼくも何度かストローベイルWSに参加したことがあります。
残念ながら、カフェスローのWSには参加していませんが。



今回の食事メニューは、Thank youサンド。
天然酵母パンに、季節野菜のデリ数種類を自分で好きに挟むスタイル。

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コロッケが転げていますが。
どれもしっかりとしていながら優しい味、美味しかった☆

この日は、オーナーの吉岡さんの一日限定BARもありました。

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せっかくなので、ぼくもラム酒をいただきました。
ドライカレーのおむすびは別途注文したもの。

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イベントはゆるく進行していきます。
オープンマイクでは、カフェスローを取り巻く個性的&ステキな方々が紹介されて。

メインはサンキュートーク、テーマは「これまでのスローと、これからのスロー」。
小澤さんと吉岡さんのクロストーク

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ここでムチャぶりがあって、小澤さんがラップを披露することに。
実は小澤さん、ラッパーでもあるのです。

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DJは、松戸のレストランOrganic CAMOOの野菜ソムリエさん。

小澤さん、かっこよかったな~。
ご本人は歌詞を覚えてリベンジします、と言っておられましたが。



この会の本題は、カフェスローの「新しい挑戦」について。
さっきのThank youサンドの写真にも、ちょこっと写っています。

「カフェスロー発電所プロジェクト」/「カフェスローオフグリッド化計画」。
カフェの屋根に太陽光パネルを設置して、「発電所」にしてしまうという試みです。

カフェスローでもついこないだ、『おだやかな革命』の上映会などがあったばかり。
この映画はまさに、エネルギー問題からつながりや本当の豊かさを取り戻そうとする挑戦の話、でした。

はなうた交じりの、革命的な楽器。 - とむやんの氣まぐれ雑想記



吉岡さんのお話にもあったけど、カフェスローは常に新しいことを模索してきた存在。
ぼくもそういう点にすごく影響を受けたし、応援してきました。

このプロジェクトは、クラウドファンディングがはじまっています。

まちのみんなで自然エネルギーの恵みをシェアしたいから。 カフェスローに発電所をつくろう。 - クラウドファンディングのMotionGallery


今現在、残り8日で目標額まではまだまだという状況。
(プロダクションファンディングなので、目標額に達しなくても集まった金額がファンディングされるそうです)


「常に新しいことに挑戦する」ということ。
実は今年のはじめに、一年の抱負として書いていました。

New Year's Resolution - とむやんの氣まぐれ雑想記


一年間、ぼくはそんなスタンスでやってきたつもりですが。
今また更に、「何か新しいこと」というのがテーマとしてやけに聞こえてくるのです。

だから、吉岡さんの「カフェスローとして、新しいことにまた挑戦します」というような話を聞いたときは、ビックリしました。
ぼくだけじゃなく、周りの多くの人にとって2019年は転換の年になりそうなので。

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自分が変わる、これはもちろん基本中の基本。
ですが最初はなかなか、それがむずかしかったりします。

そういうときは、変わろうとするものや新しいものへの挑戦に対して、応援をする。
言ってみれば、そういうものに〈一丁噛み/いっちょかみ〉するわけです。

普段はあまり、いい意味では使われない言葉ではありますが。

そんなわけで、カフェスローの新しい挑戦、そんな観点からチェックしてみてはいかがでしょうか。
カフェスローに行ったことがなくても、〈いっちょかみ〉したことがつながり/ご縁をつくることにもなる。

実はカフェスローの移転の際には、ぼくも出資をしました。
だから、たまにしか行かれなくてもある種の「ホーム感」がある。

余談ですが、カフェスローのサイトにあるリンク集には、実家のカフェ・ド・アクタも入れていただいています。

カフェスローでつながる:おすすめスローサイト|カフェスロー




最後はちょこっと告知。

来年1月6日[日]に、実家のカフェ・ド・アクタでブックカフェイベントをします。
いつものようにゆるい感じで、13時から15時のあいだに来ていただければ。
ワンオーダー+イベントの参加費はハートマネーで。
(お金でもお金じゃなくても)

また詳細はUPします。

今回のテーマは「何か、新しいこと」。
この日は新月でもあるので、願いや抱負なども聞かせてもらえたらと思っています。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

Have yourself a merry little Christmas☆


今日は12月28日、まさに「年の瀬」といった感じ。
2018年の振り返りもしたいのですが、まずはクリスマスのこと。

本当はクリスマス当日に、と思っていたのですが。
このところ、すごく眠くて起きていられなかったので。



2018年のクリスマス。

今回は事前に、長男にサンタクロースの話をすることにしました。
11歳になった長男には、そろそろ話をしてもいい頃かな、と。


喋ったことを要約すると。

願いごとって叶うもの、好きなことはどんどんした方がいい。
本当にほしいものは手に入る、プレゼントだろうが自分で買おうが、どちらでもいい。

いずれにしても、サンタクロースのような存在はいつだって叶えてくれるものだよ。

だから、そろそろ氣付いていると思う。
どうしてそれがクリスマスの日だけなのか?
おもちゃだとか、物質的なものだけなのか?

そう、それはあくまでも「デモンストレーション」のようなものなんだよ。

そういうことは幼いときにはイメージしづらいから、わかりやすく体験するための装置みたいなもの。

サンタクロースはいる/いない、という話じゃない。
実際、いるかいないかで言えば、サンタクロース的な存在は確実に、いる。

だけど、クリスマスイヴにだけ現れるサンタクロース、という意味なら。
もうわかるだろうけど、その日一日だけですべての子どもの願いを叶えるって、ムリ。

だから、大人はそのお手伝いをしているんだよ。
君もそろそろ大人になりつつあるから、今年はお手伝いの側にまわってほしい。

君にもプレゼントはちゃんと届くけど、意識はもらう側ではなく、あげる側に。


こんな感じで話せたかどうか、でもこんな流れだったと思います。
昨年あたりから、「いないんじゃないか」と思っているみたいだったし。
何となく、こちらに「鎌をかけて」きたりもしてきていたので。

かと言って、急に「サンタクロースなんていないんだ」ってのもどうかと。
いい子にしてたら、ほしいおもちゃをくれるなんて、それはそれでそろそろおかしいと氣付くだろうし。

最近の長男は物質的なものでも精神的なものでも、願いって結構叶うって体験をしているんです。
だからまずは、それをアファメーションすること。

それって、全然むずかしい話じゃなくて。
だれが叶えるにしたって、お店で注文するのと同じで、まずは願いを言うことから。


そんなわけで、一応は長男も納得してくれたみたい。



さて、クリスマスの朝。

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大人には珈琲を淹れて、妻がパンケーキを焼いて。

ル・シエルとたまぱんのシュトーレン食べ比べ、もちろんどちらもそれぞれ美味しい。
今回は早々に全部食べてしまわず残しておいたので、より美味しかったなぁ。


アパート2階のベランダにかけておいた3つの手提げバッグの中には。
長男にはお菓子づくりの本、次男には絵本、三男にはお菓子が入っていました。

長男は最初、自分の好きな動物関係じゃないことがショックだったみたいです。
ここだけの話。
でも、すぐ氣を取り直したみたいで、どれをつくろうかとみんなで盛り上がりました。

次男もLaQの新しい部品がほしかったみたいだけど。
それはプレゼントとしてもらわなくてもいい、買えばいい、ということで。
元々絵本も好きなので、喜んでいました。

三男の袋に入っていたのは、何種類かのお菓子。

長男も次男も今まで、未就学児のときはたいていお菓子が入っていました。
いつもは自分たちで買わないお菓子、憶えているのは機関車の形の缶に入ったWalkersのショートブレッド

今年は、ちょっと「ビックリ」。
これ、いつもなら「絶対買わない」やつ。

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中にどの恐竜が入っているか、わからないのです。
次男と三男は、ティラノサウルス


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長男はトリケラトプス

そう、なんと3つも入っていたので。
子ども3人でわけてもいい?と聞いたら、いいと言うので。

ほかのお菓子は、帰省の電車の中でぼくと子どもたちでわけわけしました。
(くまのがっこうビスケットと、Loackerのウエハース)

発掘恐竜チョコ、それぞれ楽しんでました。

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案外大きかったので、三男からは少しもらいました。
普段からあげることには抵抗なく、むしろわけ合うことを喜ぶタイプ。

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そんな感じで、子どもたちのささやかなクリスマスのお楽しみは、終了。
でも、このあと長男が「大人にはサンタさん来ないの?」と、意味深なつぶやき。

そのときは「ん?」とは思ったものの、スルー。

しばらくしてふとPCを見たら、こんなものが置いてありました。

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ハシビロコウのカードとマスキングテープ。
どのサンタさんからなのか、見当は付きます(笑)

それなのに、すごいなぁと思うのは。
結局彼は後にも先にも、このプレゼントについて一言も触れなかったこと。

いつもだったら黙っていられなくて、どうだった?とか何かしら喋っちゃうのに。

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中には、手づくりのパズルが入っていました。

こんなものをこっそりと用意して、しかも最後までこのことに触れず。
彼の成長振りが、何より嬉しいプレゼントでした。

クリスマス前に話をしたこと、やっぱりよかったのかなと思った瞬間でもありました。



ほかにも嬉しいことがいくつかあって。

 この日は夕方、ハクハク茶小屋に行きました。
前々回書いた、Christmas Wall Treeの片付けをするため。

Happiest Christmas Tree☆ - とむやんの氣まぐれ雑想記


お昼はぼくがつくって、一緒に食べて。
それから返さなきゃいけない本があったので、図書館に寄ってから行ったので。

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途中、野洲川から見た夕焼けがとても美しかったけど。
コンパクトデジタルカメラ+ぼくの腕では、これが限界。


ハクハク茶小屋に着いたのは、17時ちょっと前。

そしたら、友人たちが待っていてくれた☆
ツリーの前で、みんなで記念撮影。

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ハレノヒカメラのまなみちゃんが撮ってくれました。


そうそう、Christmas Wall Treeのオーナメントを取ると、こんな感じです。

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片付けも無事終わって、さあ帰ろうと思ったら。

ハクハクのちゃたくんとさやちゃんから、この一年のお礼とクリスマスプレゼント、ということで。
花束と珈琲豆とクッキー、そして2人からの手紙をいただきました。

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ほんと嬉しかったな、特に手紙はぐっと来たなぁ。

珈琲豆は山本珈琲倶楽部のブラジルとクリスマスブレンドでした。
ハクハクのクッキーは、最近さらに美味しくなったので、これまた嬉しい。

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もうひとつ写っているのは、あかね軒さんのどら焼き。
妻からのプレゼント。

ちなみに、ぼくから妻へはオーガニックワイン赤。



思いの外長くなっちゃってますが、最後に。

大好きなクリスマスソングに、『Have yourself a merry little Christmas』があります。
メロディーはもちろん、ささやかな(little)感じがいいですよね。

あと、これは英語がわかっていないから、なのかもしれませんが。
それぞれがそれぞれの楽しみ方で、ステキなクリスマスを、って言ってくれている感じがして。
yourselfがあるからかな、それぞれのって意味合いがあるのかはわかりません。

クリスマスなんだからこうしなきゃ、みたいな押し付けがない印象。


クリスマス前日、プレゼントを探すのにスーパーを歩いていたら。
もう夕方だというのに、クリスマスケーキがたくさんショーケースに入っていました。
次の日(クリスマス当日)も売れるのかもしれませんけど。

今はほとんどのケーキ屋さんが予約オンリーにしていて。
受け渡しだけをするところが増えているみたい、それはいい傾向だなと思います。

だけど、そろそろみんなが同じ過ごし方をしなくてもいい、そういう流れはもっと大切じゃないかなぁ。

案の定、クリスマスケーキは大量に廃棄されたりブタのえさになったりしたみたい。


土用のうなぎも、節分の恵方巻きも。
ヴァレンタインデーも欧米のようにチョコレートでなくていい。

そういうものを全否定するつもりはないけど、みんなが笑顔でいられる形って考えられないかな?

いつもとちがうこと、みんなとちがうもの、それぞれの楽しみ方。
その日じゃなきゃ、っていう感覚もわかるけど。
それはあくまでも「デモンストレーション」として、って感覚も必要かなって。

個人的にすごくいいクリスマスを過ごさせてもらったから、あえてこんなことを書いてみました。

2019年は、もっと多様な楽しみを発見したり、尊重したりできる年にしたいから。
実際、もうそっちに潮流が変わってきていると思っています。

では、それぞれのステキな年末を。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん

アベコベ感。


先週の日曜日(2018.12.16)は、「オーガニック&つながるマーケットしが」へ。
(以下、オーガニックマーケット)
第三日曜日は予定が重なってしまうことが多く、三井寺に行くのはかなり久々でした。

今、手帳を見てみたら。
4月のプチアースデイしがのとき以来で、その前は2月に行っていて。
そうか、ずいぶんご無沙汰していたんだなぁ。


ここでちょっとご報告、また改めて書こうと思っていますが。

実は、来年の2月から京田辺で暮らすことになりました。

それで、ご挨拶をかねて、野外寺子屋で歌わせてもらいに行ったのです。
オーガニックマーケットのこととか、そのときの新曲のことは、これまた別の機会に。


昨年の夏、オーガニックマーケットで歌わせてもらったオリジナルソングがあります。
タイトルは、『アベコベ⇔シンドローム』。

アベコベ⇔シンドローム - とむやんの氣まぐれ雑想記


この曲はどちらかというと「批判ソング」なので、あまり歌う機会がないのですが。
このところ、〈アベコベ感〉と言うか、そういうものを感じることが多々あったので。

今回、この曲と新曲、そしてクリスマスソングを1曲歌ってきました。



〈アベコベ感〉について。

例えば、南青山の児童相談所建設の問題。

反対する近隣住民が、説明会で「ブランドが落ちる」と反発したことについて。
多くの人が、「その意見自体、青山のブランドイメージを落としたね」と。

住民側にももちろん言い分はあるのでしょうけど、何とも皮肉だなと。

児童相談所」というものに対して、漠然とした印象しかないのに。
それが偏見になり、自ら露呈させてしまっている。

人はなぜ〈偏見〉をもつのか、そしてそれが何を引き起こすのか。
その辺はまた考えを整理してみたいところです。



そして、辺野古への新基地建設による強行的な大浦湾埋め立て。

なぜ、美しい海を壊そうとするのか、その一点だけでもぼくには理解できません。

辺野古移設に反対すると、最近はすぐ「なら、対案を出せ」という声が出てきます。
けれど、そもそもがツッコミどころばかりの計画なら、対案すら必要ないはず。

建設費用は?、地盤が軟弱なのでは?、などなど。
辺野古移設か、普天間固定化か」というのも、そもそも沖縄ありき、辺野古ありきの発想しかないからだし。

ところが、防衛大臣は「辺野古への移設は日米同盟のためではない、日本国民のため」なんて言ったのだとか。

これこそ、〈アベコベ〉。
アベコベじゃないとすれば、日本国民の中に沖縄は入っていないのか?と問いたい。


来年2月24日の移設の是非を問う県民投票までの工事中止を、ホワイトハウスに求める請願サイトが話題になっていますね。
先週からバタバタしていたので、ぼくが署名したときには14万筆を超えていました。

これについてもいろいろ思うところはあるのですが、長くなったので一旦置いといて。


まだ関東にいるとき、高尾山に圏央道のトンネルを通す計画がありました。
ぼくは反対の立場で、そうしたイベントなどにも何度か参加して。

結局、トンネルは通されてしまったのですが。

豊かな自然よりも、利便性だとかが優先され、しかもそれだけのリスクと金額をかけるだけの意味が、本当にあるのか。

当然、ぼくもそういう恩恵も受けている部分だってたくさんあります。

でも、迂回路の検討や、トンネルにしたってどういう工法をとるのか、選択肢はあるはずなのに。
辺野古のこともそう、ものごとを単純化して「二元論化」されてしまう。

それが「対立」を生む構図なのだし、両極がひっくり返れば〈アベコベ〉になる。



もうひとつ、映画『水になった村』について。
以前から観たかったのですが、先日やっと観れました。

水になった村 / ポレポレタイムス社 Movies


魅力的な村の老人たち。
村が沈んでしまうとわかっていても、それでも街から戻ってきて、昔ながらの生活をしている。
その様子が楽しくて、またすばらしくて。

こういう生活や、草木や虫や、そういう簡単には取り戻せないものを水没させてまで、追い求めているものって、何なの?
最近また「日本の伝統」とかやたらと聞くけど、ぼくにはこの村の人々の暮らし方こそが「伝統」だと思えるのです。

そういう智恵や技をつぶして、便利さやニンゲンの都合(しかも一部の)を優先して。

日本の自然を守ったり、その中でたくさんの恩恵を受けながらの暮らし。
そこに信仰もあったはずなのに、ヒトはずいぶんと傲慢な存在になってしまいました。

美しい国づくり」なんて言ってた人が、どうして美しい自然を壊すのか。

セヴァンさんの「伝説のスピーチ」で語られたようなこと、何度繰り返せば聞く耳をもつだろう?
「どうやってなおすのかわからないものを、壊し続けるのはもうやめてください」

辺野古の海も、高尾山やダムに沈んだ徳山村の豊かさな自然も、つくることなんてできないのに。



今日は全然まとまらないけれど、それはそれでいいかな、と。

ただ、これを踏まえて考えてみたいことがあります。
それは、「自分の中にある加害性」について。

一連のこと、そして〈アベコベ感〉について考えてみたら。
誰にでも「加害性」があって、一方でそこはやっぱり向き合いたくない部分。

もちろん、「加害性」がダメと言っているわけじゃないんですよ?
そこに氣付けないことも往々にしてあるけれど、そこに「氣付きたくない」もしくは「認めようとしない」ことが問題なのかな、と。

それよりもむしろ、迷った方がいい。
迷いたくないってのもわかるけど、だからって蓋をしてしまうのはどうなのか。

迷って迷って、その「うしろめたさ」と向き合うことが大事なんだと思います。

この辺のことは、『うしろめたさの人類学』を読むと何か掴める氣がします。
まだ読み終えていないので、またじっくりいろいろ考えてみます。

今日はある意味「予告編みたいなもの」、ということで。



さて、『アベコベ⇔シンドローム』について。
歌詞は上でリンクを貼った記事の最後に貼り付けていますが、この記事にももう一度。

この歌詞は、自分でもよくわからないところがあって。
でも、今回書いたような「二元論化」や「加害性」についてを盛り込みたかった、のかもしれません。

シチュエーションとしては、投票や投票によって選ばれた人/選ぶ人について。

この歌が政権批判的でありながら、それだけではないのは。
やっぱりなんだかんだ言っても、市民が選んでしまっている、ということなのかな。


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今回はちょっとヘビーな内容かも、なので。
写真だけでも脱力系を(笑)

オーガニックマーケットに出店されている菜饅頭さんの、パンダチョコまん。



でも、憤る(いきどおる)ことって大事だよな、って再認識しているところです。
怒る、よりも冷静さをうしなっていないような、そんなイメージ。
(〈憤〉は「心の中を何かが走り回る」ことを表しているのだそう)


最後にもうひとつだけ。
Twitterで見たのですが、渋谷区公園課の警告文に対する「警告」。

「警告:公園内で寝泊まりすることを禁止する。渋谷区・公園課」
この掲示板の下に、こんな文章が置かれていました。
「警告:なぜ公園内に寝泊まりする人がいるのか、根本から目をそらしてルールを押しつけることを禁止します。渋谷区区長へ」

『アベコベ⇔シンドローム』はユーモア感には欠けるので。
狂歌」や「落首(落書)」のようなウィットのある風刺、そんな感じの歌もつくってみたいな。


                    せれんでぃっぽ☆とむやん




アベコベ⇔シンドローム

A1】
救いの手求めても
足元を掬われるだけ
存在の意味なんて
考えもしないのだから

A2】
完璧な歯車も
破綻して空回りする
看板を偽れば
真実は逆さまになる

B1】
Woo 小さな声はすぐにかき消されて
Woo 見せかけの多数派は張り子の虎を放つ

サビ1】
アベコベな心情 常識を振りかざして
ウヤムヤな現状 饒舌に欺いて
恐怖にスリ替える

A3】
監視して禁止して
つぶやきも脅(おびや)かされて
心配の押し売りは
言いなりにするためなのに

A4】
弁明は  無機質に
誤解だと責任転嫁
不都合は知らんぷり
対岸で一日天下

B2】
Woo 相手を貶(おとし)めれば 蔑(さげす)まれて
Woo 迷惑には厳しく 身内にだけは甘く

サビ2】
チグハグな印象 正体をひた隠して
アヤフヤな友情 条件で蹴落として
評価もカネ次第

サビ3】
アベコベな信条 情報に疲れ果てて
アチコチで炎上 冗談で済まされない
ドタバタの劇場 上出来のひとり芝居
イザコザの元凶 競争に巻き込んで
勝利はダレのもの?

Happiest Christmas Tree☆


昨日(2018.12.21)もこれをUPするはずが、子どもたちと寝てしまい。

今日と明日と、守山のうの家で開催の「キモノことはじめ いろは市」にハクハク茶小屋として珈琲出店するので。
その準備をしながら、これを書いています。



さて、もうすぐクリスマス。

今年は何をするということもなく、シュトレン食べたりするくらいで。
当日とイブにはもちろん、いろいろとすることはありますけど。

まあ、何かをしなきゃいけないわけじゃないし、でも楽しくできることはやりたい。

クリスマス の検索結果 - とむやんの氣まぐれ雑想記
(↑今見返してみたら、案外このブログでクリスマスのことをUPしていました)


実家の喫茶店を手伝っていたときなどは特に、イベントって重要だったりするので。
あれこれと考えたりしていました。

もちろん、クリスチャンでもないのに、という「やましさ」みたいなものは常にあったりしつつ。


実家のカフェ・ド・アクタには、壁面などに作品を展示することができるのですが。
12月は、ぼくがクリスマスの飾りをさせてもらうことになって。

カフェでは「フェアトレード」のものもあつかっていて、クリスマス飾りもかわいいものが結構あったので。

はなうた交じりの、革命的な楽器。 - とむやんの氣まぐれ雑想記

(↑「フェアトレード」について、ではないですが、関連したような話)

記録をほとんどしていなくて、確かなことはわからないのですが。
2008年、急遽「フェアトレードクリスマス」と題しての展示、だったみたい。

これが最初だとしたら、ちょうど10年前だなぁ。

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そのときの様子は、こんな感じ。
ちょっとわかりづらいですが、ツリーはぼくの背丈と同じかそれ以上あります。

何となく憶えているのは、フェアトレード商品にもさまざまなクリスマス飾りなどがあって、展示しつつ販売もしたいなと思ったんですよね。
だから、いいなと思うものは1つか2つ余分に仕入れたり買ったりして。

でも、どうやって展示しようか迷いながら、あるフェアトレードショップに入ったら。
ナバホ族の手つむぎ毛糸」というのが売っていて、「これだ!」と思って。

手つむぎなので均一じゃない、でも風合いのある毛糸、そのままで雪のようなのです。

その毛糸で、壁面にクリスマスツリーを「描い」たら、そこにオーナメントとかを飾ったらいいんじゃないか。
そう思い付いてやってみたら、かなりいい感じの仕上がりで。

そもそも、フェアトレードのオーナメント自体がとてもかわいいものが多いのです。
伝統的な刺繍がされていたり、素材もさまざま、そしてどれもが手づくり。

フェアトレードのクリスマス商品は毎年新商品が出たりするので。
その都度買い足したりして、ストックを増やしていきました。

埼玉を離れて、でもその年2011年にもやったので、4回やったのかな。

それからは例年、クリスマスの前後の帰省なので。
カフェ・ド・アクタでの「フェアトレードクリスマス」は、とりあえず終了。

クリスマス飾りは、滋賀にもってきていました。



さて、思いの外前置きが長くなってしまいました。


フェアトレードのオーナメント、滋賀ではなかなか出す機会もなく。
正直、ちょっと忘れていたのでした。

で、今年ふと思い出して。
せっかくハクハク茶小屋で珈琲担当させてもらっているし、ハクハク茶小屋でできないかなぁ、と。

ちゃたくんに相談したら、二つ返事でOK♪


11月27日。
クリスマスオーナメントをもち込んで、まずはやってみることに。

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じゃん。
最初はこんな感じ。

ちゃたくんが用意してくれた戸板がいい雰囲氣で、ピッタリでした。
大きさもちょうどよかったかも?

嬉しいことに、これをInstagramなどでUPしたら、たくさんの反響があって。
カフェ・ド・アクタの展示のときは反応があまりなかったので、余計に嬉しくて。


大きなツリーをどでんと立てるとやっぱり邪魔だったり、飾り付けが大変だったり。
片付けにしても収納にしても、何かと厄介だったりするもの。

でも、これなら省スペースだし、電飾とかなくても充分だし。

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試しにキャンドルを灯してみたら、ますますいい感じ。
営業中はちょっとムリなので、残念ですが。


で、飾り付けをしてみて氣付いた。
オーナメントももう少し種類があったはず、それ以外にもいくつか。

そう思って、家に帰って探したら、まだ箱がありました。


その翌日は、ハクハク茶小屋でキモノの日。
おちゑキモノさんと湖布さんが販売ものを準備している横で、ぼくもツリーの手直し。

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こんな感じに、少しボリュームアップ。
ハクハク茶小屋にあったクリスマス関連の絵本なども置いて。

キモノ姿の美しい方々と、このツリーの前で記念撮影したりしました。
(それぞれの方に確認とっていないので、写真はなし)


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そしてこれが3日目、一応最終形かな。
このツリーのいいところは、こうやって調整しながらつくれるところです。
毛糸やオーナメントは透明の押しピンに引っかけているだけなので。

なので、土台となる板などは何度刺してもいいようなものが望ましいと思います。


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これが一番最近撮ったもの。
ひとつ前のマイナーバージョンアップ版で、微調整しています。



たくさんの反響があった、と書きましたが。

好評だったのはもちろん嬉しいのですが、「真似したよ」の声は特に嬉しくて。


友人は、早速メッセンジャーで写真を送ってくれました。

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他には、子どもと一緒に折り紙などでつくった、という力作も。

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これ、流行ったらいいな~なんて思いつつ。

ツリーの「描き方」とかも、いろいろバリエーションが拡がったらますます楽しい。
この記事の最初の写真みたいに、ぼくは毎年ツリーの形を変えていました。


自分でつくれば、それぞれの「Happiest Christmas Tree」ができるはず。
今年はもう遅いかもですが、参考になったら是非真似してみてください。


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それでは、「Have Yourself a Merry Little Christmas」♡


                    せれんでぃっぽ☆とむやん