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今日(2019.1.5)は「オルタナティブブックカフェ【ABC】」のこと。
そして、ナナイロつーしんのこと。
そこから、「考える」ということについて、考えてみたいと思います。
【ABC】は今まで、自宅アパートで開催したり、埼玉に帰省したときに実家の喫茶店でやらせてもらったりしていました。
cafe salon STILLROOMでも何度かさせていただき、でもこれまでは不定期開催。
それが、何きっかけだったのかは忘れたのですが。
サブタイトルを、「非常識」を楽しむための《ABC》にして。
昨年の6月から、第三火曜日に定期開催させてもらったのでした。
8月はお休みしたので、全部で5回。
(8月は実家に帰省していたので、実家のカフェ・ド・アクタで開催)
それぞれのレポートも書くつもりだったのに、結局ずるずると年が明けてしまい。
せめて、全体の振り返りはまた改めてやろう、と思っています。
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さて、ちょっと間が空いてしまいましたが、ナナイロつーしんVol.24について。
読書の秋、ブックカフェABCのお誘い。 - とむやんの氣まぐれ雑想記
実はまだ、一部しか読めていないのですけど。
ぼくは名刺代わりにお渡ししていて、今回川口にももってきています。
各所で配っていると、結構喜ばれます。
ぼくがいつも真っ先に読むのは、たーさんの文章。
今回は、映画『ハンナ・アーレント』のことなどが書かれています。
この記事の中や映画に出てくる、「思考」について。
個人的に思うところがあったので、ちょうどいいタイミングでした。
ハンナ・アーレントやたーさんが書いていること、その通りだと思います。
ぼくは一方で、現代の人は「考え過ぎ」の側面もあるのではないか、と。
そこはどちらかが正しい、もしくはどちらかが間違っているのではなく。
双方が馴染むような着地点があるはずで、それを探してみたいと思いました。
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「食べる」ことの例えを並列させて、考えてみます。
現代人は何かと「食べ過ぎ/考え過ぎ」ていることが多いのではないでしょうか。
しかも、Too Muchな状態ってなぜかますます「足りない」と思ってしまうことも。
「これが食べたい」と欲する、特定の味だったり栄養素だったりがあっても。
感覚としては大雑把に「お腹が空いている」としか認識しなかったとしたら?
その必要としている味や栄養素を摂らない限り、いくら食べても満たされない。
そういう経験、ありませんか?
自分に必要なものがわかっていないうえに、とにかく「時間を掛けなさ過ぎる」。
たくさん食べているのに、ほとんど「咀嚼」をしていない。
本人は考えているつもりでいても、ゆっくりと「咀嚼」するような思考ではない、のかもしれません。
たくさん情報はあるのに、ほとんど「思考」をしていない。
そのうえ、他者の意見を自分の考えにしてしまう、そのことを本人は忘れてしまう。
それが極まると、アイヒマンの「命令に従っただけだ」になってしまうのでしょう。
そう言えば、「思考」という言葉は「考える」だけじゃないんですよね。
「思いを巡らす」ことも「思考」の大切な要素のはず。
食べることで言えば、「味わっていただく」という感覚でしょうか。
ところが、口当たりのいい噛まずに消えてしまうような食感ばかりがもてはやされる。
固いものや複雑なものは「食わず嫌い」で避けてしまうので、ますます偏っていく。
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先ほどのたーさんの記事、2ページ目には書き起こしが載っています。
(映画『ハンナ・アーレント』の「最後の講義」シーンの文字起こし)
《ソクラテスやプラトン以来「思考」をこう考えます。》
《「自分自身との静かな対話だと。》
【ABC】では、度々「孤独」をテーマにしています。
そもそも、読書という行為は大抵、「孤独」が前提のもの。
「孤独」に向き合うこと、そうでなければ自分自身との静かな対話はできない。
そしてそれを外に表現すると、大抵「誤解」が生じます。
でも、そのうまくいかない状況もまた、とても重要な「思考」の過程。
【ABC】を始めたとき、そういう意識はなかったのですが。
本を読むという非常に個人的なことを、アウトプットできる場があるということ。
それは当然、すぐには馴染まなくて、だからこそおもしろいわけで。
「思考」って、孤独で育むのと、外に放つこと、それを交互に繰り返していく。
まるで、熱い鉄を叩いたり、急に水で急激に冷やしたりするように。
たぶん、「思考」を鍛えるのに、【ABC】という場はとてもよかったのではないかと。
少なくとも、ぼくにとってはそうでした。
そうやって考えると、やはり現代の多くの人が「思考停止」になりがち、なのかもしれません。
基本的には、こういうことってメンドウなことだから。
「考えること」に限らず、今の社会では多くの「スイッチ」をOFFにしていたり。
だから、「感じなさ過ぎ」だったり「憤らなさ過ぎ」だったり。
ぼくが「考え過ぎ」と感じたものは、考えるのをやめるべきというのではなくて。
そもそも、それは自分の考えなのか、そしてそれは何なのか。
考える以外にも、思いを巡らせたり、突発的に行動してみたり、別の方法はないのか。
自分自身にもっと問いかける必要があるんだろう、と思いました。
まずは「孤独な時間」をつくること。
読書はきっと、その手助けをしてくれます。
その後、「誤解」や「摩擦」、もしくはうまく伝えられない、などなど。
そういう「歯応え」がないと、「思考」は活性化しないもの。
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そうそう、自分の過去記事を見返してみたのです、検索に「思考」を入れて。
そしたら、自分では忘れているけど、同じようなことを書いているんですね。
(↑二年くらい前にすでに、鵜呑み/咀嚼について書いていました)
(↑今またちょっと変わってきているので、改めて考えてみたいこと)
そうやって、繰り返し同じことを考えているというのも、これはこれでいいのかな。
それがある日突然、全然変わってしまうこともあるし。
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最後はさらっと告知です。
と言っても明日の昼のこと、しかも関東でのイベントなので、意味はないかもですが。
オルタナティブ・ブック・カフェ
~非常識を楽しむためのABC~
場所:カフェドアクタ(埼玉県川口市)
日時:2019年1月6日[日]
13時から15時ごろ(出入り自由)
参加費:要ワンドリンクオーダー+参加費はハート♡マネーで。
(あなたの直感・お氣もちで、お金でもお金じゃなくても)
(↑詳細やお問い合わせは、fbのイベントページへ)
この日のカフェドアクタは、通常営業お休みです。
毎回、一応テーマを決めています。
今回は、「何か、新しいこと」。
今読んでいる本や、テーマに沿ったオススメの本、などなど。
テーマとちがっても、本をもってこなくても、大丈夫です。
せれんでぃっぽ☆とむやん